見出し画像

丘の上の光 ユーミンSiソングの金字塔

■ユーミンはSiの名手である

全くの主観ですが、シンガーソングライターのユーミン(松任谷由実さん)は、スイスの精神科医で心理学者のカール・グフタフ・ユングが提唱する心理機能の1つである内向的感覚機能(以下、Siと表記)の類まれなる使い手であると勝手に私は思っています。      

私たちは、眼、耳、鼻、舌、肌のそれぞれの感覚器官を通して、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を得ることができ、外部の情報を受け取ります。また、体内から様々な情報を受け取り、自分自身の肉体の存在に気が付いています。そして、経験したことを記憶しています。              
その記憶は、現在の体験と関連する過去の体験を比較するときに必要となります。今現在の経験はすぐに前回の経験と結びつけられ、似ている点や異なる点が新たに記憶され整理されます。
各時点での経験と記憶を繰り返し比較することで、この世界についてのイメージがより鮮明で広がりをもったものになってゆきます。個人的な経験によって蓄積された記憶は知識の源となり、日常的に「すべきこと」を思い起こさせます。

16タイプの性格分類まとめWiki

一般的なSiの記述は、上記のように、過去の経験と記憶に基づいた情報の蓄積とその詳細ぶりを示し、ルーティーンや伝統を重んじる態度や規律正しさといった行動様式を絡めて説明していることが多いです。             

確かに、Siとは、ある事象における過去と現在との微細な差異をも知覚する機能ではありますが、それだけには留まらず、内的世界の奥深くに影響を及ぼすような大変強い働きを実は有するのではないかと私は捉えています。

■ユングの示すSiとは

また、一方で、ユングはこの機能を「現実をそのままではなく自分の内面をプラスして把握します。つまり、外界からの刺激そのものよりは、それによって引き起こされる主観の強度を頼りにしているのです。」と述べており、Siとは、ダイレクトに自己の内部に働きかける主観的な感覚機能だとユングは言っているかのようです。                    

そして、このSiに基づく感覚描写を独自の歌の世界観にまで確立、昇華させたアーティストとして、私はユーミンがその代表に挙げられると常々感じております。その一例として、今回は、ユーミンの余りある名曲群から、「丘の上の光」をSi楽曲の金字塔として僭越ながら推薦いたします。

■丘の上の光 -SILHOUETTES- 作詞作曲 松任谷由実        

すみれ色のまま夕暮れを止めて
新しい自転車で高原をすべる
夏へ急ぐ空 おだやかに翳り
このまま二人ずっと漕いでゆきたいの

いつしか 今日の日も思い出に
少しずつかわる
                    
今 大事なのは前をゆくあなたが
素敵なシルエットになっていること
向かい風そっと ほほつねってみて
愛し始めた気持ち まぼろしかどうか

いつしか 今日の日も思い出に
少しずつかわる

すみれ色のまま夕暮れを止めて
流れる雲のように丘へ上るまで
ひととき神様 息をかけないでね
素敵な光ほど移ろうのだから                         

■Siソングの金字塔                                  

「丘の上の光」は、1979年にリリースされたユーミンの通算8枚目のオリジナルアルバム「悲しいほどお天気」の5曲目に収録されています。その後のバブリーでド派手なアルバム群とは程遠い、少々地味な仕上がりの作品ですが、全曲を通しで聴くと、まるで1冊の短編集のようであり、全編を読み終えたあとに読後感が全身に染み渡る、まさしくそんな名盤であります。       

夏を間近に控えた高原の夕景を、恋人未満の2人の自転車が滑るように丘へ上りゆく描写。曲の世界はこれだけしか描いていなのですが、すみれ色に広がる空の情景と共に、なんとも言葉にし難い高揚感、多幸感が、前奏から段々に展開されます。             

この楽曲を私が勝手にSi曲の金字塔と推す理由は、美しきSi表現に加えてユングが指す各種心理機能が効果的に歌詞に載せられている点にあります。

歌詞は、高原の夕景と丘に自転車で丘に向かう2人の男女の「今、ここ」を端的に、鮮やかに切り取った外向的感覚(Se)の場面であり、時制は「現在」を指します。

ですが、同時に、「いつしか今日の日も思い出に少しずつかわる」「ひととき神様 息をかけないでね 素敵な光ほど移ろうのだから」とこの現在もいつしか思い出に変えてしまう、光もまた移ろいでしまうと、はかない未来を示唆する内向的直観(Ni)と現在(Se)を並行して置くことで、夕景の経時変化と心理的変化の対比が緩やかに表現され感動がふつふつと増幅されます。    

そして肝心のSiについて。ユーミンのSiから豊かに生み出される「夏へ急ぐ空」「向かい風そっとほほつねってみて」「ひととき神様、息をかけないでね」といった一連の詩的表現たち。どうしたらこのような表現を生み落とすことができるのでしょう。歌詞もさることながら、メロディやアレンジも歌詞に呼応して、夕景と彼への思慕が聞き手にも伝わり、感動を一層に募らせる。初夏から晩夏にかけて無性に聴きたくなる素敵な一曲です。

目に映る世界を一旦、内的世界の泉(Si)に沈め、それを両の手で掬い取って表される瑞々しい言葉たちといったら…。つくづく、これら傑出した内向的心理機能こそが、ユーミンならではの圧倒的世界観を形成しているのだと改めて感じ入ってしまいました。       

■芸術作品に触れる=Siの本領

私にとってのユーミンの歌の意味。それは、自我と自己の内奥に潜む内的世界、内的宇宙とを深く共鳴することをユーミンの歌が橋渡しをしてくれること。私のなかでユーミンの楽曲達はこのようなかたちで長いこと存在しています。

でも、これはおそらく、一般的な芸術鑑賞や工芸作品に触れることで得られる意義といったものともある種、近しいかもしれないです。そう思うと芸術ってやっぱり奥が深く、人の営みと切っても切れない強い繋がりがあると感じます。

以上、相当に主観的な説明になってしまいました。季節の移ろいとユーミンの曲は大変に親和性が高いので、夏の終わりから秋の夜長のお供に是非とも一聴いただけたら、と思っております。                                 

以上、長文のところお目通しをいただき有難うございました。                    

          


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?