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社会不適合者黙示録 思春期編(4)

中学進学早々、友達を失った自分。いや、そもそもいなかったのだ。

人間関係でこじれてるなら、それ以外で充実させればいい。そう思ってまずは部活に入隊した。多分この中学は部活入隊必須だったとは思うが、正直、どの部活も魅力的には見えなかったので、小学生の時からやっていたサッカー部に入ることにした。この部活はけっこうハードな練習量で、この先の土日祝は引退までほとんどなくなっていくものとなる。きついなら、もっと別の選択肢があったのではないのか、とも考えそうなところではあるが、当時の自分には最適な解であるのだろう。

というのも、用事を作らずに家にいても居場所がないからである。当時は父によく怒鳴られた。中には理屈の通らない理不尽で押し通された時もある。言い返そうにも、こちらの正当性を一度たりとも認めてくれることはなかった。こうして自己効力感を失い、逃げ場を求めグラウンドへと一時非難していたのである。

もちろん、父も会社でストレスをため込んでいたのだろう。40代半ば、ちょうど面倒な上司と問題の多い部下との板挟みになる時期だ。ついでに、泥に顔を描いたかのようなどうしようもない先輩もいたらしい。今は父と仲悪い状態ではないので同情はするが、八つ当たりだけはやめてほしかったところだ。

また、他の部活を始めようにも、自分にその才能があるとはいいがたい。もちろん、今の自分とは考え方が違う。今ならとりあえず面白そうなものはやってみたいと考えるが、学習性無力感とは恐ろしいものである。これ以外の方法が思いつかなくなるからだ。

部活は疲れる。家では休まらない。それなら学業はどうか。
幸い、勉強は問題なくできていた。というのも、中学の難易度では、今の自分のように好奇心にそそられて向上した能力とは違うだろう。頼れるものがこれしかない、というある種の強迫観念によるものだ。学校の教材では味がしない。通っていた塾で使っていた教材は比較的難易度の高い教材を採用していたのだが、それも毎週少なくない量の宿題を出してくる。僕にとっては、これを言い訳に自習室に逃げられるのでありがたいものだった。

その塾のシステムとして、成績上位者は隣町の校舎で授業を受けることになっていた。そこでは、当然ながらその周辺地域の学校に通う同学年と一緒に授業を受けることになる。つまり、同じ中学のメンバーはほとんどいないということだ。これがどれだけうれしいことか。学校内の浮いた人格を気にせずに、その場に存在させられるということである。多くとも1クラス15人までという少人数制の塾ではあったが、学校内で関われるヒトの数より、ここでしゃべれる人数の方が多いだろう。それくらい、自分にとっては居心地のいい空間であった。

幸福というのは、錯覚の上に成り立つものなのかもしれない…

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