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社会不適合者黙示録 思春期編(6)

それでも塾の方が居心地がよかった。思春期の少年には適切なレベルのコミュニティが必要なのだろう。

学校という空間では、あまり時間をかけずに仲のいいグループというものが出来上がっていく。それが本来の姿だ。そしてそのグループにもランク付けが存在する。2年生に進級してからは、自らの立場を守るために、またもや高ランク帯に潜り込むことにした。本当は向いてないくせに。

彼らは休み時間が来るたびに某スマホゲームの話をしている。そんなに毎回しゃべる内容があるものか。スマホが中学生にも普及し始めたぐらいの時代、僕は持っていなかったのでよくわからなかった。

当然ながら、彼らはクラスのグループラインでつながっていた。スマホを持たない自分は入隊していないが、むしろそこに入らなくていい理由になるので当時はスマホを欲しいとは思わなかった。外側ではつながっているように見られたいのに、密接には関わりたくないという奇妙な距離感である。

まあおそらく、彼らと仲良くなりたいわけでも、一緒に会話を楽しみたいわけでもなく、周りからの見られ方を気にしていたということなのだろう。クラスからは浮いてる存在だということはたいていの人は気づいていただろうが。

思春期の彼らは残酷だ。自分以外に嫌われていた人がいる。ここではらいおんと呼ぶことにしよう。らいおんは一見群れの統率者のようなリーダーシップを発揮することが多かったが、実際はナルシストかつ自己中心的な人物であったため好かれなかったのだろう。2年生が終わるときの打ち上げでは、らいおんに気づかれないようこっそりと別グループが創り上げられて行われたという伝説が、数年後に笑い話として有名になっていたが、もちろん僕は参加の案内すら来ていない。

「そうらしいね。僕は同じクラスだったけど行ってないよ。」

この一言で話題を即座に切り替えることができる。

このように、中学2年間過ごした時点で味方という味方は存在していなかった。らいおんは周りの腐肉達から「友達のふりをしている」と影で揶揄されていたが、僕の場合は(略)といった感じだっただろう。2年の最後に担任から「来年は誰と同じクラスになりたいか。逆に嫌なのは誰?」という面談が全員にあったが、その時点で上手な人間関係を気づけていない自分にとってはよくわからない質問であった。「誰でもいい。気にしてない。」と答えた気がするが、正直なところは一緒がいい人なんていなくて、ほぼ全員嫌いと言ったところだっただろう。それを言語化する実力は自分に無かった。

周りのレベルがとにかく低いと心底見下していた。それでも中枢機能が腐肉側にあれば、適応しなければいけないのはこちら側だ。それにしても、会話はどうすれば成立するのか。やはりスマホを獲得してモ○○トを始めた方がいいのか。メントスをコーラに放り込んだ方がいいのか。いじめに加担した方がいいのか…

家では、家族全員同じ寝室で寝ていたが、いつからか自分の部屋で寝たいと思うようになった。別に隣で寝る人の寝息が気になるとかではない。外では味方のいない自分にとって、孤立した空間ではなく孤独が正当化された空間(=自分の部屋)は気持ちを整理するためには必要だったということだろう。

その枕はびしょびしょに濡れてしまうことが多かった…


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