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学会遠征編ショート版 第20話

正しい時刻

 こうして正しい時刻の町、明石へ辿り着いた。到着直前に科学館っぽい建物を見かけたが、あれはおそらく日本の標準時子午線について取り扱っているのだろう。改札を出てすぐのところで父親が待っていた。白い上着を着ていて、目立つ格好ではないがすぐに合流出来た。僕は徳島や淡路の名残で涼しいかっくおをしてただけに寒くないかと聞かれた。上着は持ち歩いているので問題ない。合流出来たことを母に報告するために写真を撮りたいと言われ、顔ハメの写真スポットまで行った。看板の隣に立って1枚。上手く撮れたようだ。駅を出て町の概観を見た。北にある広い土地が明石城らしい。ここからは立派に見えるが、見えているだけで終わりのハリボテらしい。「行かないよ?」と言われ、引き返した。あそこはキャッチボールをするところらしい。駅近くの花壇に腰かけ、スーツケースを解錠する。徳島のお土産は預けることにした。家族用のお菓子と、バイト先へもっていくお菓子だ。どちらも箱に入っているものなので、それなりに大きい。それと、読み終わった本とスーツのジャケットも預けた。常時30℃を超えるような場所でジャケットなど逆にTPOに反しているからだ。この後のタイでもいろいろ買うと思うので、できるだけ空間は残しておくことにした。昨日ドイツ館で買ったカヌレのもう一つはここで父親にあげた。自分で持っていても腐るだけだ。これでひととおり預けるものは預けた。
 これらの荷物を置いておくために、車のある所まで移動した。今は車検に出していて、そろそろ終わる時刻だということで、回収もかねての車である。ここで乗っている車は会社の物である。やや大きい車体に、会社のロゴが見やすく描かれてあった。仕事で使う道具がいろいろと積まれている。荷物を載せ、すぐ近くの駐車場に車を移動させた。これからほんの少しの観光と夕食をとるため、スーツケースも一時的に載せておいた。歩きながら、明石という町の特徴について教えてもらった。ここはビジネス街ではなく住宅街だというのがまず一つ。地形的には、1kmも先には海があり、そのギリギリまで山なので平野部が狭い。そのため、マンションのような集合住宅がほとんどで、僕の見渡す限りは一軒家は見つけられなかった。逆に、ビジネスのにおいがするような高層ビルもなかった。ここは住むための町という役割だそうだ。京都にも簡単に行ける。ただし、山からの吹きおろしや海風などの風は強いらしい。それ以外は何も問題がないところだ。確かに、今回の旅行で滞在してきた都市の中ではずば抜けて住みやすそうな町だ。駅も、名古屋や難波ほどではないにしろ活発に利用されている。
 夕食は明石焼きだ。事前に何を食べたいのか聞かれ、せっかく証に行くならと明石焼きを要望したからだ。本当は父は西明石に住んでいるが、明石の方が飲食店が多いということでこちらになったのだ。まだ17時前後だが、早めの夕食にした。この辺りはすぐに店が閉まってしまうらしい。店の多い商店街に足を運んだ。ただただ親子で歩いているだけなのに、懐かしいような、童心に帰ったような気がした。近所にこのような商店街はなかったから、こういうところを歩くのは年に一度の家族旅行くらいである。どこに旅行行ったっけな。シャッター街ではなくまだ活気づいている通りだということもあって、よりいっそう一昔前の時代に戻った気分になった。明石焼きは店によって味付けが違うらしいので、父のおすすめの店にした。イートイン可能なところだ。お客さんはそんなに入っていなかったので、好きな席に座ることができた。一人15ヶの明石焼きを2人前と、鯛の刺身を注文した。その待ち時間は、徳島の学会についてゆっくり話した。学会は上手にできたと聞いて、父はほっとしているようだった。先に鯛がやってきた。徳島に続きまた食べられるなんてなんと嬉しいことか。もう少しして明石焼きもそれぞれやってきた。父がお店の人に食べ方を聞いていた。付属のお出汁や卓上の調味料などを使って、15個飽きずに食べられるみたいだ。こうして久々の親子の食事となった。「明石焼きは、上品な味なんだ。たこ焼きと同じ扱いをされると怒られるよ。」確かにその言葉通りの味だった。我々の入った店は白出しベースの卵焼きで包まれたような味だった。市民の民度が出ていると言ったらどちらかから反感を食らうかもしれないが、確かにたこ焼きとはタコ以外の共通点はあまりないように思えた。出汁にワサビに醤油など、いろいろ試したので最後まで真新しさを堪能できた。お店に出るとき、既に父がお会計を済ませてくれていた。小さい時なら何も思わなかっただろうが、せめて自分の分くらい払おうと思っていたのは何かしら大きな心境の変化を体験していたということだろう。よくよく考えてみれば一緒にいたのは父親である。多分自分に子供がいたとしたら同じようにしていたことだろう。個人的にはチップを出してもいいくらい美味しかった。店を出るころにはお客さんの数がいい感じに増えていた。これくらいの時間が市民の夕飯時なのだろうか。
 予定としては19時くらいにここを出るつもりだったが、まだまだ時間は1時間以上ある。暇なのでやっぱり明石城を見ることにした。あくまでも住宅街なので、これくらいしか見るものがないのだ。敷地内に踏みこんでみたら、あの言葉通りだった。キャッチボールが盛んに行われていた。あとはせいぜいジョギングと犬の散歩だ。広くて歩きやすい土地というだけの、何もない広場だ。とはいえ石垣の上が気になるのでそちらを見てみることにしたが、やはり何もなかった。その代わり、南を向けば街を一望できる。夜景の綺麗な神戸とは違う、穏やかな集合住宅地という感じだ。もう少し時代が進めば高齢者だらけになるかもしれない。確かに平野部は狭く、すぐそこに海があった。ということはあの奥にある島は…淡路島で合っていた。高速バスで橋を渡るときもそんなに時間がかからなかったことからも距離の近さはわかっていたが、いざ実際に見てみると、こことあそこは生活の利便性が全然違うので、異国のように思えてしまう。ちなみに淡路島のお土産は何もない。
 駅に戻る道で何かいるものはないかと聞いてきた。親としてできることがあるならしてあげたいという気持ちはありがたいが、荷物を預かってくれたことや明石焼きをご馳走してくれただけで、何ならここで会ってくれただけで十分だと思っていた。とはいえよくよく考えてみたら、虫除けスプレーはいるだろう。調べてみたら、マラリア、デング熱…シャレにならない。逆になんで今まで気が付かなかったんだというくらいの重要アイテムだ。飛行機に持ち込めるか心配だったが大丈夫そうだったので、携帯できるよう小さいものを買ってもらった。他にはないかと聞かれ、強いて言うなら容量の少ないお茶ももらった。空港で手荷物検査をするまでの飲み物だ。これにて明石でのミッションは完了。ここまでの冒険はきちんとセーブできたようだ。時間は少し早いが18:30頃に父親とは解散した。駅の改札を通過し、手を振った。ホームへと向かう僕が見えなくなるまで見送っていた。少し昔のことを思い出しながら、どんどん小さくなっていく親の影を確認した。高校時代はあまり親とは仲良くなかったな、高校の送り迎えをしてくれているときはほとんどしゃべらなかったなと。あれから時が経って、自分も成長したのだろうか。それとも時間とともに悪い部分だけ風化したのだろうか。もしくはお互い物理的な距離を取ったことで心理的距離が逆に安定したのだろうか。怒りっぽかった父親も、穏やかな性格になっていたのは安心した。これが自立というものだろうか。こうした思いをはせながら、次なる戦場へと向かった。ここからはまた孤独の戦いとなる。もう一勝負、バンコクへ。

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