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学会遠征編ショート版 第11話

美術館 午前

 外でチケットを買い、入場することができた。学生証をもっていけば、学生料金2,200円で入ることができる。建物にはいったら、まずは巨大なエスカレーターが待ち構えていた。どうやら、入口は山の中にあるということになっており、エスカレーターの上った先の、地下3Fから見て回るという構造である。そこには西洋を思わせる巨大な大聖堂が形作られていた。ちょうど解説の人が熱弁していたところだった。世界史には詳しくないので、ああこれか!とならないのは惜しかったが、後から調べてみたら、これはシスティーナ礼拝堂を模擬したものらしい。実際の作品は完成に3年かかったと解説でされていたような気がするが、こちらの美術館のものは完成にどれくらいかけたのだろうか。このあたりで、モドキから「今から出発する」との連絡が入った。もうすでに僕は館内にいるのでその写真を1枚だけ送り付けておいた。もしかしたら合流できるかもしれないが、彼らは午後から渦潮の遊覧船に乗るようなので、どのみち長い時間の付き合いにはならないだろう。壁際を歩くと、ほかにもいろいろな作品があることに興奮した。中には、あの米津さんのレモンの絵もあった。ハッピーで埋め尽くされた。展示場は、古代から中世、近世、そして現代のように、時系列順に作品が並んでいる。どれも見ごたえのある作品ばかりで、歴史の知識が中学校までで止まっている自分でも知っているような有名作品に出くわすことが多かった。作品の一つ一つに解説がついているのだが、それらをすべて熟読しようとすると、とても回り切れそうにない。気になったものだけ写真に撮っておき、後で読み返せるようにしようと思った。どの道空港の待ち時間など何もすることがないだろう、そう踏み込んでの作戦である。作品の写真も、ある程度限定することにした。写真を撮ることばかりに気がいくと、本来の楽しさを味わえないような気がするからである。実際、近所のねこさんを触るときも、ある程度写真を撮ったら、あとは触ることに全力を注ぐようにしている。ちょんちょんもそうだ。写真以上の思い出がある。
 話を戻し、地下3F。パンフレットによれば、おすすめの巡回経路があるようだが、そんなものは当てにしない。己の感性を研ぎ澄まし、気の向くままに見て回ることを最重視して歩いた。歩くルートにいちゃもんを付けられないのは一人旅の一番のメリットだ。連れ添いへの配慮というのを気にしなくていいだけ気が楽だ。中でも、ヨーロッパにおいては最も重要であろう某氏の磔の絵は記録を欠かさなかった。特に信者というわけではないが、無視できる歴史でないことは客観的に考えても明らかだからだ。この磔の写真たちを選別して彼女に送ってみたら、ニッカウヰスキーでお馴染みのあのおじさんを冷蔵庫にはりつけている写真を返してきた。僕の写真の意図を汲み取る優秀さに感心するのと同時に、業の深さに戦慄を覚えた。作品は額縁に入った絵だけでなく、壁画のような、空間ごと作品になっているところも多く、なんなら挙式も挙げられるそうだった。モドキの彼女は偽物ではあるが、万が一うまくいってしまった場合、その彼女はクリスチャンなので、最適な場所かもしれない。山の中なので、地形の都合上、一部分は外になっていて、突如として青天井になるゾーンがある。深い歴史の奥底から、一瞬だけ現代の自然に解き放たれるような感覚だ。その景色は昨日に訪れた鳴門公園と変わらない。青い海に清々しく晴れた空。青色というのはきれいな色なのだ、と自然の美しさに上機嫌になった。再び建物の暗いところに入る。作品をしっかり見られるよう、眼鏡をかけることにした。B3Fにお土産店もあるようだが、これは引き返す道で見ていくことにしよう。
 そう思い、B2Fへと上った。上がってまず迎えてくれたのはピンク色の綺麗なお花たちだった。真ん中に座るところがあったので、写真スポットなのだろう。その時点では、小さい女の子がパパに写真を撮ってもらっているところだった。その次は若い女子二人組だ。人が映り込んでしまうので僕は写真を撮れなかったが、連れがいたら写真を撮れたのだろうか。一人旅の歯がゆいところである。もしモドキたちに合流出来たら写真を撮ろうかなと考え、他を見て回ることにした。中世のコーナーは、やたらと裸体が多かった。それも、男女関係なく全裸であり、肉付きも妙にリアルである。これがルネサンスの賜物なのか。この部屋でなら全裸でじっとしていても他の人にばれない気がする。あくまで作品として鑑賞することにしたが、このあたりを歩いていた時だけやましい写真ばかりとなってしまった。また、殉教者の絵はなかなかに刺激的だった。もはや拷問にしか見えない。現代でこのような絵を投稿したものなら、瞬く間に年齢制限がついてしまうことだろう。その他には、この階からもシスティーナは見れた。相変わらずの圧巻だ。
 時刻は11時を過ぎたころ。本来の予定では、ここまでお金を使いすぎたことを反省して、昼飯を自制し、りんごがかってくれたコンビニのおにぎりを食べてやり過ごすつもりでいたが、この時点で空腹感が十分に来ていた。おそらく、昨日の夜に胃の中身をリセットしてしまったことと、朝が早かったことが原因となっているのだろう。カフェっぽい店があったのでそこで休憩することにした。少しでも節約するため、おしゃれな飲み物は✕だ。お茶なら店内で汲み放題なので、それを飲むことにした。食べ物は、「最後の晩餐カレー」という謎のカレーライスにした。他には海鮮丼もあったが、毎日食べられるものではない。たまには軽いものも食べたいのだ。このとき、昨日の仲介人の言葉を思い出した。今は優しさを取り戻したいのだ。カレーは軽いかと言われたら困るところだが、辛すぎるものではなかったので親しみやすさは充分だろう。その具材にはレンコンに茹でエビ、ヤングコーンなど個性派が勢ぞろいで、軽いと高をくくっていたことに申し訳なさを感じた。胃もたれはしないものの、食べ応えがっておいしい。ラッキョウもついていた。これが優しさなのだ。座っている席は外の景色が見える暖かい席。風通しもよくて素敵だ。こうして満足な昼食をとったところで眠気が来る。そうだった。昨晩はよいと頭痛でまともな睡眠をとれていなかったのだ。まだ12時前で混んでいないので少しだけ休もう、そう思って目を瞑った。時間のたたないうちに、店内のお客さんの数は増えていく。飯時なので当たり前だが、これ以上は場所を取っていてはいけないと思い、その場を去ることにした。歩けば目も覚めるだろう。

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