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【短編小説】金継ぎ

雨上がりの森の中の空気を大きく吸い込んだ。
地面は湿り、草木たちは濡れ、どこか新しい知らせを告げるようなそんな匂い。
そんな空気を肺いっぱいに吸い込んで、私は工房へ向かった。
誰もいない静かな工房。
工房は、たくさんの作品たちと祖父母との思い出で溢れかえっていた。

今年の3月、まず祖母がこの世を去った。
祖母は、陶芸家である祖父を支え、時に見学に来る人々をもてなしていた。よく喋る快活で優しいおばあちゃんだったけれど、持病が悪化してそのまま亡くなってしまった。
彼女が亡くなってから2ヶ月後、つい2週間前、後を追うように祖父も逝ってしまった。
彼は寡黙で、絵に描いたような職人だったけれど、彼女をとても愛しているのが普段の眼差しから溢れ出ているような人だったから、無理もない。
そして、私は正真正銘の“ひとりぼっち”になった。
二人がいなくなってから数日は、このままのたれ死ぬのではないかと思うほど沈んでいたが、なんとなく2人に怒られる気がしたのでとりあえず工房へ足を向かわせた。

ふたりを感じる空間に目の奥がツンと痛んだが、しばらくしていなかった工房の掃除をすませた。しばらくすると、扉についた小さな鐘がカランカランと鳴った。
『すみません。ここで、食器の修理をしているとお聞きしたんですけどあってますか...?』
大きくてクマのような男が、背中を丸めて小さい扉をくぐって入ってきた。
「ええ、していたんですが...実は、この工房をやっていた祖父母が先日亡くなってしまいまして...」『どうしても無理ですか...!?』
言い淀んだ私の手をすくい上げるように両手で掴んで、大型犬のような目で私に懇願してきた。
「無理というか...私も手伝う程度だったので祖父ほど綺麗には仕上げられませんけど...」
祖父はその世界では有名な陶芸家だったのもあり、陶芸に関することへ引け目を感じていた私からすると、内心どうか引き下がってくれという気持ちで一杯だった。
『それでも良いです!!お願いします!!』
私の願いも呆気なく崩れ去り、この大男の願いを叶える羽目になった。

彼から頼まれた食器は、明らかに彼が使う大きさでは無い小さなお茶碗だった。
それを私は、祖父が修理として行っていた「金継ぎ」という方法で直すことにした。「金継ぎ」というのは、漆で割れた破片を繋ぎ合わせ、その上から金粉をかける伝統的な修理方法で、大体2週間弱かかる作業だ。私は、祖父のやっていた工程をなぞりながら必死に食器に向き合った。最初は半分嫌々だったが、修理を終える頃にはこの小さなお茶碗にも愛着が湧いてきた。
それに依頼してきた彼は、修理が終わる最後の日まで毎日工房に顔を出した。
『ずっとおじいさんの見習いをしていたんですか!すごいなぁ!!』
『よくこんな細かい作業できるね...僕の手じゃ到底無理だ...』
私の一挙一動にリアクションをし、表情をコロコロ変えていた。そして、彼の一挙一動も私の心を動かしていった。

「貴方がいなくなったら、きっとこの工芸も終わりですよ」
と修理が終わった日、乾いた笑い声と少しの名残惜しさと共にその言葉を告げると、

『続けないんですか?今じゃ貴方は僕にとって世界で一番かっこいい職人さんなのに』

彼は柔らかい笑顔を残して、大事そうにお茶碗の入った袋を抱えて去って行った。

あれから数日後、祖父母のお墓に出向いた。
「...え?」
数日前修理したあの小さいお茶碗が、二人のお墓にぽつんと置かれていた。それを見た瞬間、小さい頃祖父母と一緒に作った小さなお茶碗を思い出した。上出来とは言い難い作品だったけれど、出来栄えを見て落ち込む私に二人がかけてくれた言葉も鮮明に思い出した。

「世界で一番かっこいい職人さんやなあ」

彼が誰だったのかわからない、なぜここにこのお茶碗があるのかもわからない。
けれど、確かに私はこの不思議な出来事に背中を押されて、また再び工房へと向かった。

作者: 碧(あお)

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