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「ミイラ取りの苦悩」 (短編小説)

住宅街を大きく外れ、黄金色の田んぼの主張が激しくなった一角に目的のおじいちゃんの家がある。
腰までの生垣が取り巻く黒い瓦の豪壮な日本家屋が、杉林を背に鎮座していた。
入り口を通り遠慮なく脇を抜け、飛び石を渡り縁側のある庭の方に入る。

白髪でやや曲がった背が見えた。
おじいちゃんは庭の一角に設けた菊の鉢の群れに水をあげていた。
おばあちゃんに先立たれたあと、悲しみを振り切るかのように観賞用菊(羹 あつものと言うらしい)に没頭している。
「じいちゃん、来たよ」
振り向いたおじいちゃんの持つ散水ホースが俺のスーツのすそを濡らした。
飛び退くと、「すまん、すまん」と重みのない声で謝る顔はどこか愉快そうだ。

ここに来る途中、コンビニで買った塩豆大福と芋けんぴを渡すとお茶を入れるからと、よたよたと縁側を上がり台所に向かった。

縁側から見る風景は、都会育ちの俺にもなんとも言えない落ち着きを与えることに毎回驚く。

「ありがとうなぁ、そういやぁいつも塩豆大福と芋けんぴを買ぉてくれる若い衆がおっての」
「いや、じいちゃん、それ俺だって~」
痴呆が始まったのか毎日来る俺のことも、どこかあやふやになってるようだ。

切り出すなら早い方がいい。

「じいちゃん、折り入ってお願いがあるんだけど」

「ほう、帰りに茄子を持って帰え…… ごふっ」
頬張った塩豆大福をのどに詰まらせたのか、みるみる顔が真っ赤になっていくおじいちゃんの背中をさすっていると、けたたましく居間の黒電話がなった。

お茶を飲み干し大きくため息をついたあと、膝を支えるように立ち上がり電話をたしなめるように取る。


「はいはい、もしもし。 ……はぁ息子が事故? 息子なら今、ここにおりますがの」
ややあって電話を切ったおじいちゃんは首をさすりながら縁側に戻ってきた。
「まったく今の世の中、油断も隙もありゃしない。  なぁ」
じいちゃんは日焼けした深く刻まれた皺を、より深くして笑ってみせた。
「しんどい時にゃ、いつでもここに来い。 お前さえ良けりゃ……」
そう言って垣根の向こう、風になびく金色の稲穂に眼をやった。
首の後ろがじんと熱くなって、俺は膝に置いていた書類カバンを身体の脇に戻す。

「なんか息子とか言ってしもうたわい。 すまんかったのぉ。  で、折り入って話しとはなんじゃたかの」
照れくさそうに破顔したじいちゃんの眼は、地底湖の水面のようだ。
虚を突かれたようにハッとした。
「い、いえ、いいんですよ大村さん」
「いつも通り、じいちゃんでえぇんじゃよ」

俺は笑いながらカバンから取り出した「大村家立退買収計画」をおじいちゃんの目の前で何回も破いた。
必死に顔を作ってはいたが、笑っているのか泣いているのか自分でも自信がなかった。

早秋の山から吹き下ろした風が黄金色の穂を揺らし、ふたりのあいだを抜けてしんとした居間に染み込んだ。


……潮時だ。
今度は真っ直ぐな眼で、おじいちゃんに逢いに来るだろう。
おじいちゃんの好物の塩豆大福と芋けんぴを持って。

その時は、心の底から笑顔が見せられるような自信があるんだ。




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