「落ちないでハンプティダンプティ」 (雑記)
まさか、自分が単身赴任になるとは思わなかった。
それも大阪のど真ん中である。
目紛しく毎日行き交う人の洪水に、ようやく慣れた電車の乗り継ぎ。
だが、本当に割り込みがひどいのには閉口した。
早朝、乗り換えの駅であるホームに立っていると、点字ブロックと自分の前にグイと入る影があった。
それが、通勤電車でいつも向かいに座る男性。
英国紳士風のスーツにキャメル色のマフラーを巻き、細身の足もとには茶色のシューズが磨き込まれた輝きを放つ。
短く刈り込まれた頭髪は、年齢のためもあるのか額が後退しつつある。
卵型の顔にやや着膨れのためか、その細い手脚が余計に際立って見える。
まるでハンプティダンプティのようだ。
毎朝、乗り換えのために電車を待つ時間も列も同じで、電車の社内で陣取る席もまた同じ。
それを同じ画角で見ている自分も、また同じルーティーンなのだが。
合縁奇縁、縁に連るれば唐の物を食う。
そんな毎日のなかで、ハンプティダンプティの印象が変化していくのを感じた。
大雨や人身事故による電車の遅延のアナウンスが駅構内に発せられた日は、彼がいつもの時間に来なかったのを見て彼の乗って来る路線が判明したり。
そうして姿を見せた彼に、どこかホッとする自分にすこしおかしくなったりしてしまうのである。
いつも時間を気にしてか、速足で改札を抜けて転がるように危なかしそうに陸橋を駆け降りていく。
鏡の国のアリスでは、塀の上から「ことばの重要性」をその不遜ともいえる態度で高説を打つ。
Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
Couldn't put Humpty together again.
ハンプティ・ダンプティが塀に座った
ハンプティ・ダンプティが落っこちた
王様の馬と家来の全部がかかっても
ハンプティを元に戻せなかった
(童謡 「マザーグース」より)
ハンプティダンプティの正体は卵であり「壊れると元には戻らない」比喩の代表として使われることが多いが、自分に対する戒めとしての暗喩の象徴であったのではとも考える。
パートナーの信頼を裏切り信用を失墜させ、同時期に転職せざるを得ない状況になったのも、自らの巻いた種であった。
イースターのお祭りにおいては、卵は復活の象徴として街にあふれ「ふたつとない大切なもの」を再確認して感謝を捧げるという。
それを日々のなかにサブリミナルとしてハンプティダンプティ、彼こそ示唆していたのではないかと思わずにはいられない。
この自分も、大変に脆くも大切な日々に囲まれていること忘れていたのではないか……。
もうすぐ自分の単身赴任も終わり、彼と会うのも今日が最後になるだろう。
彼もわたしもマザーグースや前述の鏡の国のアリスのように、塀ならぬ陸橋から転げ落ちて壊れないよう祈るばかりである。
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