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この札の役割

帰省していた娘が、昨日帰って行った。
1週間の滞在。

明日は九州へ帰るという前夜
第2回花札大会をやることにした。

1回目は昨年のGWにやったのだが、
意外にも夫と娘に好評。

100均で買った花札


100均でトランプを買おうとしたのに、ふと花札に手が伸びた。

そうだ。

私は、娘と花札がしたかったんだ。

いつだったか忘れてしまうほど遠い記憶だが
確かに、そう思ったことがあった。



私が小学3,4年生の頃だったか。
夜、父が「花札をやろう」と言い出した。

中二病の兄は、とっくに家族としゃべることをやめて、
姿すら見せなかったし
母は私が5歳の時に他界している。


どこから出してきたのか、父の手には
古びた花札があった。
座布団の上に数枚の札を並べて
私にも札を配る。

父は私の手札を覗き込み、

「コレとコレとが仲間な!
こんなふうに重ねて自分の前に持ってくるんや」


それはそれは、うれしそうだった。



いろんなルールや札の組み合わせの点数を、ていねいに教えてくれた。

(上)月見で一杯→150点
(下)名前は?…100点だったかな・・・
(上)松桐坊主→300点
(下)猪鹿蝶→300点

子供心にも、この花札勝負がメチャクチャ面白かったのだ。

娯楽の少ない限界集落の地に暮らしていた子供の頃。
休みなく働く兼業農家だった父の
ささやかな息抜きだったのかも知れない。

私は父親っ子だった。
職場にもよく連れて行ってくれたし、
そこでも皆に可愛がられた。
農作業の手伝いも一緒になってやった。

小6の夏、父は再婚相手を連れて来た。
私はどこかホッとしていた。
苦労してきた父が本気で好きになった女性のようだったし
この先、父のパートナーとして誰かにそばにいて欲しいと思っていたから。


中学、高校と進むにつれていつしか父との会話もなくなり
顔すら見なくなった。
でも母がいる。
安心して私は、故郷を離れたのだった。


それから数年ののち結婚した。
娘を授かり、ある時ふと思ったのだ。
いつか大人になった時、一緒に花札やりたいなあ・・と。

もちろん本人が嫌なら無理強いはしない。
娘が20代半ばになって、そろそろ聞いてみようかと思い
花札を買った。

やっと聞いたのが昨年のこと。
「やるやる!面白そうやん!ルール教えて」
夫の説明にうなずく娘。
呑み込みが早い。

私の方がダメダメだった。

父の教えてくれた札の組み合わせは
存在しないものも混じっており
点数の付け方も全然違う。
夫のルール説明も、なかなか覚えられなくてボロ負け。

でもいいのだ。

父が分かりやすく教えてくれたあの日の思い出が
そのまま残っている。

何より娘が楽しそうに勝負している、その笑顔が見られたからいいのだ。
きっと、私はあの日の父の胸の内を、追体験したかったのだ。


不思議だったのは、教えられたこの札の役割が全く違った事だ。

鬼札

父はこの札の事を
「何の価値もないカス札」
と言った。

私はそれを、ずっと信じてきたけど
本当は
どんな札より強くて、
何でも取れる最強札(鬼札)である事を、夫の説明で知った。





花札をする時の父は
本当にうれしそうだった。

私は父によく勝った。それも大差で。
大人の父に勝てるのが嬉しくて
何回も勝負した。

父がなぜ
鬼札の事を
言わなかったのか
今となっては聞く術もない。

その役割を使ったら
自分が容易に勝てる。

知らないフリをして
自分が負けたのか。

有りもしない組み合わせの点数まで
作って教えて。




父は7年前に他界した。
故郷を離れた私は
ほとんど帰省することもなかった。



45年以上経って、
やっと鬼札の正体を知った私を
空の上から、笑って見てるかも知れない。











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