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『ペルシアン・ブルー8』

  10 パリュサティスの章

 春分を迎える季節、高地にあるパルサの聖都は、まだかなり寒かった。

 冷たい風の渡る紺碧の空の下に、白い列柱とレバノン杉の大屋根を持つ、巨大な宮殿群がそびえ立っている。王族用の女馬車は、兵に守られた長い行列の一部となって、そこへ近づいていく。

 この聖都の周囲には、職人の町や官吏の町、食料を生産する農村地帯が広がっていた。

 狩猟犬専用の育成所もあれば、公用馬専用の牧場もある。『楽園ヘデン』と呼ばれる、緑豊かな王専用の狩場もある。

 美しい庭園に囲まれた貴族や高級官僚の屋敷も点在し、広い街道には、緑の並木が見渡す限りの列をなしていた。彼方の山々から流れ下る雪解け水が、人工的な水路によって高原中に張り巡らされている。

 それでも、冷たい雪が降る冬の間は、ずいぶんと静かで平和な都だったに違いない。それが、新年の祭儀の時期だけは、宮廷丸ごとの大移動によって、人と馬と駱駝、山羊や羊などで溢れ返るのだ。

 帝国の行政府であるスーシャの都から、あるいは古都バビロンから、この祭礼都市まで続く整備された街道は、金や銀の装飾をきらめかせた騎馬と馬車の行列で埋まっている。

 立派な部隊を連れた属州の総督たち、飾り立てた貴族とその子弟たち、駱駝の隊列に貢ぎ物を積んだ裕福な商人たち。ギリシアのポリスからの亡命者や、海沿いの植民都市からの訪問者も、宮廷には数多い。そして、遠い外国や属州からの使節たち。

 彼らが各地から運んでくるのは、壺に入れた砂金、あるいは銀の粒。色とりどりの宝石。精巧な金銀の細工物。

 リビアの象牙と毛皮。エジプトの上質な亜麻。おびただしいパピルス。

 アラビアの奥地で取れる香料。水晶や雪花石膏の瓶に入れた香油。

 草木で染めた、インドの木綿の布。

 はるか東の国で産するという、珍しい文様の絹地。

 極上の羊の毛で作った、しなやかな毛織物。

 地中海沿岸からの葡萄酒にオリーブ油。フェニキア特産の、貝で染めた紅や紫の布。

 頑丈な檻に入れられた、成獣の虎や豹。あるいは獅子の親子。

 さまざまな肌色の、若い女奴隷たち。宦官にされる予定の、哀れな美少年たち。

 ナイル流域からインダス流域まで、事実上、この世界の大半を支配している帝国には、あらゆる地方、あらゆる部族が貢ぎ物を差し出してくる。ギリシア遠征という局地戦から撤退しても、バビロンやエジプトで繰り返し反乱が起こっても、帝国全体の繁栄には何の変わりもない。

 パリュサティスたちが到着した王宮の内外は、新年を迎える華やかなざわめきに満ちていた。きらびやかな一万人の『不滅部隊』に守られた王の行列と、それに続く後宮や随員の行列、貴族たちの行列が都入りするのに、全部で何日もかかる大騒ぎなのだ。

 役人たちは部屋割りに頭を痛め、荷物の振り分けを手配し、さまざまな苦情を受け付けては走り回る。奴隷たちは山のような荷物を運び、水を汲み、火に薪をくべ、何十箇所もある厨房に料理の注文を伝えにいく。
 楽団と踊り子たちが、あちこちの宴会場に急ぐ。案内をする宦官が、祭儀の準備をする祭司とぶつかりそうになる。

 宮殿に入りきらない者たちは、外の平原にずらりと幕舎を並べ、そこで煮炊きをしていた。そして、自分が参加を許された行事の時だけ、王宮内にやってくるのだ。幕舎といっても、貴族や総督たちのそれは豪華なもので、重厚な家具を並べた移動宮殿といってもよい。

 王宮内に入っても、さまざまな国の言葉で話す人々のざわめきや、馬のいななき、番犬の吠え声が伝わってくる。つながれた犬たちが時おり吠えるのは、檻に入れられた貢ぎ物の獅子や、虎に驚いているのかもしれない。

「姫さまのお部屋は、こちらでございます」

 パリュサティスは王宮の一つで、皇太子の居室の側に部屋を用意され、そこに落ち着いた。婚儀は数日のうちに、通常の新年の祭儀の間に行われる予定だ。

 自分では、すっかり覚悟を決めているつもりでいた。

(駄目で元々。ダラヤワウシュ兄さまを殺してから、お父さまに訴えよう)

 ――皇太子は、お父さまの暗殺を企てておりました。老いぼれめが、長生きしすぎると申しました。このあたくしの手で、お父さまに毒酒を勧めよと命令しました。とんでもないことだと断っても、考え直すよう訴えても、聞き入れてくれませんでした。だから、やむなく殺したのです、と。

 その話が通用すれば、それでよい。証拠となる毒物は、ゾルタスの配下を通じて自分の手元にある。これを、適当な酒壺に入れればよかろう。

 毒酒の件が信用されず、自分が乱心者として処刑されることになったら、それでもよい。

(結果的に、アルタクシャスラ兄さまが皇太子になれば、成功なのよ。本当は兄さまこそが、クルシュ大王以来の、理想の王になれるはずなのだから)

 湯浴みをして旅の汚れを落とし、新しい衣装に着替え、軽い食事を済ませた頃には、夜になっている。荷物を整理していた侍女たちも、控室に引き取っていく。傍に残っているのは、いつものように、ミラナだけだ。

「この寝台、広いわ。二人で寝られるわよ」

 王や皇太子は祭儀の打ち合わせで忙しいから、今夜はゆっくり休息できるはずだった。

(明日のうち、お母さまに、婚儀前の最後のご挨拶をしておこう)

 とパリュサティスは考えていた。婚儀が済んだら、あとはいつ、暗殺の好機が訪れるかわからない。悲劇が起きたら母は嘆くだろうが、仕方ないのだ。せめて、親不孝な娘でしたが、お母さまを愛していましたと、それだけは伝えておこう。

 しかしミラナとしては、女主人の密かな緊張を肌でひりひりと感じていて、生きた心地がしない。

(とうとう、ここまで来てしまった……)

 パリュサティスは十五歳になり、花開くように美しくなった。王族や貴族たちに祝福され、神官団に見守られて、皇太子の妃になる。それから、どこかの時点で、皇太子を暗殺するつもりでいる。

 そしてゾルタスの陰部隊は、いつでも王女を支援できるよう、聖都の各所で待機しているのだ。アルタクシャスラ王子も親衛隊を連れてこの聖都に来ているが、そんな企みは、想像もしていないだろう。

(いいのだろうか、本当に。アルタクシャスラさまに相談もせず、そんな無謀なことを……)

 それでも、深く決意をしているパリュサティスを、いまさら止められるものではない。王女はその一点目指して、ここ数年、耐えに耐えてきたのだ。

 愛する兄に捨てられたという絶望からは、本当には回復していないとミラナは知っていた。たとえ周囲に対して笑ってみせたとしても、以前の、あの底抜けに楽天的な笑いとは違う。

(それが、大人になられた、ということかもしれないけれど……)

 幸い、療養所や育成所を通じて〝女神の娘〟の名声はますます高まり、王女の言葉に耳を傾けてくれる有力者も増えてきた。暗殺を果たした後は、その声望に賭けるしかない

(わたしはただ、何があってもお供するだけ……)

 二人の娘は大きな寝台に入り、互いの体温で温めあいながら、眠りに落ちた。

 ***

 翌日から、新年を祝う儀式や、各州からの貢ぎ物を受け取る儀式が続き、どの建物も、客と兵士、神官と召使とで混みあった。料理や酒が運ばれ、歓談や密談が交わされ、高価な品物が宝物庫に積み上げられる。幾つもある大広間では、朝から晩まで宴会が続いている。

 後宮の女たちも、それぞれ祭儀に参加したり、女だけの宴会を楽しんだりしていることだろう。アマーストリー妃の手前、リタストゥナ妃も、皇太子の婚儀を楽しみにしているふりをしているはずだ。内心で、打ち消せない不安を感じているとしても。

 しかし、パリュサティスだけは婚儀の前の花嫁として、雑然とした騒ぎからは切り離され、居室で肌や髪の手入れに時間を費やしていた。ミラナを筆頭とする侍女たちは、衣装や装身具の点検をし、式次第を確認し、細かな用事のために忙しい。

(いよいよだわ……やっと、ここまで来た)

 婚儀を明日に控えた晩、パリュサティスは重い衣装や首飾りを外し、早目に就寝しようとしていた。明日以降、何がどうなるかわからないのだから、気力と体力を蓄えておかなくては。

 だが、そこへ皇太子の来訪が告げられた。どうやら、宴席帰りで気まぐれを起こしたものらしい。豪華な礼装姿だが、既にかなり酔っていて、親衛隊長が心配顔で横に付いているほどだ。

 こちらも来客に対応できるような姿ではないが、まだ髪はほどいていないし、指輪や耳飾りも残っているから、よしとしよう。肩衣だけ軽く羽織って、パリュサティスは前に進み出た。

「皇太子殿下……兄上さま」

 と、恭しく頭を下げる。

「やあ、麗しき花嫁殿、ご機嫌はいかがかな」

 酒臭い息で間近に寄ってこられて、パリュサティスは閉口した。しかし、ここまで何年も演技をしてきたのだから、その努力を無駄にするつもりはない。

「兄さま、明日は大事な日ですわ。もうお休みになったらいかが」

 優しくいなしたつもりが、なぜか妙に絡まれた。

「そう、つれなくするものではないぞ。もう、わたしの妻ではないか」

 と大きな手で腕を取ってくる。明らかに、礼儀に外れた振る舞いだ。

「それはまだ、明日のことです」

「ふん。今夜のうちはまだ、他の男の夢を見たいか」

 パリュサティスは、美しく整えられた眉をひそめた。今になって、何を言うのだろう。宴席で、余計な噂でも耳にしたのだろうか。幼い頃の自分が、アルタクシャスラ王子と同じ天幕で眠っていたとしても、そこには、毛筋ほどの淫らさもなかったというのに。

(いっそ、アルタクシャスラ兄さまが、そんな人だったらよかったのに、と思うくらいよ)

 もしも、兄に女として愛された記憶があれば、死ぬ時でも、その思い出を抱いていられただろう。

 ダラヤワウシュ王子は、隅で控えるミラナをちらりと見やった。ミラナは早婚のパルサ社会では既に〝行き遅れ〟と称される年齢だが、実際には女盛りの美貌である。既に寝支度に入っていたので、しどけない薄物姿になっている。

「奴は、そなたの侍女のことは可愛がっていたそうだな。ならば、そなたも、同じように可愛がられていたのではないか?」

「王子、お待ちを」

 雲行きが怪しいと見て、年長の親衛隊長が皇太子を制止しようとしたが、酔った男はその手を振り払った。

「明日も今夜も、たいした違いはあるまい。本当に生娘かどうか、確かめてやろう。奴め、〝使い古し〟の女をわたしに押し付けて、こっそり笑っているのだとしたら……」

(なんて、くだらないことを……)

 パリュサティスは唖然としたが、親衛隊長に王子が止められないとすれば、兵士も侍女も役に立つはずがない。どのような狼藉であろうとも、自分は受けるしかない。

「おまえたち、みな下がれ。呼ぶまで、入ってくるでないぞ」

 皇太子の手の一振りで、親衛隊長以下、警護の兵たちは、侍女たちも連れて通路に出ていってしまう。重いガンダーラ材の扉が部屋の両側で閉まると、あとは控室を除いては、出口がない。

 酔っ払いが険悪な顔で近づいてくるので、パリュサティスは逃げ道を失って寝台の方へ追い詰められたが、頭の中では好機、とひらめいていた。

 これほど酔っていれば、自分を犯したとしても、そのまま寝入ってしまうだろう。愛用の髪飾りは、まだこの髪に挿してある。予定より早いとしても、ゾルタスは対応してくれるはずだ。

 媚態は得意ではないが、それでもパリュサティスは精一杯、悩ましく身をくねらせてみた。

「兄さま、明日という日を控えて、ご無体はおやめ下さい。明日にはどうせ、兄さまのものになりますのよ」

 知識でしか知らないが、男というものは、抵抗されれば、ますますその気になる、はずだ。

「何が無体だ。そなた、腹の中で、わたしを笑っていたのだろうが」

 やはり、たちのよくない噂を聞いて、すっかり猜疑心の虜になっているようだ。

(どうせ疑うなら、あたしの頭の中の意図を疑えばいいのに)

 その時、ミラナが素早く割って入り、パリュサティスを背中にかばった。他の侍女たちと共に外に押し出される前に、素早く物陰に身を潜めていたものらしい。

「皇太子殿下、神聖な儀式の前に、そのようなことをなさってはいけません。どうぞお引き取り下さい。さもないと、父上さまに申し上げます」

「うるさい!!」

 抑制を失っている酔漢は、ミラナを脇へ突き飛ばした。ミラナは家具に突き当たって倒れたが、なおも起き上がって、皇太子にとりすがろうとする。

「いけません、酔っておいでです。どうか……」

 苛立った男は、腰の剣を抜いた。

「侍女の分際で、わたしに逆らうか!!」

 ミラナが殺されると思った瞬間、パリュサティスは自分の頭から髪飾りを抜き取った。毒針を自分の指に差さないように、慎重に引き抜こうとした途端、手の中から髪飾りそのものが、ひゅっと消え失せる。

 何が起きたのか、わからない。

 毒針なしでは、とてもミラナを助けられない。

 次の瞬間、部屋の両側の重い扉が、まるで嵐に打たれたようにばんと開き、強い風が吹き抜けた。篝火の炎が大きく揺れ、壁の垂れ幕や家具があおられる。

 皇太子の手からも宝剣が吹き飛んだが、それよりも皇太子自身が風に飛ばされたように浮き上がり、激しく柱に打ち付けられている。

 扉の外でも、兵たちの悲鳴が聞こえた。床に取り残されたミラナがそちらを見ると、まるで竜巻が通ったかのように、男たちが壁や柱に叩きつけられ、倒れ伏している。

 パリュサティスは怪我こそしなかったが、突風にあおられ、寝台にとりすがっていた。ゆっくりと頭を上げると、室内に黒い影が立っている。
 親衛隊の兵士ではない。王都の警備兵でもない。丈の長い黒い衣装をまとい、黒い髪をした、背の高い男だ。

 苦痛に顔を歪めた皇太子が何とか身を起こし、侵入者を認めて、声を張り上げようとする。

「曲者……」

 すると、大柄な皇太子が、天井近くまでふわりと浮き上がった。見えない手で、高みに吊り下げられたかのようだ。皇太子は虚しくもがいたが、手足をばたつかせても、やはり空に浮いたままである。彼は抵抗する気力を失い、酔いも醒めた顔で、黒装束の男を見下ろした。

「ダエーワなのか……」

 パリュサティスの目にも、揺らぐ篝火の明かりの中で、黒髪の男は魔物に見えた。神の実在を疑問視していたのだから、魔物や悪霊も、本当にいるのかどうか、怪しいと思っていたのだが。しかし、この突風や見えない手がこの男の仕業なら、人間ではないだろう。

「つまらん男だな」

 含み笑いするかのような、低い声が言う。

「しかしそれでも、世界一の帝国を継ぐ男だろう。俺に挑むつもりがあれば、ナイルの向こうの砂漠まで来るがいい。俺の城は、砂漠の真ん中の山の中だ。誰であろうと、戦って俺に勝てば、女は返してやる」

 嘲る響きが、パリュサティスにもミラナにもわかった。この魔物は、世界最大の帝国を敵にすることを、何とも思っていない。

「怖ければ、来なくてもいいぞ。皇太子は臆病者だと、世界に触れ回ってやるからな」

 パリュサティスの躰もふわりと浮き、吸い寄せられるようにして、黒衣の男の腕に抱きとめられた。ダラヤワウシュ王子はどさりと床に落とされ、打撲の苦痛にあえぎながら、這うようにして通路に出る。

「曲者だ、出会え……誰か……」

 しかし、あたりに無事な兵士はいなかった。みなそこらに倒れ、気絶したり、骨折したりしているらしい。侍女たちは遠くに逃げ散り、てんでに悲鳴を響かせている。

 恐慌をきたした皇太子は逃げようとして、回廊から暗い中庭に転落した。そして、そのまま茂みに隠れていようと決めた。あれは魔物だ。誰にも止められない……女なんか、くれてやれ。とにかく、自分の命が先だ。

(だめだわ。さらわれる。誰が追ってきたところで、敵うはずなんかない)

 堅く冷たい腕の中で、パリュサティスがそう覚悟した時、

「待って」

 ミラナがよろめきながらも走り寄り、黒衣の男の脚にすがりついた。

「わたしの姫さまです。姫さまを連れていくなら、わたしも一緒に行きます」

 危ない、離れてとパリュサティスは言おうとしたが、その時にはもう、魔物はミラナも拾い上げて、開いた扉から外に飛び出している。

 その横移動が、すぐさま縦移動に変化したらしい。たくさんの篝火で照らされた地上が、はるか下に見えた。魔物は女二人を抱えたまま、屋根ほどの高さに上昇している。

 下界から、犬たちが激しく吠えた。警備の兵たちが夜空を指して、何か叫んでいる。こちらに向け、矢を射てくる者もいたが、それらは魔物のはるか手前で左右にそれ、落下していく。

(空を飛んでいる……)

 パリュサティスもミラナも、これが現実とは、まだ信じられない。ただ、薄物だけの躰に、夜風が冷たいのは確かだ。

「怖ければ、目をつぶっていろ」

 と忠告された次の瞬間、風を切るような音と共に、魔物は都の上空の途方もない高みに浮き上がっていた。この高さではもう、矢も届かない。夜空は無数の星で、白くかすむほどだ。パリュサティスは、星の海に飛び込んだような気がする。

 なんという不思議だろう。

 わずかに雲の浮かぶ、濃紺の星空のただ中にいる。赤や金色や青白の、たくさんの星が真横に見える。

 はるか足元には、無数の篝火をともした暗い都が広がっていた。建物の輪郭と、交差する街路の形がわかる。人々のざわめき、管弦の音色、馬や駱駝や羊の鳴き声、肉を焼く煙が昇ってくる。高原の彼方まで、幕舎の篝火が続いている。

 あまりに高すぎて、もはや恐怖も感じない。ただひたすら、驚きがあるだけだ。

「昼間だったら、もっとよく見えたでしょうに」

 パリュサティスが思わずつぶやくと、魔物が気に入らない口調で反応した。

「図太いな、女というものは」

 少なくとも、言葉は通じるのだとパリュサティスは思った。それならば、この魔物の行動原理も、きっと理解できる。理解できたら、突破口も探れるのではないか。

「だって、都を空から見下ろすなんて、きっと最初で最後だもの」

 それならば、この稀有な体験を、とことん味わい尽くしたい。

 そういえば、さっき、この魔物は、自分をナイルの向こうの砂漠まで連れていく、と言ったのか。このまま夜空を飛んで? 予定外のミラナも連れて?

 その通り、魔物は空を動き始めた。冷たい風が流れ、聖都はすぐに、暗い山々の向こうへ消え去ってしまう。空の星は手が届きそうに見えるが、地上はただの闇だ。周囲を、ごうごうと風が流れていく。

 山の稜線が姿を変えていくさまを見ると、かなりの速度のようだ。しかし、それにしては、顔に当たる風は強くない。魔物の周囲だけ、見えない防壁で囲われているかのようだ。

 しばらく考えてから、魔物の左腕に抱かれたパリュサティスは、風の音に負けないように叫んだ。

「あなたはダエーワなの? 暗黒神アンラ・マンユの手先?」

「声は普通でいい」

 と、返答があったことの方が驚きだ。意外と、素直な魔物なのかしら?

「ダエーワというのは、魔物のことか? 知らんな、おまえたちの宗教のことは。俺は、神という奴にも会ったことはない」

「でも、あなたのような魔物がいるのだったら、きっと……」

 薄物の袖をつんつんと引かれたので、パリュサティスは、魔物の右腕に抱かれているミラナに注意を向けた。暗いので表情はよく見えないが、

「姫さま」

 という声音に込められた警告はわかる。質問攻めにして、魔物を怒らせない方がいい、と言いたいのだ。

「わかってる」

 しかし、何ということだろう。自分たちは思いもよらない方法で、聖都から脱出できたのだ。

  ペルシアン・ブルー9に続く

 

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