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『ペルシアン・ブルー4』

   5 ダラヤワウシュ王子の章

 自分が、弟を憎んでいるか?

 そんなことはない、とダラヤワウシュは断言できる。すぐ下の弟は若いうち病気で死んだので、同母の弟は、歳の離れた三男のアルタクシャスラただ一人だ。
『兄上、兄上』
 と慕われて、可愛くないはずがない。

 子供の頃のアルタクシャスラは、賢いが、気弱な美少年だったと思う。暇さえあれば書庫に籠もり、学問を盾にして教練を避け、王子としての義務から逃げようとしていた。

 だが、王子は学者にあらず。

 いざという時には、軍を率いる将軍として、王の役に立たねばならぬ。一通りの読み書きさえできれば、あとは軍事だとダラヤワウシュは信じている。

(奴に武芸の手ほどきをしてやったのも、狩りに連れ出してやったのもわたしだ)

 十五歳の誕生日には、武具や名馬の他、男を喜ばせる術を心得た侍女まで贈ってやったものだ。

 いずれ、自分が王になったら、アルタクシャスラには補佐として、大いに働いてもらうつもりだった。宮廷にいてもらってもいいし、重要な州の総督を任せてもいい。

 その心積もりが、いつからか狂いだした。弟の名前が、〝女神の娘〟と共に語られるようになったからだ。

(パリュサティスが、アナーヒター女神の息吹を受けた娘だと!? あの、生意気なお転婆娘が!?)

 馬鹿馬鹿しい。多少、知恵が働くからといって、女に何ができるというのだ!?

 そもそも、神などいるものか。

 王家が神を祀るのは、統治のための手段に過ぎないと、ダラヤワウシュは認識している。民に信仰を持たせるのはよいが、支配者がそれに頼ってはおしまいだ。

 そうして、最初のうちは噂を笑い飛ばしていたが、やがて、聞き流すには剣呑すぎると感じるようになった。

『王女さまが、町の子供たちに屋台の菓子を振る舞ったそうだ』

『羊飼いの娘をさらおうとした男たちを、弓矢で退治したそうだ』

『兄君さまの寝台に潜んでいた毒蛇を、剣で仕留めたそうだ』

『ヴェールもかぶらず、じかに我々と話して下さる』

『馬も弓も、得意だそうだ』

『あんな王女さま、見たこともない』

 季節毎に新しい噂が流れ、都の者たちも旅の商人たちも、喜んでその武勇伝を広めていく。問題なのは、そのパリュサティスが、常にアルタクシャスラに寄り添っていることだ。

 アルタクシャスラ一人なら、敵ではない。だが、そこに、女神を信じたい者たちの念が加わったら。

 王家がミスラやアナーヒターを敬っていることも、パリュサティスの後光になってしまうではないか。

 皇太子の地位は絶対ではないと、ダラヤワウシュは理解していた。父が明日にでも指名を取り消し、新たな皇太子を選ぶことは有り得る。

 若い頃は豪傑だった父、クシャヤルシャン王も、高齢になり、気が弱くなっている。どこかで反乱でも起これば、神頼みに走らない保証はない。女神の加護がある王子の方が、皇太子に相応しいなどと思ったら。

 ――最初の刺客は、自分の親衛隊長が密かに送ったようだ。旅の途中では、どんな事故でも起こり得る。崖の上からの落石なら、不運で済む。

 だが、その試みも、その次の試みも失敗した。パリュサティスは恐ろしく勘のいい娘で、わずかな兆候から危険を察し、アルタクシャスラを窮地から脱出させたという。

(まさか、本当に女神の守護があるわけではあるまい)

 しかし、振り返ってみれば、聖都での伯父の死に方も、普通ではなかった。屋敷に押し入った盗賊団の仕業ということにして処理したが、腕利きの護衛兵が全員倒されるとは、どういう相手だったのか。

 ついにダラヤワウシュも、認めざるを得なかった。かつての可愛い弟は、今では最大の脅威になりつつある。

 弟が育てているという陰部隊が、実際にはどれほどの力をつけているのか、よくわからないのだ。そいつらが、今度はわたしの暗殺を企てない保証が、どこにある。

 こうなったら、手段を選んではいられない。

 ダラヤワウシュは父王に働きかけ、パリュサティスの母親である第五妃にも手を回した。気の利いた侍女を派遣して贈り物を繰り返し、娘の幸せを願うのなら、皇太子の妃になるのが一番だと納得させたのだ。

 リタストゥナ妃は美しいが平凡な女で、娘が〝女神の申し子〟などと祭り上げられることより、早く縁談が決まることを願っていた。これまではパリュサティスのわがままを聞いて、アルタクシャスラが、妹の縁談を断り続けていただけのこと。

 奴としては『妹の気に入る男を』と思っていたのだろうが、その愚図が、こちらに幸いしたとダラヤワウシュは思う。

 暗殺が失敗したなら、正攻法で手に入れればいいのだ。奴の守護女神とやらを。

(いったんこちらの手に入れれば、あとの始末はどうとでもなる。お飾りの妃にしてもいいし、事故で死なせても構うまい)

 難しかったのは、実母の説得だった。王の第一妃であるアマーストリー妃は、後宮の女主人である。王家のどんな縁談も、彼女の了解なしで進められることはない。他の妃も側室たちも、アマーストリー妃の機嫌次第で、どう陥れられるかわからないと恐れている。

「ダラヤワウシュ、そなたが、あの娘を娶るというのか」

 最初、アマーストリー妃は乗り気ではなかった。パリュサティスは危険だというのだ。

「あの娘、困ったことに、自分の意志というものがある。そなたでも、持て余すかもしれぬ。事実、アルタクシャスラは振り回されておるようじゃ」

「しかし、気丈なところは母上に似ているのでは」

 長男が苦笑して言うと、母后はしかめ面をした。夫より一回り若く、まだ中年の、気力も体力も充実した年齢である。美人と言えないこともないが、猛禽類を思わせる容貌だ。

「戦乱の時代には、そういう妃も必要になろう。しかし、今は……そなた、あの娘の持論を聞いたことがあるのか。奴隷を解放せよと言っておる。庶民の子供、それも娘たちに、教育を授けよとも言っておる」

 それでは庶民が力をつけすぎ、王家に対する畏怖が薄れるだろうとアマーストリー妃は苦々しく思っていた。これまでは、まだ子供だからと知らん顔していたが、今後も言い続けるようなら、何とかしなければなるまい。

「言わせておけばいい。わたしの妃にすれば、わたしの許したことしかできませんよ」

 息子がたくましい両手を開いて言うと、母は懸念の目を向けた。

「そなた、自分があの娘に暗殺されることは、考えてもみないのか」

 さすがにダラヤワウシュも、唖然とした。女が自分に危害を加えるとは、想像したこともない。たとえ、少々たがの外れた女でも。

 アマーストリー妃は皮肉な笑みを浮かべた。

「そこが、男の甘さじゃな。女には、たいしたことはできないと思っておる」

「いや、母上のことは尊敬していますよ……」

 後宮の中で母の気分を害した者には、不幸な結末が訪れる。だが、母の権力はそこまでだ。表の政治や軍事は、男のものである。軍隊を率いる力量なら、自分は弟などに負けないとダラヤワウシュは確信している。

 母は考え深い様子で言った。

「あの娘、幼い頃から、アルタクシャスラのことを一途に慕っておる。そなたを殺して、アルタクシャスラを即位させるくらいのことは、考えつくであろう」

 ダラヤワウシュは太い眉をしかめた。

「それなら、なおさら放置しておけないではありませんか」

 女ごときが、そんな大それたことを思い浮かべただけで、許せない。

「そうじゃな……よいかもしれぬ。あの子をこのまま傍に置いておけば、アルタクシャスラにも余分な野心が育ちかねない」

 アマーストリー妃にとってはどちらも実の息子だが、実利的な長男の方が、学者肌の三男よりも御しやすい。ましてアルタクシャスラは、既にパリュサティスに取り込まれたようなものだ。このままいけばパリュサティスは、王宮において、自分の権力を削り取る存在になるかもしれない。

「パリュサティスをそなたの囲いの中に入れておく方が、安全かもしれぬな。ただ、暗殺されないように用心はすることじゃ」

「心しますよ」

 ダラヤワウシュはひとまず、母の了解を取り付けて安堵した。もしもパリュサティスを取り上げることに、アルタクシャスラが抵抗するようなら、その時こそ、断罪すればよいのだ。どんな理由でもつけて。

   6 アルタクシャスラ王子の章

 半年を越す長旅を終えて、アルタクシャスラ王子の部隊は、スーシャの都に帰還した。

 騎馬民族の気風が濃いパルサ王家は、繰り返し五つの帝都を巡回しているが、冬期には、低地のバビロンやスーシャにいることが多い。

 スーシャは帝国の行政府であり、広大な王宮と付属の神殿では、大勢の役人や軍人、祭司たちが働いていた。神殿には聖火が灯され、アフラマズダやミスラ、アナーヒターに祈りが捧げられ、季節の祭事が行われ、奉納の品物が積み上げられる。

 周辺に広がる町には、各地からの商人や朝貢者が集まって、産物を遣り取りしている。

 葡萄酒、オリーブ油、塩漬けの魚、蜂蜜、小麦、大麦、果実や木の実。陶器、木材、家具、馬具、金銀の細工物や宝石類。毛織物、亜麻布、毛皮、絨毯。馬、羊、猟犬。それに、各地から集められた奴隷たち。

 それらを目当てに、付近の農村からも人が集まってくる。兵士に応募する者もいれば、役人の試験を受ける者もいる。

 警備された王宮には騎馬の隊列や馬車が出入りし、召使いや奴隷たちが忙しく行き来していた。

 軍議もあれば、宴会もある。厨房ではひっきりなしに煮炊きを繰り返し、料理や酒を運び出す。楽団や踊り子が呼ばれては、あちらの宮殿からこちらの宮殿へと移動していく。

 そういう王宮の賑わいの中、アルタクシャスラ王子は親衛隊を一時、解散させた。兵士たちは一部の当番を残し、それぞれ休暇に散っていく。家族の元へ行く者もいれば、町の歓楽街に繰り出す者もいるだろう。

 部隊の中核をなすのはパルサ人か、近縁のメディア人の貴族の子弟だが、傭兵上がりのギリシア人もいれば、朝貢の行列に同行してきたインダス人やエジプト人、リビア人もいた。旅の途中で加わってきたバビロニア人やユダヤ人、スキタイ人もいる。

 新しい兵士は各地で補充され、部隊に加えられてきた。当初、三百人あまりだった親衛隊は、七百人を超えている。金や銀の装飾を身につけ、精悍な軍馬にまたがった部隊が村や町にやってくれば、憧れる少年や若者は必ずいるものだ。

 アルタクシャスラは母方の親族から多少の領地を引き継いでいるから、兵士を雇うゆとりはあった。盗賊退治をすれば、彼らの蓄えも兵士に分けることができる。

 また、彼に援助をしてくれる大商人もいた。彼らは先を見越して、複数の王子に投資をしておくのだ。有力な王子が若死にして、目立たない王子が王になることもありうるのだから。

「久しぶりの王都ですな」
「ああ、宮殿の改築も進んでいるようだ。そなたも、家族の元へ戻るとよい」
「その間は、小隊長たちに王子のお守りを任せますよ。しかしまず、王の御前に伺わないと」

 アルタクシャスラは旅装束のまま、親衛隊長のアルシャーマと共に、王の居間に伺候した。王に命じられた巡察の旅であるから、それなりの報告をしなければならない。

 どこの総督がどんな統治をしているか、内乱の兆しはないか、異民族の動静はどうか。

 エジプトからインダス流域まで、帝国の属州にはそれぞれ総督が置かれ、「王の目」と呼ばれる監察官や、その副官である「王の耳」も巡視に派遣されているが、王子の報告はまた別だ。

 王は王子たちの資質を見抜き、次代の総督や将軍として鍛えなければならない。他の王子たちも、それぞれの役目を負わされ、各地に派遣されている。

 アルタクシャスラは、政治向きの調査とは別に、文化的な調査も行っていた。学者や技師を同行させ、遺跡を調べさせたり、動植物の記録を取らせたり、各地の伝承を集めさせたりしている。また、各地で水路の補修や、地震被害の復興を手伝うこともある。そうしているうちに、各地の有力者との親交が深くなる。それは、将来の役に立つはずだ。

「戻ったか、アルタクシャスラよ。無事で何よりだ」

 クシャヤルシャン王は喜んで昼食を共にしてくれ、各地の土産話を聞いてくれた。正式な報告書は文書で出しているが、それは王の親衛隊長や秘書官たちが吟味した後、記録庫行きになるだろう。

「ところで、そなたの縁談だが」

 王の言葉に、黒髪の王子はわずかに眉をしかめた。覚悟してはいたが、まだ聞きたくない話だ。自分の家庭を持つなど……異母妹一人のことで、これほど悩んでいるというのに。

「次の旅に出る前に、何とかしなければな。あまり待たせると、どこの姫も、他の男に嫁いでしまう」

「は……それは仕方がないかと」

「十八にもなって妃がいないなど、臣下に示しがつかぬぞ。そなたに特別な思い入れがあるならともかく、釣り合う家柄の姫なら、誰でもよいのだろう」

 女の価値は息子を何人産めるかだと、多くの男たちは思っている。パリュサティスが聞いたら、誰でもよいとは何事か、と怒るだろう。自分はかなり、妹に感化されてしまっている……

「こんな旅ばかりの男では、姫君に申し訳ないと思うのですが……」

「何を言うか。そなたは第一妃の王子だぞ。縁組を喜ばない娘がいるものか。実は明日、特別な宴席を設けてあるのだ。そなたがこっそり、向こうの娘を見られるようになっている」

 どうやら父と重臣の間で、話が固まっているらしい。よほどの理由がない限り、断れる話ではない。既に初老となった父にとって、息子の結婚は何よりの親孝行だろう。

(あと何年、生きていて下さるか)

 ギリシアまで遠征したかつての豪傑も、しばらく見ないうちに一回り小さくなり、茶色い髪にも白いものが増えている。

「わかりました……出席します」

 ところが、話はそれでは済まなかった。老いた父は、喜びを隠せない顔で言う。

「もう一つ、縁談があるのだ。パリュサティスの方だ」

 アルタクシャスラはぎょっとした。まさか。

「あの子はまだ、十二になったばかりですが」

 おそらく、初潮もまだだろう。旅の間にそういう変化があれば、ミラナが伝えてくれたはずだ。

「婚約は決めてもよかろう。リタストゥナが心配しているのだ。それとも、そなたが娶るつもりはあるのか」

 アルタクシャスラは凝然とした。やはり、外からはそう見えているのだろうか。そういうつもりで、連れ歩いているのだと。

 自分がパリュサティスを妻にすることは、制度の上では、問題なくできる。他民族は近親婚に眉をひそめるかもしれないが、表立って、パルサ王家に文句をつける者などいないだろう。

 実際、アルシャーマには幾度も言われている。

『王子が、姫を娶ればよいではないですか。これほど慕われているのだし、何より、お似合いですよ』

 ゾルタスに至っては、二人の結婚を前提として、皇太子の暗殺をそそのかしてくる。

『王子と姫が共同統治者になれば、この地上に理想の国が誕生します。それを実現しようとしないことこそ、罪ですよ。命じて下されば、我々の手で、すぐにでも皇太子を仕留めます』

 そんなに簡単なものか、とアルタクシャスラは苦々しく思う。過去にも王位争いで、内乱が生じているのだ。うまく収束したからいいものの、下手をしたら、異民族が内紛に付け込んできて、帝国が崩壊してしまう。

 兄が王位を継ぐことに、自分は何の不満も持っていない……いなかった。これほどしつこく、暗殺未遂が繰り返される以前は。

 それにまた、誰にも言えない理由ではあるが、パリュサティスと結婚することはできないと、アルタクシャスラは考えていた。

 この気持ちは、従兄弟であり、親友であるアルシャーマにも打ち明けられない。打ち明けても、理解されないという確信がある。

(誰にも見えないのだ。わたしの抱える絶望は)

 パリュサティスが幼い頃は、まだよかった。いかに賢くとも子供であり、知識も経験も足りなかった。六歳の年齢差があれば、自分が優位に立ち、余裕を持って妹を教え導くことができた。

 しかし、パリュサティスが十歳を過ぎると、しばしば冷や汗をかかされるようになった。

 この妹は、どんな書物も一度で理解し、頭に入れる。数学理論も、天文知識も、博物学も、たちまち吸収してしまう。おまけに勇気も備え、毒蛇にも刺客にも平気で立ち向かう。

 人間としての格が違うのだと、認めざるを得ない。

 他人にそれが分からないのは、パリュサティスが、あどけない少女の姿をしているからだ。内実は、常人の理解を超えた天才であり、冒険者であり、改革者なのだ。

(わたし以外に、それが見えているとすれば、命を救われたゾルタスくらいのものだろう)

 もしもパリュサティスが男であったなら、あまたの対立候補を押しのけ、文句なく父の後継者になっていただろう。

 ことによるとパリュサティスの非凡さは、帝国の始祖、偉大なるクルシュ大王よりも上かもしれない。帝国の基盤を固めたダラヤワウシュ王をも、軽く超えるのではないか。

 あの娘が成人する頃には、おのずと気付いてしまうはずだ。自分が慕っていた兄は、しょせん、凡人に過ぎなかったと。

(いつか、妹に見下される日が来る。冷たい目で見られ、通り過ぎられてしまう)

 それがアルタクシャスラ王子の、何よりも恐ろしい悪夢なのだ。

 しかし、その恐れは、アルシャーマには共感されないだろう。彼は有能な軍人だが、抽象的な学問には興味がなく、実学だけで満足している。秀才が天才に感じる劣等感など、軽く笑い飛ばすだろう。

『だから何です。王子が、姫の才能を利用すればいいではないですか』

 とでも言うだろう。親族だけあって、彼は気質も体格も、アルタクシャスラよりもダラヤワウシュの方に似ているのだ。

 また、パリュサティスを女神のように崇めているゾルタスならば、

『今さら、何を気にするんです。姫の方が格上なのは、とうに知れていたことではないですか』

 と、うそぶいて、終わりにするだろう。

 しかし、自分には耐えられない。妹に追い越され……いや、最初から勝負にもならず、憫笑され、置き去りにされるなど。

 もしかしたら、あの子は笑わずにいてくれるかもしれない。だが、あの緑の目に、哀れむ光を見てしまったら。自分は男として、二度と立ち直れないのではないか。

 だから毒蛇事件以来、寝所を別にするだけでなく、食事や休憩の時も、極力、妹を避けるようにしていた。小隊長や小姓たちを盾にして、妹とじかに顔を合わせないよう、逃げ続けてきたのだ。おかげで、いつもの旅の何倍も気疲れした。

 それでもなお、パリュサティスがまといついてくるようなら、どうすればいいのか……その迷いが、いま、外部の力で断ち切られようとしている。

 王の豪華な食卓で、アルタクシャスラは視線を落としていた。自分がいま、どう答えるかで、人生の分岐が定まるのだろう。

「そんなつもりは……ありません。わたしには、妹を妻にするつもりはないのです。ただ、あの子が承知するかどうか。父上もご存じの通り、我の強い子です。なまじの男では、とても扱いきれないと思います」

 そう答えた自分が、どこか遠くの世界にいるかのようだ。

 卑怯者め。まだ幼いあの子に、責任を預けるとは。

「それはわかっておる。そなたでなければ、他に相応しい男は、一人しかおるまい」

 父王の言葉は意外だった。アルタクシャスラは、離れた位置で控えていたアルシャーマと素早く視線を交わした。

 誰だ、それは。どこかの総督にも、外国の王家にも、そのような人物はいないと思っていたが。

「余の皇太子から、申し出があったのだ。パリュサティスを妃に欲しいと」

 アルタクシャスラは、落雷に打たれた気がした。

(兄上が、あの子を望んでいるだと。そんな馬鹿な)

 兄には何人も、貴族の姫が嫁いでいる。側室もいる。それも、豊満な美女ばかりだ。あんな棒きれのような小娘は、間違っても兄の趣味ではない。

 だが……

 もしも、兄が〝女神の申し子〟という評判を欲しがっているのだとしたら。そのために、根回しを済ませていたのなら。

(やられた……)

 兄は、皇太子の地位に安閑としているわけではなかったのだ。


   ペルシアン・ブルー5に続く

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