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短編SF『星雨記』 後編

2章

水位が上がっている。

村中で海岸の洞窟に避難してから、四日経つ。

洞窟の入り口ぎりぎりを浸していた海水が、明らかに、これまで届かなかった位置まで上がってきているのだ。

厚い岩の天井があるので、空から落下する石の打撃にはもちこたえているが、このまま海水面が上がり続けたら、どうなるのか。

五日目、六日目。

海水がじりじり上がり、みんなの居場所が狭くなる。

外は相変わらず、岩と氷と雨が降り続いている。地面が岩と氷で覆い尽くされたように、海もまた、かさが上がっているのだろうか。

また、気温もはっきりと下がっている。もう何日も太陽が出ていないのだから、当たり前だ。太陽の光は、空に広がった岩の帯にさえぎられて、地上まで届いてこないのだ。

前は雪や氷というものに憧れたハナだが、もう死ぬまで見なくていいと思う。寒い土地で暮らしている人たちは、大変だ。ずっとこんな、肌が縮む思いをしているなんて。

「もっと着る物を持ってくれば、よかったな」

「あの時は、水と食べ物しか心配していなかったから」

若者たちが、ぼそぼそとしゃべっている。まだ秋口だったから、寒さの心配など、誰もしていなかったのだ。ハナたちは着込んできただけましだが、それでも余分な衣類は、寒そうな女や子供たちに譲っている。

排泄は、隅にある岩の裂け目から行った。亀裂が深いので、小さな子供の場合は、落ちないように大人が支える。

困ったのは、月のものが訪れた女たちだった。いくらかの用意はしてきているが、避難生活が長くなると厄介である。布はこっそり、男たちの目に触れないようにして洗った。海水が洞窟の中まで入り込んでいるのが、多少の救いである。

その分、居場所は狭くなり、遊び盛りの子供たちは窮屈そうだった。騒いで大人に突き当たっては、叱られている。

水は洞窟の外から氷の塊を拾い、壺に入れておけばよい。

怖いのは、食料が尽きかけていることだった。空腹が、みんなの顔に表れている。大人はまだ我慢できるが、ヒガのような食べ盛りの子供たちは惨めな顔だ。ただ、我慢しなければならないことはわかっているので、じっと耐えている。

子供たちの飢えを考えると、ハナは身を刻まれる思いがした。いつもあれほど、たらふく食べていた子供たちなのに。

生き残りの村人たちが、洞窟から海面に網を投げたり、釣り糸を垂らしたりしているが、魚はほとんどかからなかった。この石の雨に驚いて、海の深くへ潜ってしまっているのだろう。

捕まえられるのは、小さなカニや貝だけだった。それでは、ほとんど足しにならない。

ついに、子供たちの一人が飼っていた犬が殺された。子供は泣いたが、仕方ない。連れてきた山羊も鶏も、もう食べてしまったのだし。

「いつまで続くの、これは」

ユウナを抱いたナミが、低くささやいてくる。

「ハナ、あんたは予感が働くでしょ。崖崩れも、舟の遭難も当てたでしょ。迷子も見付けたでしょ。教えてよ。いつになったら止むの」

ナミはどこかの時点で、夫のイノが戻らないことを納得したらしい。泣くことは少なくなり、代わりに目が据わってきた。ユウナのことだけ、しっかり抱き続けている。

「わからないわ」

ハナは答えた。言っても、いい結果にはならない。ハナの勘では、この石の雨はまだ数十日続く。

水面が、更に上がってきた。みな洞窟の奥にひしめきあい、砕けた珊瑚礁のかけらの上で身を寄せ合う。洞窟の外から風が吹き込むと、寒さで震え上がった。この島では、真冬でさえ、これほど寒いと感じたことはない。
 
ハナは、子供たちとくっついて眠った。ヒガとヨナは細いが、温かい。空腹で力が出ないので、昼も夜も、くっついてうとうとしている方がいい。

やがて、若者たちが決死の食料調達隊を結成した。村に戻り、畑や家から、食べられるものを取ってこようというのだ。

六人が頭上に板を渡して出ていき、四人だけが戻った。四人も怪我をしていたが、芋や野菜や衣類を持ち帰ってくれたので、村人たちは涙を流して感謝する。

次は五人出ていって、三人しか戻らない。持ち帰った食料も、たいした量ではない。

あと何回、これを繰り返せるか。

石に打たれて傷だらけの若者たちが、次は老人の番だと言い出した。

「この調子で、俺たちがみんな死んでみろ。誰が村を再建するんだ」

彼らがそう言うのはわかる。各家の年寄りたちが、出掛けることを承知した。子供や孫のためだ。

ナミはユウナを抱いて、隅で黙っていた。幼い子供のいる女は、行かなくていいとハナは思う。これから子供を産める、未婚の女たちも。

でもわたしは、いずれ行かなくては。さもないと、ヒガとヨナが飢え死にしてしまう。

年寄りの戻る率は、少なかった。やはり、足腰が弱いからだとハナは思う。それでも、五人のうち二人が戻り、干した魚や海藻、芋類を持ち帰ってくれた。

次は、中年の女たちの番だ。村の大人が全滅するまで、これを繰り返すことになるだろう。

ハナはヒガを呼び、くれぐれも後のことを頼むと言い残す。ヒガはしゃくりあげながらも、約束した。

「わかってる。ヨナとユウナを守るよ」

他の女たちと、頭上に厚い板を掲げて外に出た時、ハナは驚いた。景色が一変している。浜も野原も、道も畑も、見渡す限り、大小の岩や小石に埋もれている。氷の塊もあちこちにある。それが溶けかけて、石とくっついている部分もある。

脚を踏み出すと、ざくざく、ごろごろする。何度も足を取られて、転びそうになる。

海は海で、無数の波紋に覆われていた。海の底にも、無数の石が降り積もっているだろう。

板を盾にした女たちは、どうやら村までたどり着いた。家は無惨に壊れ、畑も道も、石と氷に厚く覆われてしまっている。だが、山の斜面の畑は何とか無事だった。

手分けして、畑の土を掘り起こし、食べられるものを探している間も、雨と氷と小石が降り注ぐ。小さなかけらが当たっても、ざっくり皮膚が切れてしまう。ゆっくり手当をする暇もないので、全員、血だらけだ。

それでも帰り道では、奇跡的に全員揃っていた。

「運が強いわ、あたしたち」

「早く戻ろう」

死んだ鳥と、野菜の入った籠を背負い、板を頭上に渡して、ごろごろする石と氷の上を歩いていく。転んでも、また起き上がる。

しかし、洞窟まであと少しのところで、ナエが大きな石に打たれた。助けようはなかった。躰に大穴が開いてしまったのだから。

ナエの運んでいた食べ物は飛び散ってしまったので、皆で手分けして拾う。ハナは悪いと思ったが、ナエの着物をはいだ。血で汚れてしまったが、洗えば、小さな子供たちをくるんでやれる。空腹だと、寒さが耐え難いのだ。

残った皆と板を掲げ、ようやく石の当たらない洞窟に入ると、ほっとした。今回は、何とか生き延びられた。

「母さん!!」

ヒガとヨナが、泣きながらしがみついてくる。

「怪我してるよ。痛いでしょ」

ヒガが自分の袖で、頭に流れる血をぬぐってくれた。

「大丈夫、たいしたことないわ」

あともう少し。ハナは、そう感じるようになったきた。先が見えてきたのだ。今日までと同じくらいの日数を耐えれば、石の雨は止む。まだ人は死ぬが、村は再建できるだろう。

翌日の晩、ハナは誰かに肩を揺すられて、目を覚ました。暗くて、誰だかわからない。けれど、低いささやき声でわかった。若者の一人、ゲンだ。

子供たちに潜り方や、舟の扱い方を教えてくれた、遠縁の若者である。もっとも、村の者は、ほとんど親戚同士なのだが。だからこそ、タキのような、外部の若者の血が大切なのだ。

「なあ、いいだろ、頼むよ、ハナ」

低くかき口説きながら、ゲンはハナの乳房をまさぐってくる。ハナは驚いた。

狭い洞窟に何十人もひしめき合っているのだから、これまでも、若者と娘が、隅で何かしていることはあった。周囲の者は眠ったふりをして、知らん顔していたものだ。そのくらいのことは、避難生活が長引けば、やむを得ない。

しかし、子供が二人もいる女に、挑みかかってくるとは。目当ての娘には、振られたのか。それとも、好きな娘は死んでしまったのか。

すぐ隣で、ヒガとヨナが寝ているというのに。

こんな時に、よくも。

ハナは腹が立ったが、多少の哀れは感じた。次はまた、若者が外に出ていく番だ。これが最後の楽しみ、とゲンは覚悟しているのかもしれない。それならば、一度くらいは許してやるべきなのかも。

だが、夫のタキが帰ってきた時、もしも自分が、他の男の子供を産んでいたら。そんなことには、なりたくない。タキはわかってくれるかもしれないが、きっと悲しい顔をするはずだ。

それに、昨日の昼間、不運なナエの着物をはいだことが、まだ頭に残っていた。ナエの躰はもう、石と氷に埋もれてしまっているだろう。そして、無意味に腐っていく……

勿体ない、という思いが浮かんだ。

勿体ない。

今からあそこまで引き返し、ナエの骸を掘り起こすのは無理だ。あの時、かついで戻ればよかったのに。

今だから、わかる。これまで、何という、勿体ないことをしてきたのか。

老人や怪我人が死ぬ度、冥福を祈っては、洞窟の外に捨ててきた。そして、石の下に埋もれるままにしてきた。

食べ物が尽きれば、みな死ぬのに。

人も、死ねば肉ではないのか。

ハナの頭は冴えた。恐怖もためらいも、飢えには勝てない。

「ここじゃだめ。子供たちが起きるから」

そして、ゲンの手を引くようにして、洞窟の端へ向かった。雨が吹き込むあたりから、外の様子をうかがう。

外は夜の闇だが、空には、うっすらと光があるような気がした。月が出ているのかもしれない。

ハナは雨の幕を透かして、空に目を凝らした。天に広がる岩の帯の隙間から、星も幾つか見える。

やはり、岩の帯は薄くなっているのだ。これだけ雨と石と氷が降り注いだのだから、砕けた星のかけらも、残り少なくなっているに違いない。

あと少し。飢えずに生き延びられれば。

「おい、危ないぞ」

ゲンが心配そうに、ハナの腕を掴んで引き戻す。

「岩の出っ張りの下なら、大丈夫よ」

ハナが落ち着いているので、ゲンも安心したようだ。

「さ、ここで」

と岩壁に背中をつけて着物の裾をまくり、脚を開いてゲンを誘った。ゲンはすぐさま、むしゃぶりついてくる。こういう時の男は、哀れなほど無防備である。ゲンの体熱は、ハナに、娘時代を思い起こさせた。タキと最初に出会った頃。

しかしハナの右手は、とうに尖った石ころを探り当てていた。ゲンに恨みはない。こんなことがなければ、頼もしく気持ちのいい若者、というだけだったろう。

ごめんなさい、許してね。

いえ、許してくれなくてもいい。わたしはただ、子供たちを守るだけだから。

ゲンの頭に、尖った石を振り下ろした。ゲンはぎゃっと叫んで、洞窟の外に転がり出た。

ハナはゲンを追って雨の中に飛び出し、無我夢中で石を振り上げ、繰り返し彼の頭や顔に叩き付けた。骨が砕け、肉が潰れる手応え。だが、それを悔やむようなゆとりは、もうない。

やがて、動かなくなったゲンの足を掴んで、洞窟の内側に引きずった。ずぶ濡れになったが、自分が石に当たらなかったのは、幸いだ。この肉を、子供たちに食べさせるまでは死ぬものか。

しかし、重くて、これ以上動かすのは無理だ。助けが要る。

石の雨が岩壁に叩きつける音のせいで、眠っている村人たちは、ゲンの悲鳴に気がつかなかったようだ。ハナはそっと奥に戻り、ナミの寝場所を探り当てた。

「ナミ、起きて。一緒に来て」

どうせ、料理をする女たちには隠せない。刻んで煮込んでしまえば、子供たちにはわかるまい。

運良く、石に当たった犬が死んでいた、とでも言えばいい。それとわかる骨だけ、料理中に拾って捨てておけばよい。薪ならまだ、戸板に隠れて外に出れば、近くの茂みで何とか手に入る。

眠るユウナを置いて洞窟の端まで出てきたナミに、ゲンが石に当たって死んだ、と説明した。

「無駄にするのは、勿体ないわ」

と言うと、ナミはすぐわかってくれた。もう、乳もほとんど出なくなっているのだ。ユウナのためには、まずナミが生き延びなくてはならない。

「手伝うわ。あと何人か、起こしてくる」

翌日、村人たちは久しぶりに、煮込んだ肉を食べた。子供たちは喜んだし、大人は誰も、余計なことは言わなかった。問題はただ、次に誰が犠牲になるか、ということだけである。

あと半月、と初めてナミは皆に話した。空の石が、だいぶ少なくなっている。あと半月、ここでしのげばよいと。

石の降り方がまばらになれば、食べ物を求めて、もっと遠出することもできる。海にも、魚が戻ってくる。

災厄の峠は越えた、とナミは話した。あと、もう少しの辛抱だと。

***

ついに、太陽の光が地上に届いた。雨が切れ切れになり、空を覆っていた石の帯も、はっきりと薄くなっている。落ちてくる石や氷も、かなり減っている。

地上を埋めていた無数の石ころも、氷が溶けた分だけ、かさが減っている。

ただ、水面は前より高いままだった。洞窟の入口が、ほとんど海面に沈んでしまっている。陸に降った水と、溶けて流れた氷の分、そして海に降った石や雨の分、海は増えたままだろう。

村人は、元の人数の半分ほどになっていた。だが、若者と子供たちは大部分、生き残っている。怪我人は多いが、今日まで死ななかった者たちは、回復するだろう。

村は、再建できる。

犠牲になることを受け入れてくれた、年寄りたちのおかげだ、とハナは思っていた。グン伯父も死んでくれた。子供たちのために。彼らが進んで身を捧げてくれたから、避難生活の最後の日々、無秩序な殺し合いにならなくて済んだのだ。

生活が落ち着いたら、石碑を作り、慰霊の儀式をしなくては。

子供たちはいずれ、災厄のことを忘れて、村中を走り回るだろう。だが、大人は忘れない。そして、何とかして語り継ぐ。自分たちが、どうやって生き延びたかを。

村の決まりとして、代々、受け継がせていこう。避難所を用意して、食料を蓄えておくことを。

ヒガにもヨナにもユウナにも、繰り返し、言い聞かせておこう。自分の子供や孫に、この災厄のことを語り伝えるようにと。

いつかまた、遠い将来、空から石の雨が降る。

自分が年老いて死んで、子供たちも死んで、その子供たちも死んで、この災厄が遠い昔話になってしまった頃に。

***

石の危険がほとんどなくなると、まずは皆で、集会所の建て直しをした。一軒ずつの家を建てるより、その方が早い。海が高くなった分、元より高い位置を選んで、整地する。

男たちは山から木を切り出し、女たちは畑から石を取り除いた。子供たちも、それぞれに手伝いをした。薪集め、貝拾い、幼い子供たちの世話。

山の木々も、畑の果樹もかなり傷んでいたが、生き残った動物たちが戻ってきて、罠にかかるようになった。

石の下で枯れていた野菜も、太陽の光が当たると、新しい芽を伸ばしてくる。魚も戻ってきた。気温はまだ例年よりだいぶ低いが、重ね着をしていれば済む。

翌年の春。

青い海の上に、帆を張った船の群れが見えた。ハナは家の前の土手からそれを眺め、涙をにじませる。

あの人が帰ってきた。

きっとそうだ。ここ何日も、胸がどきどきしていたもの。

別れていた家族が、また一つになる。

大地の女神よ、感謝します。天からの災厄は、あなたにも、どうしようもなかったのですよね。わたしたちは、生き延びました。どうか、次の災厄まで、この記憶が受け継がれていきますように。

   星雨記 了

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