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『ペルシアン・ブルー11』

   13 スメニアの章

 長い時間を、ほとんど眠って過ごしていた。

 とろとろ眠り、目覚めて少しばかり動いては、また眠る。起きて何かをしてもいいが(体操とか、水浴びとか、書見とか)、やがてはうんざりして、眠りに逃げ込んでしまう。

 外に出られない、という現実に耐えられなくて。

 〝これ〟は本来、一時的な避難所として用意しておいたものだ。嵐の時や、寒すぎる時、暑すぎる時など、この瓶に飛び込んで、内側から蓋をすることで、外部の不愉快な状況から逃れられるように。

 一応の家財道具は置いてあるが、たいした広さではない。自分の存在を圧縮するから、数日の滞在には耐えられる、という程度の場所。

 まさか、外からがっちり封印されてしまい、出られなくなってしまうとは。

 あの魔王に追われた時、隠れるつもりで、ここに飛び込んだのが間違いだった。気配を断ち、砂に埋もれて隠れおおせると思ったのに、甘かった。

 あれから何年、いや、何十年過ぎたものか。

 長く眠っていたせいで、時間の経過がもうわからない。

 けれど、封印もいつかはゆるむはずだ。魔王は力こそ強いが、力の使い方はまだ粗雑で、隙がある。

 補強はしてあるものの、この瓶自体が、外部からの衝撃で割れることもありうる。だから、希望は失っていない。

 もしも絶望したら……その時こそ、あたしは、瓶詰めの悪霊になり果ててしまうだろう。

 そんなことは、このあたしの意地が許さない。

(見てなさいよ。あの傍迷惑・糞野郎。ここから出たら、今度こそ思い知らせてやる!! このスメニアさまを、なめるんじゃない!!)

 そうして、ついにその時が来た。

 さらわれた王女を探し求める男たちが、大挙して、この大砂漠に乗り出してきたからだ。外の世界の気配は、この瓶の中には、ほんのわずかしか伝わってこないので、詳しいことを知り得たのは、瓶から解放された後のことだったが。

「おい、俺の水を勝手に飲むんじゃねえ!!」

「本当に、こっちでいいのかよ?」

「おまえの星の見方、間違ってねえか?」

「おいっ、さそりだ、蠍に刺されたっ!!」

「畜生、どこまで続きやがるんだ、この糞砂漠はよ!!」

 砂漠に慣れている者も、そうでない者もいた。おおかたは、失うものを持たない男たちだ。彼らは徒党を組み、駱駝の隊列で砂漠に挑んでいた。

 ただ、『ナイルの西』というだけの手がかりでは、捜索範囲があまりにも広すぎる。魔王に出会うまでに、ほとんどの捜索者が無駄に命を落とすか、あきらめて引き返すかだろう。

 多少の草原やオアシスが残っているとはいえ、数千年前から、この地方の乾燥化はずっと進行しているのだから。

 豊かな湖は干上がって白い塩の平原になり、そびえ立つ岩山も強烈な日差しのために砕けて風化し、風で移動する砂の海が草原を覆いつくしていく。

 オアシスは枯れ、家畜はもはや育たず、海を越えて来た植民者たちも海岸地方へ撤退し、あるいは地元民と混じって南部へ逃れ……

 昔はここも豊かな草原で、たくさんの動物や人間が暮らしていたなんて嘘みたい。あたしの一族の記憶を除けば、証拠はただ、山地の岩絵に残るだけ……

 何もかもが移り変わるのが世の習いなら、いつかまた、はるかな未来には、ここが緑の大地になる日が来るのだろうか。そして、あたしの一族の子孫が、人間たちに混じって、その緑の園に遊ぶ姿が見られるのだろうか。

   14 サリールの章

 夢を見ていた。

 故郷の王宮の庭園を流れる、清らかな水。こちらから視線をそらせた義母の横顔が、普通以上に悲しげだったと思うのは、自分の身勝手な自惚れか……

義母上ははうえ……もし、貴女が少しでも、ぼくに希望を持たせてくれていたら……)

 サリールが目を開けると、そこはやはり、乾ききった大砂漠だった。無情な太陽に全身の水分を奪われ、肌も舌も、熱をもって火ぶくれのようだ。

 何という、無謀なことを考えたのだろう。はるか北方の山地で育った自分が、灼熱の砂漠で、あてのない捜索を始めるなどと。金髪に青い目、白い肌の自分は、冷涼な気候にこそ向いている。こんな強烈な日差しには、まるきり耐性がない。

 気楽な冒険気分でいられたのは、ペルシア国内の整備された『王道』をたどっていた間だけだった。安全な宿屋に泊まり、各地の美酒や美女を楽しんでいられたうちはよかった。ナイルを越えてからは、地獄になったのだから。

 土地の古老や遊牧民から聞いておいたオアシスも、とうに干上がっているものが多かった。案内人が若い頃に見たという草原も、砂の海のどこかに消えている。

 国から連れてきた部下たちも、盗賊の襲撃や幾度もの砂嵐で少しずつ失い、こんな苛酷な旅はもういやだと脱走者を出し、あるいは病に倒れ……金目当ての案内人も、残った食料を持って逃げた。ついにサリール一人きりになって、革袋の水を飲み干し、最後の駱駝を殺して食べたのは何日前のことか。

 歩いても歩いても、乾ききった岩山か、蠍のいる礫の荒野か、足をとられる砂の原ばかり。サリールは荒野に生えるわずかな草をむしり、蜥蜴や蛇を捕まえて食らった。生き血すらも、貴重な水分だった。

(国の女たちが知ったら、悲鳴をあげるな、きっと。二度とキスしてもらえないかもしれない。どうせ生きて帰れやしないんだから、どうでもいいけど)

 とにかく、ここまで歩き続けてはきたが……

 いい加減、楽になりたい。この苦役を終わらせたい。

 それは簡単なことだった。このまま倒れていれば、遠からず立派なミイラになれるだろう。

(ぼくが死んでも、弟は何人もいる。父上は嘆いてくださるだろうが、跡継ぎには困るまい……)

 思えば、王子というのも割に合わない商売だ。戦争だといえば先頭に立ち、盗賊だといえば討伐にでかけ、飢饉だといえば救援に駆け回り、合間に女を口説けば、もてない連中に逆恨みされる……

 それでも、父が期待をかけてくれる分、サリールは精一杯、努めてきたつもりだが。

 今度ばかりは、無茶だった。大国の姫を得ようと欲をかいて、こんな大砂漠へ踏み込むなどと。

(国内の貴族の姫でももらって、安楽にしていればよかったのにな……)

 気がつくと、太陽はかなり西に傾いていた。また、あの寒い夜が来る。砂漠の気候は、融通のきかない両極端だ。昼はいやというほど照りつけるくせに、夜はあっという間に冷え込んでいく。

 その繰り返しに耐えるのも、もう限界だ。今夜こそは、眠ったまま死ねるのではないか……

 熱を持った堅い岩に背中をもたせかけ、サリールは、日没の最後の光が砂漠を照らすのを見た。深い藍に沈んでいく空は、金と紅とに燃えるわずかな雲に彩られ、錆色に染まる砂と岩の中で、何かが鋭く光る……

 そのまま泥のような眠りにつこうとしている肉体の中で、何かがささやいた。

 あの光は何だ。もしや、何かの人工物ではないか?

 調べろ、調べてみろ。

 ――馬鹿なことを。

 サリールは、自分で自分をあざ笑う。あそこに飲み物の容器か何かが埋まっているなんて、そんな幸運があるはずはない。どうせもうすぐ死ぬのに、期待するだけ無駄だ。

 しかし、そう思いながらも、若いサリールは躰を持ち上げ、足をひきずるようにして歩きだしていた。往生際が悪いというのは、このことだ。もう何もかもあきらめて、このまま楽になってしまいたいはずなのに……

(いや、義母上。もう一度、義母上に会いたい)

 あの人から離れるのは、身を引き裂かれるほど辛かった。それでも、つい父の死を願いたくなる自分が、自分でおぞましかったからだ。それでは、人間以下のけだものではないか。

 サリールが近づいていくと、夕陽を受けて光ったものは、半分砂に埋もれているが、きっちり蓋をした何かの瓶のようだった。

 最近になって、このあたりで遭難した誰かのものか? でなければ、はるか昔に滅びた村でも、この下に埋まっているのか?

 水か、酒の一滴でも残っていてくれればいい。どんなに苦い薬でもいい。しかし、おそらくは、砂から引き出した途端、下半分が砕けてなくなっているのがわかる、というオチだろう……

 震える手で、サリールはその瓶を掘り出した。何ということだろう、砕けていない。

 細い金線で複雑な文様を編み上げ、それで水晶の本体をくるみこんだ、精緻な細工物だ。大きさは、左右の掌で包めるほど。蓋がしっかり閉じられた上に、ずっしりとした重みがある。揺らすと何か、ポチャンという手応えがあるではないか。

 サリールはもどかしい思いで、瓶の蓋を開けようとした。しかしそれは、普通の栓ではない。溶かした金属で、がっちり蓋の周囲を固定してある。まるで、希少な薬液でも守っているかのように。

「えい、くそっ」

 さんざん苦労して爪を痛めてから、サリールはついに、瓶を割ることにした。上の方だけを上手く割れば、下半分の液体はこぼさずに済むはずだ……たぶん、きっと……

 狙いを定めて岩の角に瓶の上部を打ち付け、金属の封がされた部分の下に、うまくひびが入った時――

 瓶が弾けた。内側から。

 そして、甘い香りのする白い煙が、雲のように湧きだした。それは、さわやかな霊気を放ちながら高く立ち昇り、空ですうっと凝縮し、きらびやかな光をまとった人間の形になる。

「ハァイ、やっと見つけてくれたわね!! ああ嬉しい、自由だわ!!」

 元気一杯の、艶やかな声がサリールの頭上から降ってくる。暮れかけた蒼穹を背景にして、金褐色の長い髪をした、豪奢な美女が浮いていた。

 揺れる金の耳飾りと、手のこんだ青や紫の宝石の首飾り。揃いの宝石の腕環に、金の指輪。胸の谷間を誇示する、ぴっちりとした上衣。ぎゅっと胴に巻いた、派手な飾り帯。透けて見えそうで見えない、軽い下衣。

「さっ、しっかりしなさい、あなたの願い事を三つ、叶えてあげるから!! 大丈夫、あたしがついてるから、もう大丈夫よっ!!」

 サリールは声もなく、絶望で目がくらんだ。こんなくっきりした幻覚を見るようでは、もう最後……

 青年はそのまま砂の上に倒れ、意識を失ったのである。

 ***

 どれだけの時間、泥のように眠り続けたのかわからない。

 灼熱の砂漠のただ中に張られた、涼しい天幕の中で目が覚めた時、サリールは裸のまま立派な寝台に横たわり、金褐色の髪、青い瞳の美女に看病されていた。天幕の外には果てしない黄褐色の平原と、抜けるような青空が見える。

「ここは……ぼくはいったい……」

 最初は、遊牧民の部族に救われたのかと考えた。しかし、この美女のなりは王侯貴族並みだし、あたりには羊や駱駝の気配もない。

「まあまあ、無理をしちゃだめよ。危ないところだったんだから」

 起き上がろうとしたサリールを、彼女は優しく助け、背中にクッションをあてがい、冷たい水を飲ませてくれた。甘い果物を食べさせてもらい、勧められた薬酒を味わっているうちに、サリールはすっかり生き返った気分になる。

「ありがとう。おかげで命拾いを……」

 言いかけたサリールは、はたと凍りつく。美女の豊かな胸のすぐ下で、豪華な飾り帯にはさまれている、金の飾りの水晶の小瓶。

「そ……その瓶……」

 ようやく記憶が甦って、サリールは震える声で指差した。

「思い出した? あなたがひびを入れて、あたしを出してくれたのよ。修理したから、元通りに使えるわ」

 にっこりと微笑まれ、サリールはしばらく言葉もない。まさか、こんな小さな瓶の中に、この美女が……?

「き、きみは、女神か、精霊か……」

 それとも魔物か、とつぶやきかけた途端、バチーンと背中を叩かれた。この痛み、確かに夢ではない。

「いやーね、女神だなんて、上手いんだから!! あたしはただの精霊よ。魔女と呼んでくれてもいいわ。でも、魔力はけっこう強いかしらっ」

 何が嬉しいのか、彼女は一人できゃらきゃらと笑い転げている……

(あ、そうか)

 女をさらう魔物がいるなら、瓶から出てくる魔女がいても不思議はないわけだと、サリールは納得した。

(何も、あんなに驚くことはなかったな。まあ、話に聞くのと、自分の目で見るのとでは、衝撃の度合いが違って当然だが)

「改めて感謝する。ぼくは、ヴェラハーンのサリール王子。ペルシアの北側の山中にある、小さな国だけどね。魔物にさらわれた姫君を探してここまで来たんだが、きみに会えなければ、あのまま死ぬところだった……ありがとう」

 寝台の上で、礼儀を正して挨拶すると(腰だけかろうじて、薄い上掛けに隠せた)、美女も悪戯っぽく優雅に一礼する。

「あたしはスメニア。お礼を言うのはこちらよ。あなたのおかげで、三百年ぶりに外に出られたわ」

「三百年!? こ、この瓶の中に、ずっといたのか!?」

「そう。我ながら、よく途中で狂わなかったものだと感心するわ」

 ぼくだって感心する、とサリールは首を横に振った。世界にはまだ、自分の知らないことがたくさんあるようだ。

「ええと、スメニア、きみはそもそも、何歳なんだい?」

 三百年の幽閉が、彼女の若さ、美しさに少しも曇りを与えていないということは。

「あら、女性に歳を訊くなんて、野暮なこと。あなたより年上なのは確かだけど、一族の中では、若い方よ」

 それならば、おそらく、数千歳には達しているのではないだろうか。

「いったい何でまた、瓶の中に?」

「敵と戦って、負けたのよ」

 青い瞳に合わせた、青系統の宝石がよく映えるスメニアは、元来、開け広げな性格らしく、さばさばと身の上を語ってくれた。

「あたしは清く正しい精霊の一族なんだけど、世の中にはたまに、こういう力を悪用する魔物が生まれるの。まともな精霊が途中から狂ってしまったり、普通の人間が悪霊に憑かれたりして、誕生するらしいんだけどね」

 精霊か……それがねじ曲がると魔物になるのかと、サリールは聞き入った。

「人間が、魔物になることもあるのか?」

「ごくたまに、条件が揃った時にね。それがまた、並の精霊より力が強かったりするから、厄介なの。たぶん、多くの死霊や精霊が、核になる一体に吸収されるからでしょうね。あたしも、そういう強敵の一人と戦う羽目になってね。その結果、この香水瓶に封じ込められて、砂漠に放り捨てられたってわけ」

 へええ、とサリールは感心して聞くしかない。世の中には、魔力を持つ者同士の戦いというのもあるのか。そんなものに巻き込まれたら……いや、そうじゃない。

(魔物と戦うとしたら、魔女の援護が必要なんだ。ただの人間では、太刀打ちできないんだから)

 ならば、スメニアと知り合った自分には、希望が持てるではないか!!

「もう百年もこのままだったら、さすがのあたしも、力が衰えて危なかったかもしれないわ。感謝の印に、あなたの願い事を三つ叶えてあげる。あたしの魔力の範囲内でね」

 それは、実に有り難い申し出だった。しかし、弱小国に生まれて用心深く育った身としては、確認せずにはいられない。

「いまの水や食べ物は、それに入ってるのか?」

 あーら、と魔女はころころ笑った。

「これはおまけよ。願い事をかなえる前に、死なれたら困るもの。恨みは忘れても恩は忘れないっていうのが、あたしの一族の伝統でね」

 それは助かる。非常に助かる。いよいよ、ぼくにも運が向いてきたのかもしれないとサリールは思う。

「その、姫をさらった魔物なんだが、パルサ王家の布告によれば……」

 天幕の中で、サリールが知る限りの事情を話すと、スメニアは眉をしかめた。

「その現れ方、その台詞……やっぱり、あいつじゃないかしら。あたしを瓶に閉じ込めた奴。自分じゃ、無敵の魔王だとかほざいてたけど」

「すると、きみでも歯が立たない相手ってことか」

 サリールはつい正直に言ってしまったが、美女は負けず嫌いの気性であるらしい。

「ま、前回は負けたけどね……あたしとしても、三百年の怨みは晴らしたいわよ」

 と、思いつめた眼差しをする。どうやら、恩だけでなく、恨みも忘れない性格のようだ。

「よし、二人で協力して、そいつを倒そう!!」

 サリールが力んで言うと、豪奢な魔女は苦笑した。

「それが、願い事の一つ目ね? あたしの目的とも一致することだし、確かに引き受けたけど、簡単なことだとは思わないでちょうだいね。あたしにも、あなたにも、命がけの戦いになるわよ」

 そんなことは勿論、よくわかっている。

「ぼくだって、ここに来るまでに、たくさんの部下を失ったんだ。手ぶらで国に戻るなんて、有り得ない」

 自分も危うく、死ぬところだったのだ。スメニアに出会わなければ。

「姫を妻にして凱旋できるよう、頑張るよ」

 サリールは魔女に誓った。姫との結婚を義母に祝福されると思うと、いささか苦い凱旋ではあるが。

 ***

 天幕で休養すること、三日。

 スメニアの行き届いた看護のおかげで、サリールは急速に元気を取り戻した。彼女の出してくれた衣装を着て、天幕の周囲を歩くことも、剣を振ることもできるようになっている。父が宝物庫から出して、授けてくれた剣だ。重さに負けて捨てることにならず、よかった。

 魔物に剣は通用しないかもしれないが、毒矢でも火矢でも、使えるものは何でも使えばいいだろう。自分が隙を作れば、あとはスメニアが何とかしてくれる。

「もうそろそろ大丈夫ね」

 四日目の朝、日の出と共に起き出したサリールの様子を見て、スメニアは微笑んだ。

「それじゃ、食べたら出発しましょうか」

 そこで、二人は仲良く朝食にしたのだが、スメニアもよく食べる女である。甘いメロンや無花果を食べ、鳥の蒸し焼きを平らげ、パンをちぎり、羊肉と野菜の串焼きをかじり、合間に水や葡萄酒をぐいぐいやっている。

(ひょっとして、ぼくより大食いか)

 確かに絢爛豪華な美女ではあるが、背はこちらと変わらないくらいに高いし、腕力はありそうだし、いささか、サリールの好みからは外れていた。

 女はやはり、義母上ははうえのように、気高いまでの優美さ、繊細さを備えているのがいい……もちろん、世界のどこにも、義母上に匹敵するような女性はいなくて当然だが。

「あー、おいしかった」

 満腹すると、スメニアは驚くべきことを言う。

「水や食料はたっぷり補給してあるから、安心してていいわよ。この瓶に入れておけば、保存がきくの。ここ数日、あなたが寝てる間に、カルト・ハダシュトやら、メンフィスまで飛んで、必要なものを調達してきたのよ」

 サリールは唖然とした。カルト・ハダシュトは海洋民族であるフェニキア人の植民地、つまり地中海に面した町である。はるばる砂漠を渡って、かなりの日数、北上しなければ、着けないはずだ。

 それに、メンフィスは、とうに通過してきた都。

「ぼくがナイル河畔からここまで来るのに、いったい何日かかったと思うんだ!? それを、ほんの散歩のように言うのか!?」

 圧倒的な魔女の能力には、羨望を通り越して、怒りすら湧くほどだ。しかし、スメニアにとっては、当たり前の移動らしい。

「あちこちで噂話を集めて、三百年分の知識の遅れも、かなり取り戻したわ。今は、パルサ人の国が全盛なのね。ついでに、砂漠で迷って死にかけている連中を何十人か拾って、手近のオアシスまで運んでやったわ。目が覚めたら、さぞ驚くでしょうね」

 と楽しげに言う。サリールは茫然として、しばらく声もない。三十人もの部下を失った、あの地獄の旅路は、いったい何だったのだ。まさか、自分がスメニアに出会うため、ただそれだけのためだったのか?

 くそう。

 青年王子は、金髪の前髪が落ちかかる額を押さえた。

 冷静になろう。人間と魔女では、日常の生活感覚がまるで違うのだ。いちいち驚いたり、騒いだりしていたら、彼女のすることについていけないだろう。

「さあ、立って立って」

 天幕の外に出ると、スメニアはみるまに支柱を外して天幕の布を畳み、ひょいひょいと香水瓶の中にしまいこむ。立派な寝台や椅子や小卓まで、次々に姿を消していく。

「どうやって、この小さな瓶に入るんだ?」

「そんなことを聞かれても、困るわ。圧縮なんて、生まれた時からしてることだもの」

 あっさり言いながら、彼女が香水瓶から砂の上に何かこぼした、と思ったら、そこには、赤と金の糸で織られた美しい絨毯が現れていた。

「……昼寝するのか?」

「あら、空飛ぶ絨毯、知らないの? 過去に何度か、あたしの仲間が人間に見せたはずなんだけどな。ピラミッド建設の時も、あたしの一族が石を持ち上げて手伝ったのよ」

 簡単に言ってくれるが、サリールには目眩のするような話である。ピラミッドは途中で見物してきたが、あの巨石を空に持ち上げられるのか。そして、そんな力を持つ一族の一人でも、王女をさらった魔王には勝てなかったのか。

「だけど、なぜ絨毯なんだ? どうせなら、羽の生えた馬か何かの方が格好よくないか?」

 故郷の神殿には、そういう天馬の像がある。

「馬鹿ねえ、そんなもの、構造的に無理があるし、羽が邪魔で、乗り心地悪いに決まってるでしょ。とにかく、あたしの後ろに座って。慣れないうちは、あたしの帯を握ってて」

 半信半疑のサリールが言われた通りにすると、絨毯は本当にふわりと浮き上がった。そのまま、人の背丈の数倍ほどの高さまで昇る。

 サリールは慌てて、スメニアの胴に両腕を回してしがみついた。といっても、豊かな胸には触れないよう気をつけて。もしも彼女を怒らせるようなことになったら、自分の命など、たやすく消し飛ぶとしか思えないからだ。たとえ、彼女がこちらを命の恩人と認識していても。

「手すりはつけてくれないのか? 落ちたらどうする」

 スメニアの肩にあごを乗せて言うと、彼女はからから笑い、絨毯を前へ進行させた。

「慣れれば平気よ。最初は高度を低くとるから」

 確かに、一定の速度で飛び始めると、絨毯は平らな床の上に置いてあるかのように安定した。スメニアの帯の端さえつかんでいれば、そう怖いこともない。

 こんな絨毯が十枚かそこらあったら、すばらしい戦力になるのではないか、とサリールは想像した。敵の軍隊の頭上から油でも撒いて、火をつけるぞ、と脅せばいいのだ。そうしたら、祖国が大軍に攻められても撃退できる。もっとも、スメニアの力なしには、使えないものなのかもしれないが……

「これなら、魔王の住処なんて、あっという間だろ」

 すると、彼女は苦笑した。

「そうはいかないわ。あいつの根城がどこなのか、あたしも知らないもの。前に出会った時は、地中海の島だったわ。こうして飛びながら、怪しい気配を探していくしかないのよ」

 スメニアも万能ではないわけか。それはそうだな。万能だったら、三百年も瓶に閉じ込められているはずがない。

 しかし、空を飛べるなんて、それだけで夢のように素晴らしいことだ。サリールはスメニアの帯の端を握りつつ、少し離れて座り直す。

 上空から見ると、砂漠は果てしない黄褐色の海である。空は青く晴れわたって、わずかな白い雲を浮かべ、昇る太陽が大地をぐんぐん熱していくのがわかる。

 水がない旅人には地獄だが、こうして眺める青と黄褐色の風景は美しい。わずかな生き物は地下に隠れ、地上には、砂に磨かれた白骨だけが現れている。

 もしかしたら地獄というのは、この砂漠のように、純粋で美しい世界なのかもしれない。人間はきっと、そういう苛烈な純粋さには耐えられないのだろうが……

「暑いわね。日除けを使いましょう」

 スメニアは言い、絨毯の四隅に支柱を立てて、厚い布を張り渡した。日陰に入ることができて、サリールもほっとする。

「高度をとるわよ。その方が涼しいから」

 絨毯は更に高く舞い上がり、視野が広がった。速度が早いので、風をよく受ける。スメニアに言わせると、これでも風の大部分は周囲に受け流しているというのだが。

「ああ、いい気持ち……空ってきれいねえ……生きててよかったわ」

 耳たぶに大粒の真珠を飾り、薔薇の香りのする長い髪をなびかせ、スメニアがうっとりとつぶやいた。べとつく香油ではなく、たくさんの花びらを酒精で蒸して作る香水を愛用しているという。

 実にお洒落な女性で、衣装も宝石も毎日変えるので(香水瓶の中には、ずいぶんな蓄えがあるらしい)、見る方も楽しい。魔女でも何でも、やはり女性はいいとサリールは思う。

 神殿でも、サリールは美しい女神の像が大好きである。どうせ礼拝するなら、やはり麗しい顔、豊かな乳房の女神がいい。いかつい男神の像など、わざわざ拝みたくない。もちろん、王子という立場上、神殿での儀式には真面目くさって参列してきたが。

 ……あれ、待てよ。魔物や精霊がいるということは、その大本である神も実在するってことか?

 イシュタルやバァル、ゼウスやアフラ・マズダなどの信仰は、祭司や預言者たちのでっちあげ、神殿に寄進させるための広告だと思っていたのだ。しかし、実際に、スメニアの不思議な力を目の当たりにしてみると……

 ところが、スメニアはあっさり神を否定した。

「あたしも、神なんて見たことない。そんなものが、本当にいるのかどうかも知らない。いるとしたら、なぜ、あたしの一族は滅びていくの?」

 と、皮肉に言う。

「あたしは、大地や大気の力を集めて使うことはできるわ。でも、死んだ者を蘇らせることはできないし、過去を呼び戻すこともできない。人間より寿命は長いけれど、いずれは年をとって力を失う。神がいるなら、聞いてみたいわよ。なぜ、あたしたちは滅多に子供を授からず、人間たちばかりが増えていくのか……」

 その口調には、運命に対する苦いあきらめと、それでも負けたくない意地が混ざり合っていた。おそらく、寂しさや虚しさを知っているからこそ、普段は明るく振る舞っているのだとサリールは思う。

「減っているのかい、きみの一族は」

「そうよ。だってあなた、精霊を見るのは初めてなんでしょ。昔は、どこにでもいたものなのに」

「どうしてなんだ? こんな力があるのに、どうして子供ができない?」

 すると、スメニアはやや悔しそうな顔をする。

「力があるから、でしょうね」

「えっ?」

「なまじ力があり、寿命が長いから、子供を持つ必要を感じない。自分が楽しく暮らすのが先。子供なんかいつでも作れる、と思っている。ところが、いざという時には、なかなか受胎しないのよ。子供はいらないと長年思っているうちに、そういう体質になってしまうのかもしれない。短い寿命の人間たちは、年頃になるとせっせと励んで、たくさんの子を作るのにね。気がついたら、あたしの一族はもう、まばらにしかいない。世界のどこも、人間だらけになっていく」

 スメニアはしみじみと、敗北を噛みしめるような口調である。

「人間は恐ろしい生き物だわ。豊かな森林を、みるまに荒野に変えてしまう。船や町を作るのに、大量の木を切り出すからよ。金属の精錬や加工のためにも、陶器を焼くためにも木を燃やす。あれほどの大木に覆われていたレバノンの山も、もう禿げ山よ。人の住む所は、どんどん緑を失っていくわ。そうすると、雨のたび、土砂が川に流れるようになる。鳥も獣も魚も、人間のせいで住処を失っていくのよ」

「でも……」

 何もそう、大きな災厄のように言わなくとも、とサリールは納得がいかない。広大な世界のうち、人間が住む場所など、ほんのわずかなものではないか。

「ぼくの国から北へ旅すれば、果てしない草原と森林だぜ。ほとんど無人の土地がいくらでもある」

「確かに、北の地方はまだ、寒さのために人が少ないわ。でも、いずれは同じことよ。人間は遠からず、この地上を埋め尽くすでしょう。大地の七割は海だけれど、そのうち浅い部分を埋め立てて、そこでも暮らすようになるかもね」

「大地の七割が海って、どういう意味だい? 大地って地面のことだろ?」

「ああ、つまりね……月が球体だということは知ってる?」

「そういう説は、学者たちから聞いてるけど。ほんとなのかい」

 月の満ち欠けは、太陽の光が、球体をどの角度から照らすかによって決まるそうだ。そう考えると、日食や月食も説明できるという。月を覆うその影からして、自分たちの住むこの大地もまた球体、つまり地球とでも呼ぶべき天体なのだそうだ。

「あたしたちが住むこの天体も、やはり無限の星空の中に浮かぶ球なの。つまり〝地球〟ね。球面の三割が陸地、残りが海。いずれ、この星が人間で一杯になったら、宇宙を旅して、よその星へ出ていくしかないでしょうね」

 スメニアは上空からじかに見て、大地が巨大な球体であることを知っているという。どこに立っても、球体の中心が真下であるように感じるのだと。こちらから見て裏側にいる人間も、逆さになっているという感覚はないのだそうだ。

「物体を、球の中心へ引く力が常に働いているのよ。海の水が、宇宙へこぼれ出すことはないから安心して」

 月も火星も金星も、同じような球体であることがわかると言う。太陽は自ら燃えて熱と光を出す星で、夜空の星の大半は太陽の仲間だと。地球のような岩の塊だとわかる星は、月や火星など、ごくわずかだと。木星や土星はまた、種類が違うと。

 サリールは頭がくらくらする。まるで、暗黒の宇宙に放り出された気がして。

「もしかして、月や火星にも、人間や動物がいるのかい」

「わからない。少なくとも、月には生き物はいないと思うわ。空気がないのがわかるから。雲もない。雨も降らない。乾いた大地だけ」

「火星か金星なら?」

「遠すぎて、よくわからないわ。金星は厚い雲に覆われていて、その下が見えないの。太陽に近い分、かなり暑いかも。火星は砂嵐がわかるし、雲もできるし、極地の氷も見えるから、月よりは可能性があると思うけれど」

 サリールは、深いため息をついてしまう。

「学者たちに聞かせてやりたい。この話を聞けただけで、きみに会えた値打ちがあるな」

「あら、それはどうも」

「人間が、いつか、そんな遠くまで行けるようになったらすごいね。きみですら、遠すぎて飛べないんだろ?」

「試したことはないけど、たぶん無理。でも、人間は何とかして、行くしかないでしょうね。いずれ、この星だけでは足りなくなったら」

 しかしスメニアは、それを絶望的な未来のように言うのだ。

「人間が増えたら、いけないのか?」

「増えすぎてはいけないのよ。他の生き物の生きる余地が、なくなってしまう」

「でも、まだ遠い先のことだろ……どこの陸地も、人間で溢れるなんて」

 眼下の広大な砂漠には、人どころか獣も住まない。

「そうね、寿命の短いあなたにとってはね。あたしの一族にとっては、そう遠い未来ではないけれど。でも、それまで、何人が生き残っているかしら」

 サリールは、すっかり考えこんでしまった。

「もしかしたら、他の天体から、誰かこっちに来るってことはないかな」

「あるかもね」

 スメニアはようやく、晴れやかに笑った。

「でも、そいつらが領土や奴隷を欲しがっているだけなら、戦わなくてはならないかもね」

「そうか。そういうことも在り得るな。その時は、きみたち精霊は、ぼくら人間の味方をしてくれるかい」

「まあ、たぶんね。やって来たのが精霊の一族なら、また違うかもしれないけど」

「ああ、あんまり不思議な話を聞いたんで、頭の中がぐるぐるするよ」

「好きなだけ悩んでちょうだい。どうせ暇なんだから」

 しかし、人間以上の知識を持ち、不可思議な力を駆使するこのスメニアも、自分の一族が滅びに向かうことは止められないのだ。解決できない悩みや苦しみがあるということは、神よりは、人間に近い生き物なのか。

「少し、わかったような気がするよ……」

 神というものが、もしいるとしても、それはおそらく、ぼくやスメニアの理解の及ばない、はるか彼方の存在なのだろうとサリールは思う。無数の天体を創った後は、遠く離れて見守っているだけなのではないか。自分たちの問題は自分たちで解決せよ、というのが基本方針であるのに違いない。

 そう話すと、スメニアは笑った。

「見守ってくれているなら、有り難いわね。何も手助けしてくれないなら、いてもいなくても同じだけど」

「でもさ、作り手である神がいなくて、この世界だけ最初からあるなんて、変だろ」

「やれやれ、あなたが哲学者とは知らなかったわよ」

 ふと思いついて、サリールは尋ねる。

「なあ、人間と精霊の混血はできないのか?」

「できるわよ、もちろん。でも、何代かすれば、ほとんど人間になってしまうから。やっぱり、あたしたちの純粋な子供が欲しいわね」

「そうか。じゃあ、ぼくではきみの役に立たないな」

 すると、スメニアは絨毯の上に転がって笑いだした。落ちるのではないかと、サリールは心配になる。もっとも、スメニアは絨毯がなくても飛べるのだろうが。

「サリールったら、あたしを妊娠させてくれるつもりだったの? それはどうも、ありがとう」

 しばらく、苦しげに笑いむせんでいる。明らかに、自分では相手に不足という態度だ。

(まあ、いいけどさ……ぼくなんか、スメニアにとっては、生まれたての赤子くらいのものなんだろう)

 眼下の景色はいつしか、果てしない褐色の礫砂漠に移っていた。その上空を飛び過ぎる絨毯の上で、話題を変えてサリールは尋ねる。

「三百年、ずっと、瓶の中で眠ってたの? こんな小さな中じゃ、ぎゅう詰めだろ?」

「いいえ、瓶の中はそこそこ広いのよ。自分自身を圧縮しているのでね。起きた時には果物の木を育てたり、鉢の水で泳いだりしていたわ」

 しかし、三百年は長い……魔女とはいえ、それだけの年月、よくも正常な精神を保っていられたものだ。

「なんで魔王は、きみをその場で殺さなかったんだろう?」

「そうね、きっと、あたしがあまりにも美女だから、殺すのが惜しくなったんじゃない?」

 真顔で言うあたり、スメニアもさすがである。この性格だから生き延びられたのだと、サリールは深く納得した。

「それより、あなたもよく、こんな無茶な旅に出ようなんて気になったわね」

 スメニアが、ちらと探る微笑を見せる。サリールは真面目くさって言った。

「そりゃ、無理もするさ……パルサ王家の姫が手に入るならね。ぼくの国にとっては、何よりの安全保障になる」

「ああら、国のため? パリュサティス姫って、あなたの秘かな恋人じゃないの?」

 スメニアにわざとらしく言われ、サリールはそっぽを向いた。

「そう簡単に近付ける相手なもんか……だけど、これからぼくが助ければ、当然そうなるさ」

 どこの王女だろうが、魔王を倒した後、このぼくのりりしい美貌で手を取れば、たちまちうっとりと恋に落ちることは間違いないと、サリールは確信している。

 国の女たちは、そうして片端からサリールになびいたものだ。侍女たちも貴族の姫も、町娘も田舎娘も……そういう忍び歩きのおかげで、もてない男たちから、幾度か闇討ちを仕掛けられはしたが。

 馬鹿な連中である。自分の女(だと思っていた女)が横から現れたぼくになびいたのは、自分に至らない点があったからではないか、と素直に反省しないものだろうか?

 最初は警戒してつんけんしていた娘でも、あきらめず気長に迫れば、ある日、突然に崩れるものだ。女というものは、とにかく、

『ずっと愛してくれる男』

『いつも優しくしてくれる男』

 を待ち望んでいる。そういう男が現れたら、いじらしいことに、精一杯尽くすつもりでいるのだ。

 それなのに、男の側では平気で女の美醜をあげつらうから、女たちはいじけてしまう。かなり可愛い娘までが、どうせわたしなんか、と卑下して頑なになる。もてない男が、腹いせに醜女呼ばわりしたのを、本気にしたりして。

 それにまた、美しい女ほど老いを恐れる。まだ十分に美しいのに、わずかな衰えを気に病んで、くよくよする。

(たぶん、ぼくの義母上も……)

 だから、優しくしてやればいいのだと、サリールは見極めている。美醜を問わず、年齢を問わず、身分を問わず。

 肝心なのは、裏表のない優しさをもって接すること。そうすれば、女たちは幸せになり、積極的に男に尽くしてくれるのだから。

「結婚する気もないのに口約束したり、飽きたからって、生活の保証もせずに追い出したりするのは最低だよな。ぼくなんか、最初から、正式な結婚はできないと断わってるし、まめに贈り物は届けてるし……みんなを公平に愛してるよ」

 そこで振り向いたスメニアに、指でぱちんと、額をはたかれた。痛いではないか。

「恋人の数を自慢するのも、最低よ。この極楽王子が」

「いや、別に自慢したわけじゃ……単なる事実……」

「いくらもてても、あんた一人で、国中の女の面倒をみるわけにはいかないでしょうが」

「しかし、それも王子の仕事のようなものだろ。みんなに愛と希望を分けているんだぜ」

 スメニアは首を振り、説教がましい口調で言う。

「まずは、誰か一人を、本当に愛したらどうなのよ?」

 サリールは内心、ずきんときた。

(もちろん、愛しているさ。初めてあの人を見た、少年の日からずっと……)

 黒い髪、黒い瞳の典雅な美女。サリールの母が亡くなった後、後添えに迎えられたのだ。だが、義母は父から離れようとしない。サリールと駆け落ちしてくれることなど、決してない。

 仕方がないから、よそで女性を口説き回っているのだ。もしかしたら、義母以上の女性がどこかにいるかもしれないと、はかない期待をかけて。

「で、さんざん遊んだ後は、大国の婿におさまって、めでたし、めでたしってわけ?」

 スメニアは見下したように言う。

「いいだろ、それで。弱小国の王子としては、最上の結婚だぜ」

「あーあ、情けない……さらわれた恋人を取り戻すっていうんなら、あたしも手伝い甲斐があるってもんなのに。お姫さまだって、あんたに利用されたら悲しいと思うけどね」

「利用なんかじゃないさ、ちゃんと大事にするとも」

「大国の姫だから、ね」

「ええい、どうしろって言うんだ!!」

「別にどうも……ただ、あんた自身の幸福はどこにあるのかなあ、と思ってね」

 スメニアは、何か含みのあるような言い方をする。まさか、義母上のことを知っているとは思えないが、とサリールは密かに疑う。

 とにもかくにも、二人はは魔王の居所を探すために、灼熱の砂漠を飛び続けたのである。

  ペルシアン・ブルー12に続く

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