やっちゃば一代記 実録(40)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
小野正吉(おのまさきち)氏
大木は日比谷のレストラン アラスカで腕を揮い、米国に武者修行に行っていた【小野正吉】氏が帰国、新築されるホテルオークラの総料理長に就任するという話を聞きつけた。
オリンピック開催を控えた東京は新幹線敷設、首都高速道路、地下鉄の延長など地上も地下も突貫工事の槌音が響き渡っていた朝鮮動乱はいわば神がかりの景気浮揚だったが、このオリンピックは戦後処理の集大成であり、また世界に向けた日本の国威発揚の絶好の機会でもあった。
昭和三十七年春、大木は建設中のホテルオークラに足を踏み入れた。すでに外観は完成し、開業に向けてホテル関係者の出入りが多い頃だったから、大木を見咎める者はいなかった。小野正吉氏に会うのが目的である。しかし築地の八百屋風情が総料理長としてオークラに迎えられた小野氏にそうそう簡単に会えるわけがなかった。大木は食材調達をする用度課を連日訪問し、自分の店と野菜をピーアールした。そのたびに厨房を覗き、小野氏を探す一方、設備の斬新さに目を奪われたものだ。いまでもはっきり覚えているのはシンクに蛇口がふたつ付いていたことだ。ひとつは一般の水道用だが、もうひとつは地下水の蛇口だった。水を洗浄用と料理用に分けて使う小野氏のこだわりを知った大木は何としてもオークラへの野菜納入を果たしたくなった。そして厨房の奥の方に見たことのある顔を見つけ軽く頭を下げた。年のころ四十二、三。大木より二つくらい年下だが、眼光鋭く、すでに風格さえ感じられた小野氏は、口元を緩めることはなかったものの、日比谷のレストランアラスカの頃を懐かしむ目で大木に挨拶を返してきた。
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