見出し画像

やっちゃば一代記 実録(33)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 米軍クリーニング工場
昭和二十七年四月の講和条約発効までの占領下、連合軍の中枢を占めた米軍は日本各地に駐留、主だった施設を占有した。
 築地市場も青果部の施設の一部が米軍のクリーニング工場として収容された。駐留軍の兵士は我が物顔に市場周辺をうろついた。もともと排他的で、鉄火肌気質の市場業者と馬が合うはずもなく、米兵との諍いはたびたび起きた。水産市場の仲卸業者が隅田川に投げ込まれて溺死する事件があったときはさすがに怨嗟の声が高まった。結局、事件はうやむやにされ、同じ市場に働くものとして大木も臍をかんだものだ、こうした屈辱の一方、日本の経済復興に果たした米軍の役割はあまりに大きかった。
 大木の店の帳場の壁に大判カレンダーを横に五つ並べたくらいの特大ポスターが掛けてあった。米軍サンキスト社のオレンジの写真が刷り込まれていて、もう五十年以上のの作品だったが、大木はことのほか気に入っていた。朝鮮戦争の際、野菜納入で八面六臂の活躍をしたことへの感謝状の代わりに贈られたものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?