まつ毛の重要性に気がついた





私は美女が大好きだ。街で後ろ姿が素敵な人を見かけると、私は颯爽とその人の前を急いで歩き、顔を拝見する。「この後ろ姿の女性、一体どんな綺麗な顔をしてるのだろうか。」その好奇心が溢れて、そういう女性を追いかけざるを得ない。
男だったらバリキモいが、同性なので許して欲しい。




今日も今日とて美女を見かけた。
まず美女あるあるだが、美女は遠目からもう美女なのだ。ウォーリーを探せみたいに、拡大鏡でアップして、「あ、見っけ♡」というものではなく
引きで見て、美しいと分かるのだ。
よく、銀座のスカウトマンがとっさに綺麗な女性を見て声をかけるというが、まさにそれで、
とっさに0.5秒で、「はい!ココです!」と、
私が全路上で声かけしてる人類に教えてあげたい。




私がパトロールをしていて思うのが、みんな必ずしも、最先端のファッションをしている訳ではない。
別にゴヤールのトートを持っていなくても、セリーヌを身に纏うことは、必須条件ではない。
むしろ、スタイルや、艶髪、
自分に合ったファッションだ。



そんな今日、見かけた美女は、六本木某カフェに姿を表した、バリキャリ風のミニ丈を履き、スタイル良い真剣に仕事に打ち込む女性だった。
何やら、英語で羅列された画面を眺めていたので、
おそらく外資系のOLだ。


私は、美しいの大事な要因を見つけた。
それは「まつ毛」なのだ。
まつ毛って正面からだとあまり目立たない。
単なる目を守る毛でしょ、って感じ。
でも横から見ると、
綺麗なまつ毛があるとすっごく儚い印象になったり
お手入れしているだけで、ポイントが上がる。






美しさって時に卑しさをはらむと思う。
なぜなら美女は自分を美女だと自覚しているから。
自分を客観視する過程が必ずあるから。
どんなファッションが自分に似合うのか、自分は
どう見られているのか、どう見せたいのか、
を必ず考える。
客観視ができてないと、土台が良くても
全然磨かれない。
美女が自分を美女だと、心の深く底で認識するのは、
空が青いのと同義なくらい当たり前なことだ。


アイシャドウは、人に見られることを意識してますという形で、どちらかというと意識的な領域だと思う。
上目遣いをする時、夜遊びしたタクシーの中で月に照らされて瞼の上のホログラムを輝かせたり。
それに比べて、まつ毛はもっとナチュラルで
人が究極的に無意識の時に、映えると思うのだ。


真剣な横顔も、
まつ毛がバサっと生えて、全まつ毛が
気持ちよく上にカールして伸びていると
女性らしく、ぱっと遠目で見た時に、「美しい」と
感じる。


美女は自分の思い通りに事を運ばせやすい。
「どう?私綺麗でしょう」といった自己の欲求のために他人をコントロールしようとしだした途端、
他人に見せる美しさを変な方向で意識しだした途端
その美貌はまるで、
10年前の雑誌のワンページを
見ているような、新鮮味もないし感動もしないけど
普通に可愛いんじゃない?といったものになる。

他人を喜ばせるための、ある一定ラインまでは、
まるで子猫のようなキュートな小悪魔さを感じるのだが、他人に対する支配欲をはらんだ途端、あまりに
利己的なものが過ぎると、最悪「般若」のような
顔になると思う。非常に諸刃の剣だ。
好きな人に可愛いって思ってもらいたい、この感情は
ピュアなのでOKだ。むしろどんどんキュートな子猫になっていくだろう。「般若」になるのはもっと、卑しい感情を含んだ時。


可愛い子猫みたいなnewjeansヘリン


般若(他人を支配したい、卑しい感情に囚われた先)
表面上は可愛くても咄嗟の表情がこれになってる


人がハッとこの人美しいと感じる時、それはその人が
無意識の時、そして純粋でピュアな感情を持っている時なのではないかと思う。美しさを意識していない時なのだ。むしろ、対局にある時だ。


美しさを横に置いて、仕事に取り組む。
純粋無垢でピュアな視線に私はハッとなったのだ。
横顔から覗く、遠目からでも分かる、綺麗に持ち上げられたまつ毛。

美しさって一生懸命に叶わない。
それも純粋無垢な一生懸命さ。


彼女は、誰かに見られて美しいと思われているとは
微塵も思わなかっただろう。
その無意識の中にある美しさ。


私は美女を拝んだ帰り道、意気揚々とまつ毛美容液を買った。
まつ育して、まつ毛と一緒に私も何かに真剣に取り組む眼差しをゲットしたい。
そして、あわよくば、そんな自分も誰かに魅力的って思われたい。


まつげ美容液









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