見出し画像

女1人で生きるつらさ⑤3.11

今回は東日本大震災のときを振り返ろうと思う。
震源に近い被災地ではなかったが、デリケートな話でもあるので、不安になる方は見ないでほしい。
その時に何があったのかをつづる。

例3、北関東で被災

震災の時、3時休憩の手前で私は足場の上で作業中だった。
北関東にいたため、東北よりは小さかったのだろうが、経験したことのない長く重い揺れだった。
柱にしがみつき、何とか揺れが収まるまで耐えた。
その後、普段通り作業する先輩方には唖然とした。
この程度では動じず、仕事が優先なのだそうだ。足場の下層で作業していた人は早々に足場から逃げていた。
その後すぐに余震が来た時には、近くにあった石の塀が波打っていた。

休憩所に降りて来て一様に、大きな地震だった、どこが震源だと情報を集めていた。この時はまだスマートフォンが普及し始めたばかりで、ほとんどの人がガラケーを使っていた。情報は刻一刻と更新され、津波の警報もだんだんと全国的な規模へ広がっていった。電話はつながらず、ニュースもパニックにさせないためか、警報が出たこと、震源地などの確実な情報しか発信されておらず、被害の全容がつかめなかったことを覚えている。

休憩所では皆ラジオに耳を傾けていた。1人の上司の家が宮城県の気仙沼付近だったこともあり、上司は歩いて現場から宿にある車を取りに戻った。他の作業員は情報を検索しつつ、大きな地震だったと不安な時をすごしていた。

他部署の先輩が上司の不在に気づき、どこへ行ったのだと聞かれたため、歩いて宿まで戻ったと答えた。なぜ一人で行かせたのだ、車で追って送り届けろと言われたため、急いで追いかけに行った。先輩はトイレが我慢できなかったようで、1人で行くことになった。

車を出すと幸いなことに道は無事だった。驚いたのは、信号機が全く点いていなかったことだ。幹線が近くを通っていたが、徐行に近い速度で運転する車、普段通り走る車、適当に横断する歩行者と、路上の秩序がなくなってしまい混とんとしていたように思う。

注意を払いつつ、幹線の両脇を歩いているかもしれない上司を探すことはなかなか難しかった。電話を掛けようにもつながらず、何度か往復し、見つけることができた。歩いていた上司はいらない、大丈夫と言っていたが、押し問答の末何とか車に乗ってもらい、買い出しをすませて、無事送り届けることができた。

後日近くのガソリンスタンドでは、早々に後の事を予見していたのか販売を取りやめていたが、上司は事情を説明して入れてもらえたそうだ。ありがたい話だと思う。上司の家も高台にあったそうで無事だったそうだ。被災地の救助物資を置いておく場所になっていたと聞いたように思う。

時間軸を先ほどの話へ戻すが、現場へ戻ると不安な顔をした諸先輩方がいた。
送る指示を出した先輩は、何人かの上司に何か言われたのか、申し訳ないといった様子で、どうだったか聞かれた。
とりあえず、自分が不安だったことや見つけることに苦労した感想はさておき、信号が消えていたこと、無事に送り届けたことを伝えたように思う。
また、伝えたときの様子から自分のやったことは判断ミスだったのだと感じた。
特に何をミスしたのかは今も不明で、どこからがミスだったのかはわからないが、上司へ報告連絡相談を怠り、先輩と私の間で判断してしまったことのように思う。切羽詰まった状況というのは、怖いことで、無事に帰還できたことは、運が良かっただけなのかもしれないと、振り返る。

その後現場の安全を確認した後、全員で現場から宿へ向かう頃には、交差点に警官が立ち、交通整理を行っていた。
宿に戻り、とりあえず自分のまわりの確認をした。すると実家の方も連絡がつかず、近隣に被害の情報もあったため、その日のうちに車で帰ることにした。

普段は高速で2時間、下道で4時間といった距離だったのだが、途中で高速道路が封鎖。電光掲示板もついていなかった。
下道へ降り、渋滞の中進むと運よくガソリンスタンドがあり、給油することができた。そこがなかったら、実家からまた現場へも戻ってこれなかったように思う。
結局実家へついたのは出発から8時間後のことだった。

今回男女の性別を語らなかったのは、混乱の渦中の話だからだ。
あの混乱の中、何が正しい選択なのか、誰もわからなかったと思う。
どのような結果になったか、よりよい判断ができたのではないか、それは今振り返ってみればわかることだ。

だからこれは私かわいさの感想でしかない。あの時私を1人で行かせた先輩からは、自分の指示が正しいという慢心、後輩は指示をきくべきという傲慢、上司の安全>後輩の安全という忖度、そして何が悪かったのかどうすればよかったのか解明や伝達しない保身を感じた。
要は何のために先輩がいるのかわからなくなってしまった。
なぜこの人の言うことを聞かなければならないのだろう、という目上への疑心はこのとき芽生え、この後の仕事への気持ちにも影響し、今でも私の心のどこかにいるように思う。

もう一度言う。
「あの時は誰も何もわからず、全てが混乱していた。正解などなかった。」
私は、当時の自分や先輩、周りの人へ、自分の心の中で言い続けている。

教訓

・災害時はなるべく一人で行動しない、させない
・災害時に単独で動くときは、報告連絡相談
・あえて言うならば、震災時は逃げることが優先と思う

震災を経験をした自分の変化

責任者について、先輩や後輩のあり方について考えることが多くなったように思う。また、仕事と命や人生はどちらが重いのかという難題に囚われるようになる。そして同年代の女性と自分との価値観の乖離も、見受けられるようになる。明確化しただけかもしれないが。


今回はこのあたりで。
振り返ると辛いこともあり、心の持ち方を考えさせられる。
書きたいことを書きたいので、このシリーズに囚われず自由に書けたらと思う。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?