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純文学がなぜ僕に必要か

 ライトノベルは若者向けに作られているというわけではないでしょうが、普段耳にする文章の構造が多く簡単に理解しやすいという特徴があるのは事実です。そのような小説はスラスラ進むので読んでいて心地よい所はあります。
 ライトノベルと比較して純文学は(僕が読んできたものですが)、一つ一つの文の意味を理解するのに時間がかかることが多いです。作者が作った文に何の含みもないと考えてスルーしてしまうのも一つの読み方ですが、僕は時間をかけてじっくり考えて読む方が自分に合っているし、得られるものがあると考えているのでそういう読み方をしています。
 僕には小説なんて何の意味もないものだと思っていた時期がありました。しかし純文学を読むようになってからどうやらそうではないなと思うようになりました。人生にはどうしても辛い時があるわけです。人と比較して自分がダメな人間なんだと考えることもあります。そんな時、戦争戦後文学に出会いました。戦争の色濃い時期の人間の性質を如実的に示すそれらの文学はどうしようもない時に人間がどうなるのか、そんな時どう思考して人々は暮らしを乗り越えてきたのか僕に教えてくれました。
 僕は現に戦争の最中にあるわけではないので、小説に登場した人々の生活への対処法が直接役立つということは然う然うないのですが、今とは常識も正義も揺らぐことのないであろうものが全く違うということを知ることができました。僕が縛られていた人々の常識は、大事が起これば簡単に覆される、それほどまでに脆弱なものである。それ故にそこまで我々は囚われる必要はないのだと、そう感じたのです。

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