見出し画像

すも8

プロ野球チップスのSSRカードに、鼻くそがついてたらしい。ざまぁみやがれ。応援してねえでお前の人生プレイオフしろ。

ぼーっと春の生ぬるい風を顔面に浴びて、ゆっくり歩いていく。ふと目を瞑って、そこに広がるのは真っ黄色の部屋。老舗遊園地の塗料みたく、すこし鬱っけのある黄色。
私は部屋を見渡そうとする。正面には扉はない。視線を右側にそらす。しかしそこには何もない。壁も、もはや「何も無い」すらない。

そこで気付く。ワタシはその部屋の壁なんだと。ワタシに扉がついてるかもしれない。ワタシの窓から見るのは花畑か、ネオン街か、閑静な住宅街か、それとも地球が見えるか。自分の身体を見れない。なぜなら壁に目玉はないから。私は何を言ってるんだ?スッとまた目を閉じて、目を開けると、紺色のセーターと、紺色のボックススカートという紺色大好きマンコーデの私だった。机には英語のレジュメがあり、10メートルくらい前で喋る先生は永遠にabstractが大事と言っていた。

「abstractが大事です。研究の要旨?ヨウシ↑?ようし↓?まあ何でも良いですけど。とにかくabstractです。関東とか首都圏とか研究発表会で発表する機会これからあると思うんですけど、やっぱ求められます。何をだと思いますか?abstractです。abstractを書けと言われます。だからabstractコレメチャ大事。じゃあ実際にabstractを読んでみましょう。」

はーい。と心の中で返事をしてみて、また目を閉じた。

世の中には、本当の自分が1人いて、対人関係ごとに意識を切り替えている、いわば仮面を付け替えている。って考えてる人がいるらしい。
世の中には、本当の自分なんてのはいなくて、対人関係ごとに切り替わる意識の総体が「私」であり、それらは強固なネットワークで繋がっている。って考えてる人がいるらしい。そんなことを考えるなよ、いちいち。お前らはうんこ我慢しながらスリーポイント決めて、「ウンコ我慢しながらスリーポイント決めた人なんかいねえよなぁ」って思え。
そういう中で、久々に小説を読み始めた。

彼におすすめの本を聞いた。ツイッターでなんか本の話をしてたような気がしたから。

「ノルウェイの森」
ノルウェイ?ノルウェーじゃなくて?オレ、伸ばし棒使わない本嫌いなんだよ。と私の鼻の穴からかつての談志が出てきて言った。よかった、マスクしてて。
どっちの鼻の穴から出てきたと思う?どうでもええわ

昼食の時間になり、特に飯を食う気も無かったのでそのまま図書室に行った。春も中頃、風に揺らされる葉っぱの音で、何千年にも重ねられたような時間の濃密さと、相反する、時を止めたようなカラッとした空気が混ざり合ってた。

手で包みこんでくるような風の音にもってかれそうになったが、とにもかくにも、彼との話題が欲しかったから、すぐに真っ赤な背中に(ノルウェイの森 村上春樹)を見つけ出して貸し出しカードに名前を殴り書きした。
とにもかくにも彼との話題が欲しかったから、どこにいても何をしても、たとえセックス中でもノルウェイの森を読んだ。ノンフィクションセックスの途中にセックスフィクションを読んだ。

小説は避けて通ってきた。字だらけの紙のたばを黙って読んでるやつは正気じゃないと思っていた。その中でも特に村上春樹は、読書好きな祖父があまり好きとしない作家だったもんだから、余計にだった。まあ多分ふつうに下ネタが嫌いなんだろうけど。。。

ノルウェイの森を読み進めていくと、ふと立ち止まり、そして親近感を覚えるのだ。これは、


そしてその流れで、本当の自分がどうのこうのという話を思い出した。
私はうんこ我慢しながらフリースローを2連チャンで決めたことがある。1はいても、2はいないだろ〜っと思った。
その上でも、本当の自分が1人いて、対人関係ごとに意識を切り替えている、仮面を付け替えているって考えがしっくりきた。
いわば、本当の自分というより、「私」を俯瞰する意識が私の中心部にあるのだ。
そしてそれは、私が人生でたくさん読んできた作家のクローンである。クローンで器を作って、モヤモヤっとしてふちどれない自分の意識と同化させるのだ。
だから彼の中には彼特製の村上春樹が中心部に座っていて、そしてそれが彼の意識となって、理性となって確かに顕在しているのだ。

好き勝手喋って、好きだった子に振られて、保健の授業は常におっぱいの話で(私は好きだよ)そして人は死んでいくのだ。
それにしてもウンコって、臭いよな〜

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?