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動物を飼うということ

パピヨンという犬を17年前に買った。
ずっと健康でほとんど病院のお世話になることもなく無事に毎日を送っていた。
2年前に父が88さいで亡くなったが、そのパピヨンはそれからも生き続け、今は17才。
数ヶ月前から徘徊のようにぐるぐると同じところを歩いたり、排泄の失敗をするようになった。
そしてここ1ヶ月はほとんど毎晩の夜泣きと捻転を繰り返し、家族が安眠できない状況になってしまった。
病院に相談に行ってもやはり認知症でしょうと言われ、それに効く薬はないので、サプリを使いましょうと言われた。2週間飲ませてみたけれど全く変化はなく、相変わらずの夜泣きにほとほと疲れてしまった。
睡眠薬と、鎮静剤をもらい、医者に言われたよりも多めに飲ませてみたところ、少しだけ効いたのか夜泣きは少なくなった。その代わり動きが悪くなり今はもう自力では歩けなくなった。
日中はほとんど眠っているが、夜中になると泣き出す。これは認知症の犬の特徴のようだ。

動物を飼うということは、こういうこと。介護が必要になっても投げ出さずに命が消えるまで見続ける必要があるということだ。
意味なく(動物にとっては何かの意思表示かも)泣くのをなだめたり、抱きしめたりしながら、見続けなければならない。

私が犬のこういう状態にかなり過敏になり、夜安眠できない日がいつまで続くのか見通しがわからない毎日に疲弊していると、娘は「お母さんは考えすぎ」と言う。どうにかなるし、そんなに長く続かないのだからという。
でも、見通しが立たない毎日が非常に苦痛なわけで。
とても辛いし、不安だし、苦痛。
一日でも早く、召されてほしいと願う私は冷酷なのか?一方で17年間も一緒にいたのだから、もうこれ以上犬にも辛い思いになってほしくないと思う気持ちもあり。葛藤する。

あれやこれやで疲れてしまい、今はもうすべてを投げ出したい気分。

動物を飼うということは、こんなに大変だし、責任が重いものなのだと思う。
今の犬が召されたら、私はもう二度と飼うことはない。

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