母と娘

私の本音は母には届かない。

見えている世界が違う。
母の本音は靄の中だ。母親の抱える孤独は自分のことがよく見えないということだろう。自分なのに自分のことがよくわからない。わからないなりに常識的に生きようと努力してきたし、それが望まれた生き方だし、昔の女なんてそうするしか選択肢がないと思っていた。
実家に住んでパート勤務して夜は洋裁や生花の学校へ習い事をする。そして、長男が結婚してお嫁さんが嫁いで来たから居る場所が無くなった。無くなったらお見合いの話が来た。お見合いしたらOKということらしいのでそのまま結婚した。結婚すると子供を作るものと知っていたのでそうやって3人の子を産んだ。そういうもんだと思っていた。

そして、70を超えて思うこと。
結婚なんてしたらいいってもんでもない。その時まだ独身だった私は言葉をなくしてしまった。後から考え考え、親孝行が終わってないってことかも知れないなとオチつける。

出産どころか、結婚からの否定とは。ぼんやりしてきてしまう。

私の母は発達障害なのだろうか。
以前そんな本を読んだ。様々な家族の症例が載っていた。最後の方の章で
精神科医が言う。あなたのお母さんは普通では無いと思います。
一冊読み終えた時、なにかひっかかったのはその話だった。
その人の親は丁寧な時もある。だけど何かがおかしい。その人はおかしいのは自分だと思って受診する。

うちの母はわけがわからない。
親切なところ、人の気持ちを思いやって行動するところ、確かにある。
そんな風には考えたりしないし、思うわけがない。と、あの時あれは深く傷ついたと私が言うと返ってくる。
そして、それならあの時言えばよかっただろ!と逆ギレされた。
私は私で、傷ついていると言うことに中年の年になってやっと気づけたから聞いて欲しかったと言う。子供の頃頭が追いつかなくなる出来事が多々あった。

私は今自分の心の整理をしている。
傷をみつめるをしている。元気そうな私は知っている。
いつまでも泣いていたり傷ついて荒れてる自分のことを許容できずにいた。
だけど一番愛しいのはその私だった。

なにがあってもその私だけは置いていってはいけなかった。やっと振り向いてごめんね。と言う。
悲しみを悲しみと感じる余裕。
傷を誰かに確かめてもらいたかった。
しかし、母そのものが悪気なく傷つけにくる本人だった。
子が母に共感してもらうこと。子が母に泣いてる理由を訊ねてもらうこと。
子が母に本音を伏せ始めたのはいつからだったのか。

私は私の存在に気づけるようになった。2度離婚してから。私に対する夫と私に対する母が似ていたと気づいたあたりからだった。私はここを治さないと一生かかっても、また同じ人間関係を築くだろう。
もう元夫に愛されなければと頑張る理由もないし、私自身が私を大事にしていくことを赤ちゃんみたいに吸い込んでいる。
愛はもらうでもなく、与えるでもなく、ただ感じるもの。この言葉を聞いた時から好きになった。

焦りを手放して普通に息をする。
私は草食動物でも肉食でも無い。
ひとなんです。
ひとだから、誰かを出し抜かなくても生きていけるんです。
戦わなくても生きていける。
ひとそれぞれの中で。

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