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期待してはいけないし欲を出して良いことはない

祭りがある

7月
自分の生まれた地域では祭りが開催される。幼い頃から参加していた僕は2018年までは毎年出ていた。その年は複数部署がある中の一つの部の長を任命され、町内の方々に協力を貰いながら無事に納める事ができた。
お空おそらくこの先も町内の一員として部長を務めながら祭りに関わっていくのだろうと思っていたし、そうしたかった。コミュニケーションを取るのは得意ではないが、それでも祭りに参加しみんなで楽しみながら奉納する事に意味があった。

ちなみにどんな祭りかというと

こんな祭り。
YouTubeやInstagramで検索するともう少し迫力ある雰囲気が伝わると思う。

どの地域でも祭りに参加している人は同様の想いだと思うが、1年は祭りで始まり祭りで終わる。このマインドで生活している。

妻のマインド

妻は、基本的に常に一緒にいたい、一緒に行動したい、僕が参加するものには自分も一緒に参加したい、僕の交友関係の全ての一部になりたいと思う人。
以前の恋人との話を聞くと、これは僕と知り合う前からこのような考えで生活してきていそうだ。交際が始まったと思えば同棲を願い、それが叶うと住所を移動させる。相手にとっては少し「あれ、ちょっと早くない?」と思ってしまうだろう。そしてこのことは、県内に留まらず県外でももれなく適用される。話を聞いただけでも、北海道や岩手が挙がっていた。

その背景には愛情への執着や不安要素あり、安定的で恒久的な愛を求めている結果なんだと思う。

自立してお互いを尊重し過干渉にならず、必要な時は力を結集するのを好む僕とは、考え方が違うのである。

2023年の祭りに参加するまで

その年の祭りへの参加の可否は遅くても3月までに決定しておく事がベストである。それは、参加者の中から部長を最終決定するからである。一般の参加者であればもう少し遅くても支障はないが、町内の人の場合は異なる。不幸があったりして急遽不参加の場合は仕方ないが、基本的には育成的な面も加味しているため、今年はこの役割、来年はこの役割と道筋がたてられる。町内的なプランもあるが、一番は自分がそうでありたいと思っているし、一つでも多くの事を関わりたいと思っている。

今年でいえば、3月時点では祭りには不参加だった。妻との間で、妻の実家の伝統行事に出るのが嫌なのであれば、こちらの祭りにも参加はして欲しくないという話し合いがあったからだ。もちろん、そのほかには妻の体調もある。僕は祭りに出たいが妻と一緒に行動することは予測される役割を考えると難しい、そうなると妻は自宅で過ごすか、実家に帰って過ごす事になる。しかし、僕だけ楽しむ事、1人で過ごす事ができない事などを理由に妻はそれを良しとしない
結果、祭りには参加しないという決断になる。

ところが6月末、祭りまで1ヶ月を切った頃に再度祭りの話がでた。
毎回同じ内容で言い合いというか話しが進む。僕的にはこのくだりももう嫌だ。毎回同じように話、互いの主張を言い、妻のメンタル面を考慮し結局こちらが折れる事になる。しかし今回は、妻がその話を義理母に話したようで、「祭りに参加させてあげれば良いでしょう」と助言したらしい。妻は嫁いだ身であり、実家の伝統行事にも参加しろ(僕が伝統行事への参加を渋っている背景もある)とは言えないのではないか、話したようだ。

そうすると妻から「私も楽しめるのでれば参加しても良い」という言葉が出た。義理母の言葉は妻にとってそれが一番という事がここでもわかる。
「お母さんが言ったから」
「お母さんが言うなら参加してもいいよ」
この言葉に全てが集約されているなと感じた。

祭り当日

僕の実家にはちょいと認知症がある祖父がいる。祭り当日は9時にデイサービススタッフの迎えがあり、17時に帰宅する。
ちょうど祭りを見ていた妻が僕の実家に一時帰宅すると、囃子の音に誘われ祖父がデイサービスのお迎えの前に家から出てきたらしく、その行動を見た妻は「これだと危ないからお迎え来るまで一緒にいる」と決めた。
そして、帰ってくる頃には熱中症になると大変だからと前もってエアコンをつけお出迎えをした。お出迎えをすると祖父は出店を見たいと思い、妻と共に行く。
これが祭り期間中の二日間あった。そして二日目に出店に行って体調を崩している方に、祖父が手で、くるくるxxxxとジェスチャーをした。妻はそれを叱り僕の母にもその出来事を伝えた。
うちの母は祖父に対し寛大な心は持ち合わせてないし、普段からなぜそのような行動をとってしまうのか、なんで同じ事を繰り返すのかを考察する事はなので、毎回怒鳴り散らかしている。
今回もその話を聞いた時に妻の前で祖父にキツく話ていた。僕は母のその行動にいらっとしてしまい、母にキツく話した。

これが引き金となり妻の気持ちは乱れてしまった。それでも当日は頓服を飲み、楽しみたいという思いが強かったのか体調を戻し、最後まで祭りを見ていた。

時は変わり友人の葬式に参列

祭りから程なくして、僕の友人が亡くなり葬儀に参列する事になった。祭りにも参加し部活を一緒にし、社会人になってからもみんなで集まる中のうちの1人だった。僕にとってもとても大切な友人の1人だった。葬儀までの数日、妻には当日葬儀に参加し、その後みんなで飯を食べ、夜は再度集まり飲むことになると思うと何回も伝えていた。
何時にどこで何時まで集まるのかを知りたい妻だったが、それは葬儀後でないとわからないと伝えていた。そして当日、葬儀が終わり昼飯を食べることになる。着替えのため一時帰宅をし妻にこれから昼飯を食べる事、おそらくその後飲みに行くことになることを伝えた。

昼飯という名のアルコール摂取が開始し、時間が長くなる感じがあった。その途中で妻から、過呼吸発作が起こりそうと連絡があったため、途中で帰宅し妻の看病にあたった。
また飲み会に戻りたかったため、妻に「頓服を飲んで1人で待っているか」「実家にお泊まりするか」どっちかにしてほしいと頼むがどちらもNO
。私が体調悪いのに本当に戻るのか、実家にも行きたいくないと。

妻に直接は伝えてないが、流石に気分が悪い態度で接していた。
何日も前から予定を話していたし、妻の実家にお泊まりする提案もした。友人はとても大切な友人の1人だよとも言っていた。それでも妻は家で待っているというので、頓服飲んだりして自分で対応するんだなと思った。
そしたら、僕的には案の定1人では過ごせず、いつ戻ってくるかかわからない不安、帰ってきてもまた夜は1人だという不安から過呼吸になった。

少しでも妻に期待をしてしまった自分が愚かだ。
期待するから絶望するし、自分の欲を出してしまったからこのような結果になる。
あー、そうだったな。前にも同じことがあったと振り返る。

こうなるから友人関係もセーブしてたし、祭りもでないという選択をしてきた。

やっぱり、妻と妻の知り合い、妻の家族程度の環境で生活しないと、僕の心がもたないな。発狂しなくよかった。


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