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いつか今日を面白がる

高校1年生4月の、みんなの緊張が少し緩まる体育の授業。軽くちょけてたあいつを見て、気が合いそうだなと思った。

詳しくは思い出せないけど、整列の時に少し変なというか、ユニークな動きを確かしていたと思う。映像は鮮明でないが、それでも感情はべったりと胸に残っている。おそらく走馬灯でもお世話になる。

予想は的中してそいつとはかなり仲良くなった。今でも一番の親友ぐらいに思っている。そんな今から、その時のことを思い出して「こんなに仲良いのに、あの時は気が合いそうぐらいにしか思ってなかったんだな」と少しギャップに面白くなってしまう。もっと言えば、中学でも2人はテニス部で、お互いの学校が練習試合を何度かしていたのでもちろん目にしていたはずだ。将来親友になる人間を、近くにいながらモブCぐらいにしか思ってなかったおかしさったらありやしない。

親友とまではいかない人でも、そんなことを考える。クラス替え後の自己紹介、のちに友達になるクラスメイトとの初対面を思い出して、変だなって少し笑ったりする。だって対応がまるっきり違う。いじったり、ケツ叩いたりしてるやつに他意のない純粋な敬語を使っていた瞬間があるなんて。


それと最近うちに猫が来た。姉が保健所から連れてきて飼うことになったそうだ。世話には結局母が奔走している。まだ家に人間以外の生物がいることにしっくり来ないが、これもきっとすぐ慣れて日常になる。その時今日を思い出して、違和感があった時期もあったなそういえば、と笑うのだろう。猫が来る前ってどうやって生活してたんだっけ、って。


いつか思い出される瞬間をいま、進行形で僕らは生きている。なんだか不思議で面白いこと。つまるところ、今日という日は無数のプロローグを秘めている。そうじゃなかった時もあったんだよなあって、今この瞬間を思い出す時が、いつか来るってこと。

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