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ソーダ水の向こう側

「山手のドルフィン」
素敵な「松任谷由実さん」の曲の中
静かに生きているレストランです。

私が、この曲と出会ったのは高校生の頃でした。

まだまだ世間知らずの、人見知り・ひとりっ子は
「山手のドルフィン」に、思いを馳せました。

🌿きっと海の音が、薄いガラスを越えて聞こえて来るんだろうな・・・
テーブルは白で、カップも壁もインテリアも白が多くて・・・
その日、その時間ごとに、海と空の色が変化して
きっとレストランの色も、一緒にダンスするのだろう・・・

満席ではないけれど、いつも恋しい気持ちを抱いた人たちが集い
嬉しい気持ちや、切ない気持ちを合わせ持つんだろう・・・🌿

まだ恋の手前で、立ち止まっていた高校生の私は
行ったことのない場所で
返事が出来ない未来を、彷徨っているようでした。

そのうち知り合いに
「ドルフィンに好きな人と行くと
お別れするかも知れないジンクスがあるよ」と聞き
まだ始まってもいない恋に
慌てて「行ってはいけない約束」をしていました。

その頃の淡い恋は、私にとってとても壊れやすく
自分のもののようで、そうでない感覚もあり
自分の気持ちも、相手の気持ちも自由にならない
とても窮屈で、とても苦しい
そしてだからこそ、とても美しくて儚いものだった気がします。

あの頃の自分は、とても不器用で怖がりで
でも曲げたくない意思が、小さくも存在して
今の自分の礎になっているようです。

とても純粋だったけれど、だからこそ何度も立ち止まり
もしその頃に戻って、自分と会えるなら言ってあげたい事が山ほどあります

「判断は正しいけれど、もっと楽しんでいいんだよ」
「たくさん人の力を借りて、助けて!と言いなさい」 
「世間って言うけれど、それは自分の正義が作った錯覚だよ。自分の首を締める正義は本物じゃないね」

ドルフィンに行く勇気が出なかったあの頃、守りたかったのは何だったんだろう・・・と考えます。

本当は何も、まだ手にしていなかったかも知れません。
淡くも、悲しいくらい透き通る時代の
触れたいような、見ていたいだけのような
そんな場所「ドルフィン」です。

歌詞の通り、私なら最後に、なんてメッセージを書くのかな。
始まっていない事に
自分で「最後のシナリオ」も書いてしまう・・・
そんな癖は、今も健在です。

旅や観光として「行きたい場所」は沢山あるけれど
「ドルフィン」は、そういう感覚の「行きたい場所」ではない気がします。

たぶん再会したら、切なくて抱きしめてしまうほど
生きるのが下手くそな自分が、今もそこにいるようで・・・。

場所は思い出と一緒に、ずっと生きているものなのでしょうか🌿



追記
ギャラリーからお借りしたのは
大好きな「hoho」さんの作品です🌷ありがとうございました







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