母の手鏡
私は幼い頃、母が「お化粧をしている様」を、見ているのが好きでした
多分、それが終わると仕事に出掛けてしまうので
最初は「少しの時間でも、一緒にいたくて」が、理由だったかも知れません
その頃母は、30代前半でした
母のお化粧はまず
柔らかなガーゼで、顔の汚れを拭き取る事から始まりました
その頃は既に、ティッシュなるものは有ったのですが
母はいつも毎回、ガーゼを使っていました
今考えると、短くはないお化粧時間だったと思います
その間、頬紅やアイシャドウは使われず
ひたすら今で言う「基礎化粧」の手間に、時間が使われていました
そして最後に、唯一の色味である「赤い口紅」を
サッと引いて、鏡を見ると
母の顔は「仕事をする人」の顔つきに、変わっていたような気がします
それから後の準備は、とても早くて
用意してあった「今日の着物」に袖を通すと
紐を使って、帯芯を使って
あれよあれよと言う間に「母であって、母ではない人」になっていきました
その頃の女の子あるあるですが、私もかなり母の化粧品で遊びました
化粧台の奥から見つけた「アイシャドウや、チーク、口紅」などで
「どうしたらそうなる?」と言うような仕上がりに!笑
たぶん私の、お化粧や服に対する考え方は
母の影響を、とても受けていると思います
私が初めて「自分のお化粧品」を手にしたのは、17歳でした
お友達と初詣に出掛ける際に、メイクがしたくて
アイメイク品と、チークだけ買って貰いました
その頃、母が通っていた「化粧品屋さん」には
交代で店番をする、姉妹の「お姉さん」がいました
お店には、化粧品の甘くて、少し大人な香りが漂い
キラキラした化粧道具が、たくさん揃っていて
子供の私には、流行りのメイクをしているお姉さんたちが
とても美しく、眩しく見えていたのを覚えています
さて、私が初めて買った化粧品は「今!CMで流れているもの」で
それを使えば必ず「あのCMのようになれる・・・はず」と
17歳の心に、願ったものでした
初詣の結果は、曖昧で意味不明な「今日は、いつもと違うね」
という言葉で締めくくられ
それから1度も、メイクには触れられない有り様でした
その頃の私にとって「お化粧」は、大人への入口で
初めて買った切符を手にして、オロオロ・・・
行き先も定まらないまま、電車に乗った気分でした
やがて時がたち「定期券」を買う頃には
メイクの情報も、オシャレのパターンも、しっかり頭に入り
「化粧品屋さんのお姉さん」とは
大人になってからも、とても仲良しでいました
20代の頃は、お化粧もメイクも楽しくて、大好きで
それが結婚して子供を持つ頃になると
忙しくてメイクどころではなく、毎日スッピンで働き
「いつか必ず、オシャレ復活するぞ・・・」と
送迎の幼稚園バスの、窓ガラスに映った自分に
悔しさのあまり、約束していました
それからまた髪をのばしたり、オシャレに興味を持ち直したり
紆余曲折あり、現在はと言うと
「清潔で元気」が、メイクとオシャレの基本になりました
年齢を重ねたので、ややもすれば「疲れた人」となってしまいがち
そこはメイクの色味の力を借りて
「そこそこ元気な人」に、見えたら良いなと思います
もう外から何かを加えても
中から滲み出る「今までの生き方」は
良くも悪くも、変える事は出来ない気がします
あの日も使っていた「母の手鏡」には
今の私はどう映るのでしょうか
「両親の形見の品」の中に、今でも眠っている「母の手鏡」
最後に赤い口紅を引く「凛とした大人」を、幾度となく映してきたそれは
「本当の自分」を映してしまいそうで、少し怖い私です
ギャラリーからお借りしたのは
大好きな「hoho」さんの作品です🍎ありがとうございました