はじめまして。そらです。第2歩へ。
大きな進路変更!
法学部を志望して、文系の学習しかしてこなかった私が、病院に、長期入院することで、理系に変わりたい。と、言い出した。
骨肉腫のため、足と骨盤の手術をして、歩けない私にとって病院の中だけが、居場所でした。
思うように歩けないイライラと、食べたい物も食べられないイライラ。それ以外も常にイライラ!
そんな私のイライラを親身に話を聞いてくれたのが、リハビリの先生でした。今でも名前と、お顔を覚えています。
「食事まずい。」
「食べたい物ない。」
「病院嫌い。」
「なんで、リハビリしないといけないの?」
こんな私の馬鹿げた質問に一生懸命答えて下さいました。
今なら言えます。
「ありがとうございます。」❣️
そして、その中に
「そんなに食事に文句があるなら栄養士って仕事があるよ。やってみたら。」
この言葉で、私の志望学部が変わりました。特に何かやりたかったわけではなく、ただ真面目に過ごしていた私にとって、文系も、母の勧めでそうかな?って感じで決めていたので、初めて自分でやってみよう。と思った事でした。
でも、ここからは大変。😩なぜなら数学も、化学も、生物も恐ろしく悪い点数。英語もそんなに得意でもなく。国語や社会はなんとか。って感じの私が高校2年の3学期にそんな事を言い出したから周りは大慌てでした。
特に担任です。
私は私立の特別進学クラスにはいってしまっていたので、担任は進学率のためにも、かなり私を説得しようとしていました。
今考えると、当然かもしれません。偏差値35.40の教科で受験するなんて、恐ろしいー。と今の私なら思います。
でも、知らない事は時に、パワーをうむと思います。
親には家庭教師、予備校と塾の送り迎え(車椅子や松葉杖なので、一人で通えません)
かなりご迷惑をおかけしましたが、おかげで合格出来た時にはかなりうれしかったことをまだ今でも覚えています。
でも、高校2年の半年は学校に通っていなくて、その後も病院で早退を繰り返したり、薬の副作用で眠くて保健室通いだった私。
ただのわがままもあったと今は思いますが、とにかくみんなが普通に歩いているのに、自分が歩けない。それが嫌で、ずっとイライラして誰にも心を開かず、本当に嫌な人間だっただろうと思います。今は。
でも、そんな私が合格して大学生になれる。
そんな一歩を踏み出す機会ができた事が、本当に嬉しかった。
また、変更!
その前にやはり1人で全てをすることは難しいだから、一人暮らしは断念して、寮生活へ。
第2歩
これか私の第2歩となるのです。
1人暮らしをせずに、寮生活。普通の生活できなくて、人と比べて自分は劣っていると感じている私が、人と共同の部屋で、共同生活。
「わあ。無理だー。」
「せっかく大学に通ったのにー。」
そんな思いで入学式を迎えました。
大学に入学できたことは嬉しい。
でも、寮生活が嫌。
複雑な気持ちのまま、
女性寮、和室の2人部屋での、第2歩目が始まりました。
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