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「わたしの想い」Vol.3~家族を亡くされた介護者のその後~ 地域包括支援センターときわぎ国領

調布市地域包括支援センターときわぎ国領では、住み慣れた地域で生活されている認知症の方や家族介護者同士で対談を行い、小冊子『わたしの想い』を作成し文章で発信しております。なかなか知ることのできない当事者の皆様の想いにぜひ触れてください。

わたしの想い Vol.3 ~家族を亡くされた介護者のその後~
(令和5年11月作成)

登場人物…Tさん/Uさん(家族介護者) 道脇/佐藤(当センター職員)


佐藤:皆様おはようございます。
 
一同:おはようございます。
 
佐藤:私は、地域包括支援センターときわぎ国領の佐藤と申します。認知症地域支援推進員をしております。昨年に引き続き、『わたしの想い』の作成に関わらせていただいております。今回はお二人の方にご協力をいただくことになりました。今回のテーマは、「御家族を亡くされた後の介護者のその後について」です。包括支援センターもいろいろな方から、亡くなられた後のお話を伺うことも多く、こういう時どうしているのかな、なんて、聞かれることも多々あります。おひとりでお悩みになられている方の、励み、という言い方で良いのかはわかりませんが、そういった方々に寄り添える冊子があると良いのではというところで、お二人の方にお声がけをさせていただきました。では、簡単で構いませんので、自己紹介をお願いをできればと思います。ではまず、Tさんから自己紹介をお願いします。
 
Tさん:Tです。夫は令和5年4月に81歳で亡くなりました。
 
佐藤:本日はよろしくお願いします。では次にUさんですね。
 
Uさん:Uです。今、81歳。姉とは7つ違いで、87で亡くなりました。突然の事だったので、ショックが大きくて大変でした。
 
佐藤:お二方ともありがとうございます。本日はお気持ちなどお話をしていただければと思います。よろしくお願い致します。ではまず、Tさんからお話をお聞きできればと思うんですけれども、当時、関わっていた包括の職員の道脇から少しご紹介をさせていただきたいと思います。
 
道脇:はい。Tさんの奥さんが包括支援センターに初めてお見えになったのが、令和3年でした。今回、Tさんにご協力していただいた目的としては、ご主人がすごく病院がお嫌いで、自分の考えがしっかりある方で、それをご家族も、ご本人の思いに葛藤はあったでしょうが、もう覚悟されて、最期を見送られたっていう、私も今まで関わってきた中で、とても印象的な方だったので、ぜひ今の気持ちを含めて、お話しいただけたらなと思って、ご紹介させていただきました。よろしくお願い致します。
 
佐藤:はい。ではTさん、まず、ご生前の頃のご本人様の性格や、介護はこんな感じにしてたんだよとか、そういったお話を教えていただければと思うのですが。ご本人様はどんな感じの方でしたか?
 
Tさん:そうですね。一言でいえば、真面目。戦中、昭和16年の生まれですから。明治の親に育てられているので、やっぱりそこはひとつ芯がある、という人でしたね。健康面は、体が特に弱い方ではなくて、赤ちゃんの時に健康優良児で表彰された。そんな人なので、健康でお医者さんにもかかったことのない人でした。70過ぎてから健康診断始めたのかな。亡くなる2年前まで定期的に通院してましたけど、それ以降は一切、通院も拒否してというか。定期的にいくお医者さんは行かなくなっていました。お風呂場で意識を失ったりしたので、晩年はほんとによく救急車のお世話になりました。でも、本人は入院したくないって思ってるし。救急車の中で、病院に行かないとか。大変だったんですよ。多分、慈恵のブラックリストに載ってると思います(笑)。
 
一同:(笑)。
 
道脇:自分の体は自分が一番分かってるって仰ってましたもんね。
 
Tさん:そうですね。たばこもお酒も飲む方でしたけど、節度をわきまえた飲み方でしたね。亡くなった後、解剖したんです。私は肺がんとか、肺がかなり悪いかなと思ってたんですけど、肺は綺麗でしたって言われて、そうなんだって思いましたね。あと芯は、優しい人でした。亡くなった後っていうのは、悪いことって思い出さないんですよね。良いことばっかり思い出すんですよね。死っていうのは、そういう人間の悪いところっていうのを、全部洗い流してくれるっていう、結構そういう話を聞くんですけれども、確かにそうですね。そして真面目な性格でしたから、今後私が暮らしていくのに必要な分は残してくれた。
 
道脇:お金?
 
Tさん:そうですね。私が一生困らない程度のお金を残してくれた。あの、なんていうの?私がいっぱい使わなければ。
 
一同:(笑)。
 
Tさん:質素に暮らしてれば。一生大丈夫かなっていうぐらいお金を残してくれて。で、それと関連するんですけど、やっぱり亡くなった後、遺族年金が支給されるのが、6ヶ月くらいかかるんです。だからある程度の蓄えは必要だなと思いましたね。やっとこの10月15日からもらえるんです。
 
道脇:そうなんですね。
 
Tさん:包括のことは友人が教えてくれて、介護のことで包括にお世話になることになったんです。友人がすぐに連絡してくれて。私、当時、包括支援センターっていうのは知らなかったんですよ。名前だけは聞いたことがあるくらいでした。どういうところなのか全然知らなかったんです。で、私を連れてきてくださいって言われて、その後に友人と一緒に行って。その時は主人が入院してたので、私が手続きをお願いして。入院してたので、そこでお医者さんに意見書を書いてもらえたんですよね。
 
道脇:あの、介護保険申請をね、したんですよね。
 
Tさん:普段は医者に行かない人だから、介護保険の更新をどうしようって思ってたんですね。本当は更新ごとに主治医の意見書が必要なんですけど、コロナ禍が幸いして。更新書類にそのままの介護度で延長するっていう欄に丸をつけて送ればいいって感じで更新してました。令和4年の年末くらいに、また新たな更新書類が来る予定でどうしようって思ってたんですが、道脇さんとその時はその時で考えましょう、っていう相談をしてましたね。その前に亡くなったので、本当にそうだなって思いましたね。そして令和5年の1月に、救急車の騒ぎがありました。お風呂で意識を失って溺れそうになって。それで救急車を呼ぶ騒ぎになって。その後、道脇さんが来て下さった時、本人は余計なことしてくれたって言ってましたよね(笑)。
 
道脇:そんなこともありましたね(笑)。
 
Tさん:道脇さんに本人の気持ちをどう思うのかを聞いたら、本心じゃないと思いますよ、って言ってくれたんだけど、やっぱり私は本心だと思うんですよね(笑)。
 
道脇:(笑)
 
Tさん:その時から意識を失った時か、息をしてない時にしか救急車は呼べないって覚悟しましたね。で、覚悟と共に、そうなった時に自分の心が乱されないようにって、毎日毎日願って。実際にその状況になったのが、ほんとに急というかね。道脇さん達と別れた次の日に、息を引き取ったんですよね。あの時はね、みんなと握手してね。
 
道脇:そうですね。笑顔で。最期。明るく別れました。
 
Tさん:道脇さんも手を握る力も強いからまだ大丈夫ですよと言ってね。その次の日ですよね、ぐーっと具合が悪くなって。翌朝はもう息してなかった。その悪くなった時に、ケアマネさんに電話をかけたんですけども、外出中で電話に出られなかったんですよね。それで、福祉用具の業者の方にも、電話して。会議で誰もいないので、応対できませんって言われて。
 
道脇:タイミングがね。
 
Tさん:それで折り返しお電話しますって言われたんですけど。でも、明らかにおかしいって思ったんで、それで、包括センターに電話したら、道脇さんが居てくださって。それですぐに次の日、訪問診療の先生が来られるように手配してくださって。
 
道脇:その日の朝に。先生の来られる前に息を。
 
Tさん:亡くなってしまったんですけども。でも、家で看取るっていうのが、今すごく社会的に言われてると思うんですね。私は、父、母を家で看取ってるんですね
 
一同:すごい。
 
Tさん:父と母は病院で管に繋がれるの嫌だって思ってて。それで父と母は尊厳死協会に入ってたんです。それでちゃんとカードをもっていて。いざというときにお願いするっていうことで。かかりつけのお医者さんにもそのことを話したら分かりましたって。ある程度、お医者さんが診て、もうこの状態だったら、病院に入院した方がいいですよっていう状態でも本人の意思を尊重してくれて、往診してくださってました。最期は死亡確認をしてくださって。そういう経験もあったので、主人が、もう80過ぎたから、抗わないで生きて行きたいってということをね、口頭で言っていたので。
 
道脇:意志を示してくださっていたんですね。
 
Tさん:そう。それを受け入れる形で。亡くなったのは急というか、悪くなって1日ぐらいだったんですけど、自分の意志のまま、苦しまないで逝ったっていうのは、私にとって後悔はないですね。主人の思い通りに逝かせられた、逝くことができたっていうので、悔いはないです。そういう、主人の意志を、結婚生活50年やってますので、どういう風な思いをもってるかとか、どういう風に感じてるかとか、そういうのも。それで最期にもう、起き上がれなくなった時に、あの、道脇さんが苦しいとこありますかとか、痛いとこありますかと聞いた時、まぁ、そう言われれば、そういうところもあるかもねとは言ってましたけど。ね?苦しんでいる様子はなかったですよね。
 
道脇:そうですね、ただ起き上がれなくって。
 
Tさん:そう、起き上がれなくって、で、助け上げようとしても。
 
道脇:いやいや私のやり方があるから、見といてくれって。ほんとそんな感じでしたよね。
 
Tさん:そう。だから本当にそういうところで。あの、自分の意思といえば、『黄落』っていう本があるんですけども。それを、私に読めって言われて。もうだいぶ前に。元気なころにね、読まされて。そこには、老老介護の事が書いてあるんですけども、87歳の母親が攻撃的な痴呆になって、自分が長くないって思った時に、自ら絶食したんです。水しか飲まないで、絶食して、そして亡くなったっていう、そういう話なんですね。だからそういう意味で、主人は、ある程度自分の死っていうものと向き合って、こういう風に死ねたらいいなって思っていることもあって。医者も行かなかったりとか、薬をもらっても飲まかったりだとか。そういう主人でしたね。
 
佐藤:Tさんはご本人の死生観について、影響を受けた本までちゃんと読まれていらっしゃって。お互いに死生観を理解されていらっしゃるのが本当にすごいことですよね。
 
Tさん:そうですかね。
 
佐藤:場合によっては、家族はご本人がどうしたいか分からないので、支援者側から聞いて欲しいなんてこともあるんですが、とても素敵だなと感じました。
 
Tさん:やはり残された側にとっては、本人がどういう思いで死を迎えるのかっていうのを知っておいた方が、すごくその後が楽なんですね。父親と母親を亡くした時に、先に父親亡くなったんですけど、父親はまだ寝たきりとかではない元気な時に、自分の意思で、尊厳死協会に入って、お葬式の写真まで、この写真にしてくれっていうことまで、ちゃんと意思表示してたので、本人の意思をお医者さんに伝えることが出来たんです。お医者さんもその意思を尊重してくれ、往診して、最期、私が最期看取ります、って言ってくださって。そういう意味でも主人の死生観っていうかね、生き方と通じるところがあるかなって思いますね。
 
佐藤:ありがとうございます。それから体調の変化や介護の経過も教えていただけますか。
 
Tさん:はい。最初に道脇さんが来てくださって。そして介護認定の方が来てくださって。その時に色々話をしました。主人は入院していたんですが、調布の駅前のタクシー乗り場で倒れて頭蓋骨骨折して。この倒れたのとは別の時に、鎖骨を折ってたんですよ。要するに、病院に運ばれて、頭蓋骨骨折だけでなく鎖骨骨折もしているっていうのが分かって。それで膝も不自由だったので、介護認定がいくつになるのかなと思ったんですけども。認知は入っていませんでしたが。結果は要介護3になったんです。
 
道脇:3でしたね。入院中っていうこともあったんですよね。
 
Tさん:結構ね、重く出ましたよね。びっくりしたんですけども。あ、そんなになんだって思って。要介護3になると、紙パンツがね、無料で配られるっていうので、もうトイレまで間に合わないことが多々あるのでお願いしました。あと、手すりとか、ベットも無かったので、利用できることを全部説明したんですが、全部自分のリハビリになるからいらないって言われてしまいましたね。
 
道脇:そう。頼るとだめになるって。
 
Tさん:そうすると介護保険サービスが発生しないのでケアマネさんが担当できないんですよね。だから、道脇さんに、半年くらいのスパンで私が電話して、来てくださいってお願いしていました。
 
道脇:そうですね。
 
Tさん:在宅医療の事とか、床屋さんも来てくれるとか。教えてもらいました。
 
道脇:情報提供だけでしたけどね。
 
Tさん:そういうのもあるって主人へは言いましたし、パンフレットも見せたんですけど。イマイチっていうか(笑)。じゃあ、私がバリカンで散髪する方が安いから、バリカン買って。それで私が主人がやってくれっていう時に、私がバリカンでやって。もう最後は坊主でした。
 
道脇:似合ってましたね。格好良かった。

Tさん:坊主でいいって。で、そういうのは私に頼んでましたね。でもあとは、全部自分のことは自分でやってましたね。時間はかかりましたけど、自分のことは自分でやって。私が時々道脇さんに電話して、来てくださいってお願いして。主人は人見知りっていうか。人付き合いの良い人じゃないんです。でも、なぜか道脇さんには心を開いていて。あたしの友達なんかの名前は全然覚えないのに、道脇さんだよって言うと、おうおうおうって言って。道脇さんが時々来てくれるっていうのも分かってて。介護保険でいろんなことができるって主人も知ってましたけど、自分の意思でそれをしなかったんです。最期の最期の最期で、ベットを入れることと、訪問診療の利用ができるように道脇さんが説明してくださって。
 
Tさん・道脇:分かりましたって(笑)。
 
佐藤:渋々って感じだったんですか?
 
Tさん:渋々っていうよりも、諦めたよね(笑)。だって、起き上がれないから(笑)。
 
道脇:そうでしたね(笑)。
 
Tさん:必要だなって思ったんでしょうね、自分でね。ベットには一日しか寝なかったんですけどね。
 
道脇:そうですね。急変されて、お食事摂れなくなって、起き上がれなくなってっていうのから、亡くなられるまで、ほんとにもう一週間ないですよね。
 
Tさん:ないですね、三日くらい。
 
佐藤:ギリギリまで自分の意思を貫き通されたんですね。
 
Tさん:そうですね。ベットで亡くなって良かったって思って。床に転がったまま死んでたら、警察の人に怒られるか、救急隊の人に怒られるんじゃないかなって(笑)
 
道脇:慈恵に入院されてた時から、実は看護師さんから、こういう方が退院されます、結構、ご本人さんサービスの受け入れが難しそうで、奥さんきっと大変だと思いますって連絡は入ってたんですね。で、奥さんが最初いらっしゃったときに、やっぱり一番の心配事っていうと、サービスを受け入れてくれるかどうか心配ですって話をされてて。
もう、それがね、やっぱり数を重ねていく毎に、仕方ないなっていうか。ご家族も息子さんもお父さんの意向は把握して分かっていらっしゃっているから、何かサービス受け入れるっていう時は、ほんとにもう、ご本人さんが動けない時だなっていうのを思ってますって。その言葉があって、ご家族の意向が決まっているので、私ももう何だろう、もしその言葉がなかったら、ほんとに不安だったと思うんですよね。そうはいっても、立ててないし、絶対手すりあった方がいいだろうな、いや、ベットあった方がいいだろうなって。でももう、ご家族がそこで、カチッとされてたので、何があっても、本人の意思っていうのがあったので。それに沿う形で。
ご本人さんも、気難しいのかなって思って、最初びくびくしていきましたけど、元々先生だったこともあって、すごくお話し好きなんですね。お部屋から見る幼稚園の子の様子をいつも見て楽しいんだ、とか。実習生も連れて行ったことがあって、実習生にもすごく頑張れよって。だから、とても人が好きなんだなっていうのを感じてましたね。最期、うんと握手して、次の日亡くなられましたけど、ベットに座って、外見て、じゃ、またねっていう感じでしたね。

Tさん:入院の看護師さんも、介護認定に来た方も、奥さん大丈夫ですかって(笑)私のことを心配してくれてましたね、みなさん(笑)。
 
佐藤:Tさんはただもう、夫はこういう人だって関わってたと思うんですが、その当時、お気持ち的にはどうでしたか?
 
Tさん:そういう労いの言葉って嬉しかったですよね。別にどうっていうことはなかったとしても、あー、私の事もそういう風に気遣ってくれるんだって思ったときにすごく嬉しかったですよね。うん。涙が出るほどね。
 
道脇:お友達もね、お仲間もね、たくさん周囲にお話しできる方がね、いらっしゃいましたよね。
 
Tさん:いましたが、全く知らない看護師さんであったりとか、ほんとに、ね、ちょっと主人としか接触しかしていない方とか。
 
道脇:声を掛けてもらえると?
 
Tさん:そうそう。あの、調査員の人も、かなり頑固ですよねって言ってて(笑)。奥さん大丈夫ですかって声掛けてくださって。それはすごく、私にとっては嬉しかったですね。主人の事も心配してくださっているけど、介護する家族に対しても気遣いを示してくださっているっていうのはね、すごく嬉しかったです。これは強調して書いてもらっておいておいた方がいいですね。家族が感謝してましたって(笑)。
 
道脇:包括は脚色できないので(笑)。
 
佐藤:脚色はしないです(笑)。お話ありがとうございます。やっぱりご主人、Tさん、息子さんもそうですけど、ご主人がどういう最期を迎えたいのかを家族で共有してもらっていて、かつ、それを支援に携わる道脇さんにもお話ができていたというところが、大きいなってお話を聞いていて思いました。
 
Tさん:そうですね。道脇さんが来ても、主人は同じこと毎回毎回言ってましたね。
 
道脇:(物まね風)心配される方が、悪くなるんだ。気に掛けられる方が弱くなるから、大丈夫だからって。
 
Tさん・佐藤:(笑)。そうだったんですね。
 
佐藤:では、Tさんのお話はこの辺りで一旦締めさせていただきますね、ありがとうございました。
 
Tさん:ありがとうございました。
 
佐藤:次にUさんからお話をお聞きしたいと思います。ではUさんについては、染地地域福祉センターで働いている渡邉さんがよく関わっていらっしゃるので、渡邉さんからご紹介お願い致します。
 
渡邉:調布市社会福祉協議会の職員です。社協の市民活動支援センターという部署の中のひとつのブランチに染地ってありまして、染地地域福祉センターのボランティア室っていうところでボランティアコーディネーターをしています。
私も異動になって今年で10年ですね。で、10年間Uさんと付き合ってるんだなって思いました。何にも知らなくて、一人職場なんで、どういう職場なんだろうって不安な時に、体操、フラダンス、もう色々なところで毎日のようにUさんを見かける。みんなよりいち早く来て、準備をされてるんですよ。何か、いつもそうなんですけど、当たり前の様に(準備)されている。みんなも当たり前のように来ては、段取りできたところで、楽しくして帰るっていう。それが日常だったなぁって感じなんですけど。
私が講座を開催するとか、みんなに周知したいことがあったり、こういうのを始めるから、みんなにお知らせしたい時には、必ずUさんにお声掛けをすると、必ずみんなにお知らせしてくれる。Uさんのこの絶え間ないネットワークが、もう私としては心強かったです。何かっていうと真っ先にこれやるからよろしくみたいな関係性でした。
とにかくもう元気印のUさんぐらいならって感じで、私はこの間ずっと見てたんです。コロナもあったんですけども、3年ぐらいUさんが当たり前のように、お姉さんのところに午後行くんだっていうのは聞いてたんですけど。具合が悪くなって、入院するとか、そういうのをぽつぽつと聞くようになって。ただ全然こう苦じゃない様子で。体操とか終わって、後片付けでみんなの面倒見終わると、午後からお姉さんところ行くんだとか、お掃除するんだとか、病院の付き添い一緒に行くんだとか。何か当たり前の様に言うんです。
周囲のみんなは大変だよねって、大丈夫かな?持つのかな?って心配していました。そういうことをずっと一年ぐらい繰り返した頃かな? お姉さんが骨折して、入院して、退院してきた時ですよね。息子さん達やご兄弟、ご家族もいるんですけど。何かっていうと一番に妹のUさんと、毎日一時間から二時間電話するって言ってましたね。私も妹がいるんですけど、妹は福島で離れてるので、そういう感覚っていうのがあんまりなくて。仲が悪いってわけじゃなくてね。すごく強い繋がりなんだなぁって思っていました。
そんなこんなしながらリハビリも終えて退院して、介護保険の新規申請も済んで。でも、介護保険のヘルパーさんは池の金魚のエサはあげれないんだってねとか、庭のこととかできないんだねとか。そういうことを、話されてたりとか。入院中も窓開けに行って来るとか。そういうところをずっと見てたんです。
そして、一時退院したって聞いて、良かったねって言ってる間に亡くなったっていうのを耳にして。それからだよね。めまいがする、何か人と関わるのがアレだとか、去年の12月は全部やめようかなぁって言ってましたね。去年は染地地域福祉センターは改修工事で、私が国領のあくろすにいた時に、こっちに来ては、話していて。多分友達に話せないんだろうなぁ、なんて思いながら聞いていました。今までやってきたのを全部やめようかなぁって。で、フラダンスも全部お洋服あげるんだとか、そういうのを言うようになってきて。ほんとに心配で。私の方でも、Uさんと関わりのあるお仲間にね、Uさんどう?なんて。こうだよ、ああいう感じだよっ聞いてたんです。まぁ、みんな気にしないでやればいいのにねって、そういう風にしてたんですけど。そういうのを繰り返し繰り返ししてたんですけど、私も4月にこちらに戻ってきて。で、どう?って言って、たまたまUさんが活動していたひとつ、10筋体操はやめないで残ってくれるっていうんで、週に一度お会いするなぁって。あともう一つ、手芸の方もいてくれるってことで、また関係性もあって。会える状況は続いたんですが、その度にどうかなって見てるんですけど、地域にこれだけね。私が知ってるのは10年だけど、きっと、もっともっともっと、こう、ときわぎ包括エリアに住んでいながら、人との関係を絶えず大事にして、率先して、何でも、さりげなくやってきた人だから、周りの人たちが、すごくこういう時って支えてくれるし、まぁ、おいでよって言ってくれてるんですよね。声掛けてくれたりするっていうところで、少しずつ、そういうこともあるか、年だからそういうこともあるんだよねって言いながら付き合っていって、また再開していこうかって。そういうUさんを見てきていると、地域の人っていうか、私はボランティアコーディネーターとしての活動を通して、友達っていうか、築いてきた人間関係みたいなのものっていうのは財産なんだなって思いましたね。やっぱり、今までやってきたことはこういう時に、自分に返って来るんだなと思うと、今まで作り上げたものっていうのが、Uさんをこれからも、ご主人もいなくておひとりだけど、支えていってくれるんじゃないかなって思っています。今回はUさん以外にもご家族を亡くされた方もいると思いますが、一番身近に10年間ずっと関わってきて、いろんな様子を見てきたので、Uさんにお声掛けをさせていただきました。
 
佐藤:ありがとうございます。ではUさん、Tさん同様、お話をお聞きするのですけれども、まず亡くなられたお姉さんはどんな感じの方だったんでしょうか?
 
Uさん:7つ違うんですよ。5人兄弟、女が2人で、もう、ずーっと一緒。旅行でも、買い物でも、全て一緒。だから亡くなって体の一部分が、もう、剥がれとられたっていうような感じでいるんですよね。お互いに、助け合ってきたから。特に姉は何かあるとすぐに電話をかけてくるんですよ。こういうことしたいわ、どっか行きたいわとか。姉は絵を習っていたので、毎年上野に出品したりするんですね。で、その時も来てって連絡がきて。分かった。どっか行きたいわ!って連絡が来て。分かった。買い物に行くわ!はい、分かった。で、重たい物持つのが苦手なんですよ彼女。だから、重たい物あるからって、また行くわって。しょっちゅうそういう関係だったんですよ。
 
佐藤:それがもうずっと若い頃から、ちっちゃい時からずっと、お姉さんと一緒にっていう生活だったんですね。
 
Uさん:はい。で、結婚してからもずーっとそうだったんですよ。毎日電話もあって、入院してても毎日電話がくるんですよ。入院先から電話がきて、自宅で会えないからね。何か、連絡がこないとどうしたのかなって逆に心配になる。で、留守宅にしょっちゅう行って。空気の入れ変えとか、それこそ庭履きとか、金魚にエサやったりとか。毎日行ってました。

 佐藤:じゃあ、お姉さん、ちょっと距離は在るところにお住まいだったんですか?
 
Uさん:笹塚です。だから自宅からバスに乗って、一時間くらい。で、私が暇ならいいんですけど。ちょっと忙しすぎるので大変でした。でもやっぱりね、自分の体より姉の方が大切なので、動いちゃうんですよ。
 
佐藤:もともと深く関わりがあったお姉さんが体調を崩されてしまってということですね。ちなみにお姉さんはどうして体調を崩されてしまったんですか?
 
Uさん:血圧?じゃないかなぁ。上野に行ったときに、突然なんか右手が動かないわって急に言い出して。それで急いで帰って、警察病院まで行って、全部調べてもらったんだけど、なんでもないとは言われたんです。そしてある日突然、朝電話がきて。動けない。夜中から倒れてた。電話したくても、二階から降りて来てからそうなったから、電話がそばにないわけですよ。家電はあるんだけど、私の携帯番号が分からない。そしたらようやっと、私の自宅の電話番号だけわかって、朝電話がきたって感じです。動けないって言ってて、慌てて行って。鍵どうしようかなって思って行ったんだけど、どうにか這いずって開けてくれて。その後は、すぐ救急車で運ばれて。脳梗塞かな? 姉は一晩中倒れてたから、これでももう死ぬのかなって心配だったとは言ってました。私も同じ体質なので、今後そういう風になるのかなって思って、毎日不安ですね。今もふらふらしています。
 
佐藤:めまいがあるって言ってましたもんね。
 
Uさん:うん。めまいがあったり、血圧が上がってきたりもしますね。
 
佐藤:そうだったんですね。そんな中、体調崩されて、その後退院してきて、その後の介護も?
 
Uさん:行ってました。
 
佐藤:どんな感じでサポートされてたんですか?
 
Uさん:あ、でも、あの、動くことはできたんです。左半身がちょっと不自由だったんですけどね。で、買い物に行きたいわって言うから、付いて行ってあげて。姉は食いしん坊なんです。
 
一同:(笑)。
 
Uさん:料理が好きなんですよ。で、逆に私は何にもしない人なんで。行くと何か作ってくれるんですよ。それが楽しみで行ってましたね。お互いに。介護保険の認定は要介護4でした。ベットとかいろんなものを借りました。ヘルパーさんにお買い物も頼んだんだけど、ダメなんで、私が全部行ってました。週に一回か二回、必ず。私の具合が悪くても、姉の方がやっぱりね、大切だと思って。私ってそうなのね。人には良い性格なんですよ、自分には悪い性格。やっぱりそれを当たり前と思ってきてるから、行かなきゃって。
 
道脇:生活の一部なんですよね。
 
Uさん:うん。何するんでもそうなんですよね。何かやると、休むってことは知らない人なんですよ。
 
佐藤:そんな経過で頑張り続けて、お姉さん、その後、最期はどんな感じのご様子だったんですか?
 
Uさん:その後は二ヶ月くらい入院して、帰ってきてから、月に何回か病院行く。それもしょっちゅう行ってました。呼ばれるから。そして、ある程度体調がいいなって思ったんでしょうね。やらなきゃいいのにね。庭掃除をポっとやった時に、サンダル履いてすってんころりん。で、頭打っちゃって、また入院しちゃったんですよ。それがちょっとね。二度目の脳梗塞じゃないけど、そうなってからちょっと悪かったかな。帰ってきてしばらくしたら、やっぱり様子がおかしくって。今度は息子が呼ばれて。救急車で運ばれてそのまんま。
 
佐藤:じゃあ急にだったんですね。
 
Uさん:急なんですよ。
 
佐藤:退院して一息ついたところで、いきなり病院で亡くなられて。

Uさん:だから信じられてない。全然まだ今も電話来るかなって。

佐藤:ずっと続いていた習慣ですもんね。当時、かなり驚かれたんじゃないんですか?

Uさん:そうですね。元々病気になる人じゃないから。普段から丈夫なんですよ。うちの家系って丈夫なんですよ。母は3年前に106歳で亡くなって。全然病院も行った事無かったし、薬も嫌いだしで。そういう関係で、病院ってあんまり好きじゃない。だから病院に行かないといけないってなると可哀そうで、何かあったら必ず一緒に行ってました。
 
Tさん:じゃあお母さんはお姉さんとそんなに変わらない時期に亡くなった?
 
Uさん:そうですね。だから、兄が亡くなって、母が亡くなって、それで姉の主人が亡くなって、それから姉。もう毎年、だからここ最近はお正月したことなかった。
 
Tさん:続いちゃったのね。
 
Uさん:続いてましたね。うん。でも、自分がこうやって病気になるっていうものはなかったんですよ。姉の時だけ。自律神経失調症にかかってしまった。それでおかしくなって。私の体、隅々まで調べてもらったんですが、どこも悪くないんです。
 
Tさん:じゃあ精神的なものなのね。続いて。で、最期のとどめがお姉さん。
 
Uさん:そうですね。で、1年間ダメでした。ちょっと動くともう気持ちがもうダメで。
 
渡邉:全然体は大丈夫なのにね。お姉さんと同じように一人暮らしで、何かそこで起きたらどうしようって不安が強いのかな。だからね、ときわぎさんで緊急通報システムもお願いして。
 
Uさん:取り付けてもらったんですが、首からじゃなく家にぶら下がってます(笑)
 
渡邉:それまで聞いたことない言葉だったのね。そういう不安とか。だからすごく驚いちゃって。
 
道脇:よっぽどですよね。
 
渡邉:そうそうそう。こりゃ大変だって。
 
佐藤:お姉さんが亡くなったことが大きかったんですね。
 
Uさん:大きかったんでしょうね。自分ではそうは思わないけど、体がそう受け止めちゃったんでしょうね。
 
道脇:体が反応でしたんでしょうね。
 
佐藤:お姉さん亡くなってからのめまいは今も続いていらっしゃるとのことでしたが、その後はどんな生活をされていたんですか?
 
Uさん:もう普通ですよ。亡くなってからは自分からいろんなこと辞めちゃって。どうだったんだろうね。毎日不安になりながら、どうにか過ごしてましたね。で、なるべくお友達とお話しなきゃいけないと思って。で、病院の先生からも体操や動くことはしなさいって言われてて。やっぱりじっとしてるとだめなのね。今もそうなんですよ。ずっと家にいるとダメなので、思い切って買い物とか何かすると、血の巡りが少し良くなって、血圧下がってくるんですよね。でも、また動き過ぎると今度、血圧が下がりすぎて、上が100なくなっちゃう。80、90になって、下が50、60になっちゃう。そうすると気持ち悪くなっちゃう。
 
佐藤:自分の気持ちも考えつつ、体力も考えつつ。前向きになるように頑張って生活されてこられているんですね。
 
Uさん:そうですね。そうじゃないと、しょうがないじゃない。一人だから、ね。寝るときも明日目が覚めるかなぁって思いながら寝てましたから。誰ともしゃべらない時、一ヶ月ぐらいあったらもう声が出なくなっちゃった。これじゃあいけないって思って、自分から10筋体操に参加して。何かやらなきゃいけないと思って。あとアルバイト。朝、病院のお掃除に行ってます。月・水・金。それがちょっとリハビリになってるかなぁ。やっぱり動かなきゃだめね。じっとしちゃダメね。
 
道脇:すごいですね。
 
佐藤:辛い思いもしながらも、人と話すことを心がけてこられたんですね。今は、お姉さんが亡くなって2年ぐらい経過して、当初よりは動けるようになってきたかなという感じなんでしょうか?
 
Uさん:そうですね。なるべく脳に言い聞かせてやってます。
 
佐藤:どんな感じで言い聞かせてらっしゃるんですか?
 
Uさん:大丈夫、大丈夫って。脳が一番ね、分かるんだって。脳がいつまでも痛い痛いって捉えていると、そこがなんでもないのにいつまででも痛いっていうの聞いたことがあるから。脳に大丈夫よ、体は何でもないのよ、神経よって。脳に言い聞かせながらやってます。趣味も少しずつ、お琴とか、座ってできるもの。体操みたいなものはちょっとやめてるけど。お琴とか手芸とかそういうものはまたやり始めました。
 
佐藤:塞ぎがちになられる方もいらっしゃるんですが、何かきっかけみたいなものはあったんですか?
 
Uさん:きっかけというか。怖いの。怖いから。自分から思い切って動かなきゃダメだって思って。
 
Tさん:ある意味、お姉さんが毎日電話かけてくださってたけど、その電話に出ることによって、お互いに安否確認ができてたんですよね。
 
Uさん:そうそうそう。
 
Tさん:その安否確認がなくなっちゃったから、不安になっちゃったっていうところもあるんじゃないですかね。
 
Uさん:ありますね。頼ってたからね。私一人じゃ何にもできない人なので。なにかあればもう、頼ってて。全部やってくれるから。もうちっちゃい頃から。だから今、誰も相談する人もいないし。一人でやんなきゃいけないからすごく不安なんですよ。
 
Tさん:お姉さんとの関係がすごく密だったのね。
 
Uさん:ちょっとねぇ、密すぎちゃったのね。だからそれを少しずつ、自分でもやって、周囲にもお願いして、生きていかなきゃいけないかなぁって。
道脇:なかなかね、そう頭では思ってても、そのまま塞ぎこんでしまったり、もう死んでもいいみたいなね、感じになってしまってね。
 
Uさん:ありましたよ。ありましたけど、それじゃあ嫌じゃない。怖いし、子供たちには迷惑かけたくないし。去年は娘がすーっときて、片づけしてくれたりもあったんですよ。
 
道脇:やっぱりご家族の支えもあったんですね。あと、やっぱりお仲間の存在や渡邉さんだったりも気にかけてくれてるっていうのは大きかったですかね。
 
Uさん:そうですね。
 
渡邉:いえいえ(笑)。
 
Uさん:そうですね。今もすんごく助かってます。いろんなことをやってたっていうことが、良かったのかもしれない。趣味がちょっと多すぎだけどね(笑)。家に居たこと無いんですよ。もう、家に居るのが嫌いで、マグロが缶詰になっちゃったら死んじゃうってくらいに(笑)。そのぐらい家に居るのがダメなんです。自分で頑張るしかないじゃない。怖いから。怖いからそうなるんですよね。で、何かやるっていうことは、自分の為なんですよ。皆さんには迷惑かもしれないんですけどね。娘には自己満足よって怒られるんだけど。
 
道脇:自己満足大事ですよ。
 
Uさん:だから小さな親切、大きなお世話、言われます。
 
Tさん:女の子はね、手厳しいからね(笑)私は男2人だからそういうことないんですけど。私は友達と毎朝ね、ラインで安否確認してるんですよ。四人のグループラインがあって。毎朝ラインしてるんですよ。だから元気でいるなっていうのを、お互いが分かるので。うん。そういう繋がりがあると、
 
Tさん・Uさん:安心ですよねぇ。
 
Uさん:何かの時にぱっとね、できる人がいればね。
 
Tさん:そうそうそうそう。電子機器だからメールでもラインでも、24時間受け付けてますって言ってくれてるんですよ。
 
Uさん:今はスマホ、便利ですよね。助かりますね。手放せませんよ、これ。しょっちゅうぶら下げてます、家の中でも。誰から連絡がきてもいいようにね。5を押せば119番に繋がるようにしてあって、救急車くるようにちゃんとしてあります。
 
佐藤:今回お話をしてきたテーマはもちろん、その、亡くなった後の気持ちの持ちようをお聞きしてきたわけなんですけど、その後のフォロー体制までしっかりしてないといけないんだなっていうのは、今お聞きしてみて、あっ、そうだなって思いました。それがあることによって、不安が少しでも軽減されるということはあると思うので、私達が関わる方々にも伝えていかなきゃいけないなぁと思いました。Uさんもありがとうございました。
では最後になりますが、お二人、初めてお話しする中で、それぞれご感想をお聞きできたらなと思うんですが、Tさんから、いかがでしょうか。
 
Tさん:私は姉妹もいないし、子どもも息子しかいないわ。だから、その姉妹の親しさが分かんないのね。だから割とね、一人で何かやること多いんですよ。
 
Uさん:だからか、すごいしっかりしてるのね。うらやましくてしょうがない。すごいしっかりしてるね。話してたらね、Tさんみたいにできないって思った(笑)。
 
Tさん:主人も結婚した時から、私を自立させるように訓練してた。
 
道脇:訓練されてたんですね(笑)。
 
Tさん:旅行に行ったりとか、切符だってこうやって買いなさいとか。買ってくれたりとかそういうことはしてくれない。訓練されてました。そのおかげで精神的に依存してなかったから、亡くなっても、あの、大丈夫というか。
 
Uさん:私は主人も何にもやらしてくんなくて。あの、ごはん作ったり、子供たちのお弁当とか全部主人で。
 
一同:それはすごい。それはそれで素敵なご主人ですよ!
 
Uさん:それで自分がお料理もできないから、お弁当ばっかり買ってますよ。
 
Tさん:親も子供たちに教えてあげるじゃないですか。教えるっていうことって大事。
 
Uさん:子供たちは逆にできます(苦笑)。
 
道脇:これで、ね、お料理もできて、なんでも完璧にできてたら…。それこそできないことがあってバランスで。それもUさんの魅力だと思いますよ。
 
佐藤:Tさんはお話を聞いてみて、ご家族の違いを感じられたんですね。
 
Tさん:女の子がいないから。私、女の子育てられないなって思います。
 
Uさん:でも男の子、優しくていいですよね。
 
Tさん:近くに住んでるので、主人が亡くなる前もちょこちょこ来てましたけど、主人亡くなってからも、一週間に一回は必ず顔を出してくれるんですよね。そういうやさしさは男の子、ありますよね。
 
佐藤:ありがとうございました。ではUさん、ご境遇を聞いてみてどう思われましたか?
 
Uさん:今しゃべっちゃいましたけど。うらやましい!
 
佐藤:ありがとうございます。お二人から、お話をお聞きしてきましたが、死の受け止め方って、人それぞれ違うと思うんです。ご家族の中で鍛えられたところもあって、ご主人の死生観も把握されてて、だからこの死の迎え方でよかったんだと捉えられるご家族さんもいらっしゃると思います。一方で、急に亡くなられて。ずっと仲が良くて、密に関係をとってきた故にショックが大きすぎて、ちょっとずつ時間をかけながら今に至るっていうご家族さんもいらっしゃったり。
亡くなられた直後はお葬儀などで周囲の方と関わることが多いと思うんですが、その後は、ご家族の中の気持ちの整理の期間ってあったりすると思うんですよね。でも、全く関わっていない人からすると、そういった気持ちの整理の様子は見えない。そうした時に、この冊子を今後読まれた方は、おそらく、こういう風に夫と話したからこそ、こういうふうに死を迎えられるんだなとか、急に亡くなられて、密に関係があったからこそショックが大きくて、ちょっと回復に時間がかかる方もいるんだなっていうことが、この冊子を読むことで、同じようにご家族さんの方のね、励みになっていくのかなあなんて、今日お話をお聞きして思いました。
 
Tさん:こういう人もいるんだってぐらいに思ってもらえると良いですね。
 
Uさん:ほら、遠くの親戚より近くの他人。絶対ですね、それは。
 
佐藤:近くの他人が、おそらくこの『わたしの想い』という形で、いろんな方の手元に届くんじゃないかなと思います。
 
Uさん:周りに助けられてますもん。頑張る事は頑張ってもね。
 
Tさん:あと、制度。福祉制度を知らない方も多いじゃないですか。私も自分の経験を通して、友達に高齢者の方多いので、夫婦で今元気だけど、病気になったりしたらどうしたらいいのって聞かれて。で、包括支援センターのこと紹介してます。住所によって担当包括も違いますよね。このエリアだったらここに連絡してって。なにしろそこに連絡すれば、何かしてくれるんだからっていうことで、包括センターの電話番号を書いて。で、それだけで安心されるんです。で、包括センターの色々ね、お便りとかくるじゃないですか。でも、来ても、実際に経験した人からの話を聞かないと分からないことがいっぱいあって。私たちが経験した包括センターってこうだよ、ああだよってこと、そんなことを話してます。
 
道脇:伝えてくださってるんですね。
 
佐藤:ありがとうございます。
 
Uさん:渡邉さんも染地地域福祉センターにいらっしゃるから、すごく助かってます。
 
渡邉:いえいえ(笑)。
 
Uさん:しょっちゅうここに来てて、必ず何かあれば、何でもやってくださるからね。
 
道脇:あそこに行けば居てくれるっていうのがね。
 
Uさん:そうそうそう。
 
佐藤:住民の皆さんには包括支援センターだったり、地域福祉センターだったり、いろんなところと接点もっていただきながら、僕たちも支援していけたらなと思っています。
 
道脇:私たちは、個人の方になかなか、触れ合う機会が何かないとないので、ネットワークのある方、ご友人の中で広げて下さっているっていうと、あの人が言ってたからって私たちも会いに行けたりとかって。本当にこちらもすごくありがたいんです。
 
佐藤:ありがとうございます。で、ちょっと最後に触れておきたいんですけれども、毎年ですね、発行する季節や話題の内容を加味しながら、『わたしの想い』の表紙を決めさせていただいているんです。毎年お花の写真の表紙なんですが。そして、今回はUさんのお姉さんのカラスウリの絵を使わせていただければと思っておりますが、お借りしてもよいでしょうか?
 
Uさん:あんなんでいいの?
 
道脇:取り込んで、冊子の表紙に使わせていただければと思います。
 
Uさん:(お姉さんに)言っておきます。
 
佐藤:読まれた方は、お手元で確認できるかと思うんですが、写真ではなく、とても細かく描かれた素敵な絵です。
 
Tさん:なかなか見られないからね、あのお花はね。
 
Uさん:すぐしぼんじゃうからね。
 
佐藤:ぜひ皆様にもご覧いただけたらなぁと思います。
 
Uさん:絵は好きでしたね、しょっちゅう上野に出してたから。
 
佐藤:そんなところでお話締めさせていただければと思います。皆様本当にありがとうございました。
 
一同:ありがとうございました。

Uさんのお姉さん作:からすうりの絵


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