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【連載】かくれ念仏/No.2~『大石兵六夢物語』に言及される一向宗~

●『大石兵六夢物語』に言及される一向宗

鹿児島銘菓に、ボンタンアメと兵六餅がある。
いずれもセイカ食品株式会社の商品で、ボンタンアメは1924(大正13)年、兵六餅は1931(昭和6)年に販売を開始した。

ボンタンアメは名前そのままボンタンの果汁を練りこんであるのだが、兵六餅の味は何味とも形容しがたい。それは、このお菓子が『大石兵六夢物語おおいしひょうろくゆめものがたり』という物語の世界観を味で表現しようと創られたからだ。


『大石兵六夢物語』とは、薩摩地方の民話を集めてつくられた川上親埤かわかみちかますの『大石兵六物語』という作品をもとに、1784(天明4)年、薩摩藩の藩士の毛利正直もうりまさなおが23歳頃につくった戯作文学である。

大まかなあらすじは、主人公大石兵六が吉野の化け狐退治に行くというもので、世相の風刺を交えながら、たいへん滑稽に書かれている。

鹿児島県内では名前の知れた話であるが、古くは、1920(大正9)年、幸内純一による短篇アニメ映画『兵六武者修行』が上映されているし、1943(昭和18)年には、監督青柳信雄、原作獅子文六、特殊技術円谷英二、主演榎本健一といった、私でも知っている豪華な顔ぶれで、東宝映画『兵六夢物語』として実写化もされており、当時の全国的知名度は今より高かっただろうと思う。

私(1990年代)世代での知名度はどうかというと、多くの方が名前は知っていると答えると思う。そしてそれは、ほぼほぼ兵六餅の存在のおかげだと思う。なぜなら私たちの世代は、日曜の夕方、鹿児島テレビでサザエさんが放送される直前、セイカ食品の白くまかき氷と大石兵六夢物語の30秒のアニメCMを見ながら育ってきたからだ。

さて、『大石兵六夢物語』において、世に化け狐が出るようになってしまった理由は何であるかというと、それは文化廃退・士気不振のためである。物語冒頭の大久保彦山坊の占いによると、

今二三十年も過ぎなば、士の道はあるかなきかの体におちぶれ、富貴なるものは仁義を忘れ、貧しきものは団扇細工の本手もなく成りはて、神は賽銭におぼれ、仏は進物をむさぼり、町人は両刀をして武士にまぎれ、あやまちては御役人かと疑はれ、出家僧門は妻子を隠し持つて、俗人の如く、知らさるものは一向宗かときもをつぶし、魚目ぎょもくを真珠とたぶらかし、真鍮を黄金と偽り、物読み坊主を大儒と取違へ、皷弓三味線を雅楽と覚?、女子は男の横座を奪ひ、医者は疫癘の神におそれ、山伏も亦野狐のたゝりに苦しみ ———

とある。
二三十年後と書かれているが、これらは正直が当時実感していた、落ちぶれた世の中の実相であった。「一向宗かと膽をつぶし」というのは、本来、出家の身のはず僧侶に妻子がいれば、藩内では禁制のはずの、妻帯の戒のない一向宗の僧であるまいかと目を疑う。または、一向宗の僧と同じではないかと驚くという意味合いだ。

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