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【連載】かくれ念仏/No.15~真宗の田植え歌~

常陸国那珂西郡大部郷(現在の茨城県水戸市飯富町)に伝わる、親鸞聖人がつくったとされる「お田植え歌」は有名である。

五劫思惟の苗代に 兆載永劫のしろをして 一念帰命の種おろし 雑行自力の草をとり 念々相続の水ながし 往生の秋になりぬれば この実とるぞ嬉しけれ 
なんまんだぶ なんまんだぶ

鹿児島にも似たような歌がある。
『愛蔵版 県別ふるさと童話館㊻ 鹿児島の童話』(リブリオ出版/日本児童文学者協会 編)という本には、「かくれ念仏の里」(山下町子)と題された話が収録されており、その話によると、現在の鹿児島県湧水町栗野にも真宗由来のお田植え歌があって、真宗禁制下ながら代々密かに歌われてきたという。

なーもあみだーぶつを 唱うれーば
四天ー大王ー もろともにー
大地の田畑を まもるーなーりー

これはおそらく、親鸞の「現世利益和讃」の6が元ネタだろう。

南無阿弥陀仏をとなうれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろずの悪鬼をちかづけず  (『聖典』487・488頁)

「よるひるつねにまもりつつ よろずの悪鬼をちかづけず」を「大地の田畑を まもるーなーりー」と詠み替えていることが興味深い。この歌は「念仏をしたらこういった利益が得られる」という形をとっているだけに、その果報が全く別物になっているのは、もはや歌の趣が挿(す)げ替えられているわけで、阿弥陀仏の権能もあたかも田の神様(たのかんさぁ)のそれである。

しかし、真宗禁制地でこういった歌がうたわれていたということは、巧まずも意味深く、心強い。

どういうことかというと、親鸞の帰依所である、吉水教団は既存の仏教界から危険視されていた。1204(元久元)年、比叡山延暦寺の衆徒が天台座主真性に対し、専修念仏の禁止を要求。これに対して法然側は延暦寺に七箇条制誡を送付。親鸞も「僧綽空」と署名している。

1206(建永元)年には興福寺が念仏停止を訴え、1207(承元元)年専修念仏停止の院宣がくだり、源空門下は処罰される。1221(承久3)年、承久の乱により後鳥羽上皇は配流されるも、1224(元仁元)年「延暦寺奏状」により、再び専修念仏が禁止され、1227(嘉禄3)年には嘉禄の法難が起こった。

その「延暦寺奏状」の「一、一向専修の濫悪を停止し、護国の諸宗を興隆せらるべき事」を引くと、

右、仏法王法、互ひに守り互びひに助く。喩へば鳥の二翅の如し。猶、車の両輸に同じ。『大集経』の説を案ずるに、仏法の精気を以て、鬼神の精気を益す。鬼神に精気あれば、則ち五穀、精気多し。五穀に精気あれば、則ち人倫豊楽なり。是を以て深く仏法を敬ひ、法王に背かざれば、この四つ輪転して互ひに国土を保つ。若し仏法、衰微に属すれば、則ち鬼神、法味に飢ふ。仍りて草木の精を吸ひ、穀麦の気を飡す。人倫、之を食すれば、心、正直ならず。仏法僧の三宝を敬することを肯敬せず、永く貪瞋癡の三毒に迷悶す。取意、之を載す。而るに今、仏法を誹謗するの輩、諸国往々に之あり。六字の称名を除きての外、衆善勤行の人なし。国土の衰微、此れ誰が過か。         

(『行実』104頁~)

と、真俗相資説と『大集経』をもとに、源空門下の専修念仏のせいで、鬼神が仏教に飢え、五穀が悪質になり、これを食べた人間も性悪になり、国体を損なうと論を展開している。


「延暦寺奏状」での〝鬼神〟は、一向専修の悪法のせいで、法味にありつけず、かわりに穀物の精気を吸っている。

一方、親鸞の和讃の〝悪鬼〟は、四天大王のはたらきによって念仏者にちかづけないものとして描かれ、同和讃のなかで、〝堅牢地祇(左訓:この地にある神、地より下なる神を堅牢地祇といふ)〟は、念仏者を尊敬し、「よるひるつねにまもる」と述べられている。

栗野の田植え歌は、誰が作したのか、いつ頃つくられたのかなど、詳細は不明のようで、その中にある思想性を後代の我々が沙汰することは憚られる。

どんなメロディーなのかもわからないし、どこかの詩心あるお坊さんがつくったのか、農民の中に篤信の音楽家がいたのか、もとからこの歌詞だったのか、説法で聞いていた和讃を民衆が口ずさむうちに自然と節がつき、歌が変容してきたのか。その一切は謎であり、歌がつくられた状況ひとつで、この歌の持つ性格も全く別物になってしまう。

そもそもあらゆる聖典のなかでこの和讃をチョイスしているのもニッチな感じがするし、もしかしたらこの歌は本来もっと長い歌の一部なのかもしれない。

また、この田植え歌には「現世利益和讃」はあきらかに意識されているが、おそらく「延暦寺奏状」のことを踏まえてつくられてはいないだろう。
しかし、「延暦寺奏状」、「現世利益和讃」という、鬼神と仏教との位置関係を検討してきた日本の仏教者の流れのなかに、この田植え歌の価値を見出せることは間違いない。

また、一般の田植え歌が、娯楽や芸能の側面を持った楽しい歌であるのに対して、この歌は人に聞かれないように、自分と稲とにだけに歌い聞かせた、或いは、多くても小さな田んぼで共に作業する数人とだけで歌ってきたわけで、楽しく大声で歌うような田植え歌ではないのである。そうやって出来たお米も、ほぼ全て年貢として取り立てられるのだ。ここに思い致すこと如何許りか。


人生にいい気味も悲しみも、交々あるように、仏教はうま味だけじゃない。五味を説き、醍醐味を説く。念仏の徳土を大地とし、四方(よも)(全地平)にまもられた鹿児島の米は、なんと滋味深い。

追伸、現世利益和讃についてより考察を図り、再度この田植え歌について、より広く考えてしてみたいところだが、紙幅が足りないので、またの機会に譲る。

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