見出し画像

新卒で発達障害の僕が旅にでるまで③ レストランへ、編

 地域おこし協力隊になった意味はあるのか?と思い悩んでいた5月、思わぬ声掛けがあった。

4月 地域おこし協力隊へ
5月 保守
6月 レストランへ、 ←今回のテーマ
7月 地獄の夏期間
8月 東京にいくかもしれん
9月 運命の感染
10月 焦りと女
11月 いざ札幌へ
12月 危険作業
2023
1月 無能、露わに
2月 無職と旅
3月 夢と生活(現在)
4月 行ってくる

1.レストランへ
2.良いんだか悪いんだか
3.報告書

1.レストランへ

 4月〜5月は社内ニートにいそしんでいた僕であったが、ときたま自社が運営しているレストランへ手伝いに行けと言われ、ときたま手伝いにいっていた。というのも、僕と入れ替わりで社員さんが退職した影響で人手が足りていないのである。そこで僕に白羽の矢が立ったのである。
 正直嬉しかったし、僕もやることがないのならレストランに行かせてくれとアピールもしていたので願いが叶ってよかったと思う。しかし、一抹の不安が脳裏によぎっていた。

 2.良いんだか悪いんだか
 願いが叶ったのはいいのだが、一つ不安がある。それは、大学時代居酒屋バイトをしていたのだが、マジで無能だった。僕が抱えるADHDの特性上、居酒屋バイトは不可能だったと思う。ただ、レストランの皿洗いや配膳程度なら何不自由なく仕事ができた。
 ADHDの特性上、マルチタスクが伴う仕事は不可能に近い。例えば、居酒屋で配膳中に、他のお客さんから生ビール注文が入ったとする。この場合、店員は配膳を済ませてから、生ビールを注文したお客さんの生ビールを注ぐ。しかし脳機能上これが出来ないことがある。
 上記のように作業の途中に他の仕事を頼まれると、本来の作業をすっぽかしてしまったりする。こればっかりは脳機能の問題なのでどうしようもない。どうにかなったとしたも、いくら頑張っても一人前にはなれないので、苦手なことを頑張る気はあんましすすまないし、むしろ得意なことを伸ばしたいなと考えながら生活している。
 こうして不安を抱えながらもレストラン勤務が始まったのだが、最初は繁忙期でもないのでなんとかのらりくらりとやってのけた。さらに、事務所に同年代の人間はいなかったが、レストランには一人3つ上の先輩がおり、その先輩とはよく話した。

3.報告書 
 地域おこし協力隊で活動するうえで、月に一度報告書を提出しなければならない。時たま先延ばしにしすぎて提出が遅れたりしていたが、報告書に関しては、派遣先に気を使って社内ニートであることは伏せながらうまいこと地域おこし協力隊として本来の仕事してる感を出しておいた。
 ただ、6月くらいからは正直にレストラン勤務と書くようにした。それも毎日だ。当然この報告書をみた役場の担当者からは心配されることとなる。これはの派遣先への細やかな抵抗である。 
 さて蝉が鳴くような季節になり、いよいよ夏になった。僕が働いていたレストランの繁忙期は夏
、つまり従業員にとっては地獄の始まりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?