骨の気持ち お墓がありません
その遺骨は誰もいない家の整理ダンスの上で、夫の帰りを今もずっと待ち続けている。
母が亡くなったのは3年前の夏でした。
その後施設で暮らす父は、もうこの家に帰ってくることはありません。
施設にいる母がまだ元気だった頃、私の父の日課は妻の顔を見に行くことでした。
やがてコロナウイルスで面会ができなくなってしまうも、認知症が進んできた父にはそれが理解できず、そこには毎日施設に通う父の姿がありました。
認知症の行動はなかなか変えられません。
本来は規則違反です。
個室からは出ないという条件で、毎日の面会を許してもらえた施設の柔軟な対応に今も私は感謝をしています。
母は糖尿病もあり食事制限がされていました。
それにも関わらず血糖値管理がどうしても上手く出来ません。
というのも、父が毎日お菓子やら果物やらを隠して持って行っていたからでした。
何度言っても、そんなものは持って行っていないと言い張る父でした。
認知症の行動はなかなか変えられません。
そんな母はだんだん飲み込む力も弱くなり、食事はゼリー状のものへと変わっていきます。
父が来るとスタッフさんが心配して、何度も部屋をのぞきに来たと言います。
それでも何も食べさせていないと言い張る父でした。
しかし母の服には、しっかりと葛切りの黒蜜が垂れていたのでした。
そうやって食べさせると、母の寿命が1日縮むと厳しいことを言った時もありました。
しかし「あと少しの命だ。好きなものを食べさせたっていいじゃないか」という父でした。
すでにその頃の母は父との会話もあまり出来なくなっていました。
私のことも誰だかわからなくなっていました。
それでも甘いお菓子や果物を食べさせると、母はニッコリとして食べたのだと言います。
父はそんな妻の顔を見るのが嬉しかったのでしょう。
「美味しいか?」こっくりと夫にうなずく妻がいました。
ふたりの限りある時間がそこにありました。
母はきっと幸せだったに違いありません。
施設の介護スタッフさんを手こずらすこともなく、穏やかで静かな日々を送れたのは、きっと父の存在が大きかったのでしょう。
最後は介護スタッフさんに見守られ、とても穏やかだったそうです。
派手なことは嫌いな母でした。
旅立ちには薄い赤色の口紅をつけてもらい、いつも一緒にいた父のプレゼントのシロクマちゃんを旅のお供に、父と私と数人で母を見送りました。
うちにはお墓がありません。
墓を買わなければと言っていた父でしたが、そんなお金もありません。
そして何よりも私には後継がいません。
これから10年20年先、私はひとりで飛行機や新幹線に乗って両親のお墓参りに行けるかどうかもわかりません。
最近は墓じまいという言葉もよく耳にします。
少子高齢化、未婚率の上昇、日本のお墓事情もしだいに変わっていくことでしょう。
合祀墓(ごうしぼ 遺骨を他の人の遺骨と一緒に埋葬する)これもまたこれからの時代の選択肢のひとつなのかも知れません。
母にはもう少し待っていて欲しいと思います。
その時が来た時、私は母と父が離れ離れにならないように、お互いを見失わないように、二人の遺骨を一緒にして埋葬、供養をするつもりです。
今も母は誰もいない部屋でずっと父を待っています。
「私は寂しくないから、もう少しこの世を楽しみなさい」
きっとそう言ってくれているに違いありません。
お茶にしましょう
葛きりと黒糖わらび餅です
タラ〜リ
黒蜜垂らさないようにネ
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