シンガポールで転職します

現在シンガポールに居住、働いており、転職をすることに決めた。引き続きシンガポールで働くこととなる。自身が転職を意識したり転職活動を行う中で考えた・悩んだなかでたどった過程を記すことで、それがキャリアを考えている、転職をしたい、海外で働きたいと思っているなどの誰かの役に立てばと思う。また実際にシンガポールで働くなかで感じているこの地域のダイナミックな環境についても触れた。東南アジア、シンガポールなどに興味を持つ方にも参考にしてただけると思う。詳細な業務内容などは記載していないが、文脈から自身の学び(Learnings)を感じ取っていただければ幸いだ。

まずは転職の動機から。1.なぜ今の場所を離れる決断をしたのか、2.なぜシンガポールで新しい場所を選んだのかの両面から記述し、あわせて3.以上からの学び、としてまとめる。

1.なぜ今の場所を離れる決断をしたのか

・新しい環境を見たくなったから。毎回新しい職場に行く度、全く異なる人の考え方や性格、従業員の習慣、そこでの常識・非常識的なこと、オフィスの様子、それらの背後にある明文化された/されていないが共有されている価値感、などに出会う。これは日常を抜け出して旅に出るのと同じで、行く国々でその国の人々・風習・風景・食文化などに特徴があったり日本との共通点があったり異なる点があったり、またその背景となる理由があったり、そして人との出会いがあったり。自身は旅のなかでこういったことを楽しんでいるのではないか。そしてそれは働く場についても同じなのではないかと。人生一度きり、いろいろ見るのもわるくない。ただジョブホッパーにはならず、一か所一か所実績、自身が去っても残る業務改善などの足跡を残しながら、人とも良好な関係を築き、惜しまれつつ去りたいとは思っている。いろいろな会社を経験することで社内しくみなどのよしあしがわかるようにもなり、職場に新しいことを提案すればそれが自分の価値にもなる。

・少し長めの休みが取りたかったから。日本での職場からシンガポールの職場に移った時には間をほとんど空けずに引っ越し・働き始めたため、日本・シンガポールで計10年くらい長いブレークは持たずに走り続けてきた。ブレークを取ることで、特に子ができてから手が回らなくなっていたいろいろな身の回りのことや今後さらにジャンプするための準備をしたかった。この10年の前にもブレークを取ったとき、ご存じないと思うが独立行政法人 中小企業基盤整備機構が実施している中小企業診断士養成課程というものがあり、それに半年間通っていた。なんだかんだそのとき勉強したことなどがこの10年の自身を助けてくれたように思う。ネット上では中小企業診断士勉強しても役に立たないとか、外資コンサル入れないとか、いろいろ書かれてるが勉強してたからこそ会社にも入れたし生き残れたのだと思う。同僚がどんなに高学歴だろうが関係ない(もちろんそれに越したことはないが)。自身なりの取れる方法で自分を磨いてきた。自身のように自分がそんなに器用じゃないと思う人は適宜ブレークを入れるのはとてもよい選択と思う。多国籍企業だとサバティカル休暇を取る人も結構多い。自身はインドネシア語、改めて英語、データビジュアライゼーションなど勉強しようと思っている。ちなみに中小企業診断士養成課程では日本全国の中小企業支援機関で働く多くの同士を得ることができた、将来起業した際など大いに頼れる存在と思っている。自身も彼らに対してそうなれるよう引き続き努力していく所存だ。

2.なぜシンガポールで新しい場所を選んだのか

・自身が学生時代中国留学していたこともあり、ずっと中国に関わりたいとも思っていたが今回関われる機会がありそうと感じたため。東南アジアで生活しながら中国にも関わりたいとは贅沢と言われるかもしれない、自身も今まで東南アジアに関わるかそれとも中国かは二者択一で東南アジアに来た以上中国はなかば諦めていたのだが、次の場所ではそんな機会もあるようだ。日系・多国籍企業に関わらずシンガポールにアジア・パシフィック地域の統括拠点(Regional Head Quarter)を置いている会社は多いが、その統括拠点が東南アジアやインド、中国法人を管轄していることになっていても実際には持ち株会社になっているだけで人材交流などほとんどない場合も多い。一方、それだけでなく互いに知見を共有し合ったりリソースを融通し合っている企業もある、今回たまたまそういう会社に巡り合うことができた。ここ東南アジアでも特にアリババなどのテック系中国企業の影響も無視できないくらいに大きくなっており、東南アジア・中国間の交流もますます増えていくだろう。それに対しいくら中国語ができるとはいえ日本人がどこまでどのように食い込んでいくのかはよくよく考える必要があるが。日本人としての役割は維持しつつ、ローカル×ローカルの文脈にも入り込んでゆくのだ。

・ある程度の規模のチームでよりテクノロジー寄りの仕事をするため。今までの仕事のなかで、テクノロジーによって今までやっていたことが格段に効率よくできるようになる、そもそもできなかったことができるようになる、など時代の大きな変化がもたらしていることを自ら体感した・人に提供した結果、やはりそこをリードしたいと思った。人が喜ぶところを見るのは心地よい。今までの仕事でもそういったこともやってはいたが、新しいものにおいては実績と集合知が差別化要素となる。実績作りにも、実績の積み重ねにも、課題の解決にもある程度の規模が必要と感じていた。もちろん自ら事業開発・チーム育成していくことの面白みはあるしそのようにやってきたが、いくら新しいことでもすでに世の中に事例があるのであれば一度経験してしまうことでそれが自分の経験としてもより早期に積みあがっていく、またチームで議論しながらやるのも楽しい・より付加価値が出せると思ったのだ。孤軍奮闘するのは起業してからでよいかなと。ちなみにシンガポールは日本にまだ拠点を置いていないような米系SaaS企業等もアジア唯一の拠点を置いていたり、スタートアップ群及びそれを支援する政府系機関・大学とVC(ベンチャーキャピタル)、いわゆるエコシステムが育っていたりと、テクノロジー・デジタルといった分野に身を置きたい人には非常に魅力的な環境となっている。大手SIer(システムインテグレーター)でも優秀なインド人エンジニアがどんどんインドから社内転籍で移ってきたり、さらにシンガポール国内で転職しあちらこちらにいる。彼らは非常に優秀で、でも礼儀正しく、でも向上心・野心に満ちており、一緒に働いた際には大いに刺激を受けた。日本人が持っていない何かを感じさせてくれる。また、シンガポール自体は小さいが、そういったテクノロジーを適用する対象にもなり得る新興国群、特にまだまだ若く人口の増えていくインドネシア、フィリピン、ベトナムなどに囲まれている。外部環境のPEST(P-Politics, E-Economy, S-Society, T-Technology)とはよく言うが、何かとダイナミックなのがこの地域なのだ。

・あとは面接のなかで先方に質問をし、中長期的な方向性とか採用の背景とかをちゃんと説明してくれるか、どう活用しようか考えられてるなと思えるかなどを確認する。もちろん報酬も重要だ。キャリア志向のシンガポール人は転職するたびに肩書と報酬を上げ、業界の中での地位を高めてゆく。横目に上昇気流を見つけたらそちらに飛び乗り流れに乗るのだ。激務なんかにしたらスタッフは辞めてしまうし、うまくいっている、うまくやっている企業に人が集まる、そんなメカニズムが働いているように思う。

といったことがそれぞれ背景になる。元の会社でやりたいことができていなかったかというとそうではない。社内で希望を言ったり、転職したりしながら、自身の専門領域を育てつつ、自身にとってよりモチベーションの高まる[グローバル]×[非定型業務を通して人に貢献する]という領域へ領域へと自身の立ち位置を動かしてきた。非定型業務の背後にあるのは知的好奇心だと思う、人に貢献するにしても自分も楽しみたいと思う。このあたりは人それぞれだ。この二軸からなる自身にとっての「モチベーションの源泉」も最初から明確に定まっていたわけではなく、いくつかの業務経験を経て次第に意識するようになり、最近ではまさにそのような仕事が自身の仕事になっていた。1か月に6カ国出張が重なり体力が限界に達するくらい、つまり日本にいたころからは考えられないくらいグローバルな状況だったこともあるし (笑)、仕事内容も毎日何かしらの新しい学びがある。自ら提案して社内システムの導入もした。時々だが人にも感謝される。ただある意味居心地がよくなってしまったところもあり(=Comfortable Zone)、そこに来たら来たで中国やテクノロジーといった新たな軸が仕事や外部との相互作用の中で呼び戻されたり新しく出てきたりし加わり、今回の意思決定のキーにもになったのだ。実はツイッターで中国関連のアカウントをフォローし日々見ていたことも中国への想いを一層強く呼び戻させる要因として大きく作用した。

3.以上からの学び

以上が離れる理由と新しい場所へいく理由である。自身は社会人になって最初の5年くらいは人生ってこんな風に目的の方向に自ら動かしていくものというイメージも持っていなかったし、そもそも何が自分にとってのモチベーションの源泉の軸なのかも明確には意識していなかった(今でも日々要素や重要度などは変わってゆくのだが)。その後転職を繰り返し、今ではなんとかかんとか最初の二軸の条件を満たしつつ、新たな軸に向けてまた走り出すフェーズに至ったのだと思っている。ここからの学びは、特に学生や社会人若手の方は一度立ち止まって何が自分にとってのモチベーションの源泉なのか、改めて考える時間を取ってほしいと思う。夢が二つあったら二つとも残してかまわない。二つの重なる何かがあるかもしれない、いつかそこに行けるかもしれない。何次元になっても構わないが何が軸で、その軸の目盛を前に進めるための必要な要素は何かを考え、地道にその一つ一つを集めたり作ったりしてくのだ。そしてそれは当然若いうちの方がよい。なぜなら人生における時間は有限だからだ。合コンなどもよいが、自分の進む道が定まっていけばそのなかで自然と出会いはあるのではと思う。海外旅行にはいった方がよいと思う、知識だけでなく視野が広がる。海外生活、海外就職もそうだ。子ができると自身のケースだと遅い日には夜10時に子が寝てからしか自分の時間がない。(自身は就業後子を迎えに行くので残業もせず、残務があれば泣く泣くここを使うより他ない。シンガポールにはメイドがいるじゃないかという人もいるが、家族との時間をどう使うかは自分の自由だ)。ある程度の年齢になると親の年齢や体調も気になってくる。現地就職しても親の介護で帰国する人もいる。ぜひ何かと時間のとれる今のうちに、戦略的に、少しずつでも遠回りでもいいのでそれらのコマを前にすすめることをしてほしいと思う。会社も最大限利用する。会社のブランド・リソースがあるからできることもある。そうやって一個一個必要なパーツを集めてゆく。ぜひ打算的になってほしい。このすでに中年の歳になってしまった時間のない自身もそれでもなんとかかんとか頑張っている。

この地のダイナミックさにも触れた、少しでも伝わったなら幸いだ。また自身が転職活動を繰り返ししてきた、結果キャリアを海外へ広げてきたなかで言えることも、4.海外で働くこと・転職活動、としてまとめておきたい。

4.海外で働くこと・転職活動

自身も一度日本を出てよかったと思っている。海外旅行もそうだし、海外で生活して一層思うが視野が立体的に広がる。食べる、働く、など自身の認識を構成する要素自体は同じなのだがそこに立体的な広がりが加わる、何らかの背景でその一個一個が同じだったり、違ったり、少し似ていたりする。毎日新しい発見がある、これが好奇心をくすぐるのだ。例えば同じ東アジアとして日本と似ているが少し違う中国や韓国に行ったりするとそんな風に思う人も多いと思う。また、そんな経験を日々繰り返していくと日本で常識だと思っていたものが必ずしもそうでないことにも気づき、一方で日本のよさもよりクリアになってくる。別に日本を捨てるわけではない。そこからの学びはいつか日本に帰ったときには日本にとって役に立つものであろう。

自分もいつか海外で働きたいという方は、ぜひ周囲にことあるごとにそれを言い、語学を勉強し、海外の就職情報をチェックし、日本語・英語のCV(職務経歴書)を更新し、LinkedInを更新・チェックし、実際に応募・採用インタビューを受けたりと何度でもトライしてほしい、トライしたいだけ何度でもできるのだ。自分がやりたいことができる会社も決して1社ではないだろう。経歴が充実してくればLinkedIn経由でエージェントやヘッドハンターから声がかかるようにもなる。声がかからなければ再度自分と向き合って必要なパーツを集め、CVやLinkedInを更新するのだ。いつかはわざわざ日本にいる一介の自分を拾ってくれる会社は出てくる。かくいう自身も日本時代、前の前の会社は一度書類で落ちたし、前の会社は二度書類で落ちた、次に入る会社に至っては一度書類で落ち二度面接で落ちシンガポールで四度目の正直である。落ちた二度の面接ではどんなやつか見極めるような目で見られていたが、今回は計4回の面接を通しいずれもぜひ前向きに考えてほしいというような態度だった。自身も最終的に次の場所につながったのはLinkedInであった。海外で働きたいけど日系企業は嫌だという人も多い。それはそれで尊重するが、そんなこと言わずにまずは入りやすい、日本語人材を欲している、自分のためにわざわざ就労ビザ発行の申請をしてくれる日系企業があれば入社し、ある程度経験・現地の知見がついたら多国籍企業に転職したってよい。誰もローカル人材は転職するが日本人は転職してはいけないなんて言っていない。また日本企業は次に繋がらないとも言っていない。仕事で話す機会があったシンガポールの政府機関の人は日本企業の現地拠点出身だったし、シンガポールの大手某銀行のCXOも日本の大手メーカー出身と言っていた。いや、それは非日本人のケースでしょという人もいるかもしれないが、そこまでいくともう自分次第、日本人ならば逆に日本人であることを利用して外資企業の日本アカウント営業担当になり、だんだんと非日系の仕事も担当するようになる人もいる。シンガポールだとLinkedInで求人を検索すると名だたる多国籍企業でも意外と日本語できると望ましい(Japanese Language Preferred)、時には必須となっている企業も多い。背景はアジア・パシフィックの地域統括拠点から日本のマーケットを担当するとか(日本のお客さんが英語できないため)、日本にいる営業マンにアドバイスをする地域アカウントマネージャーとか(日本支社の営業マンが英語できないため。外資系でも実は多い)、日本からシンガポールに機能を移管するとか、日本に工場がある企業を買収したとか、いろいろだ。そういった意味でもシンガポールはアジア・パシフィック地域の統括拠点があり外資多国籍企業では日本もその傘下に入っていることが多いため、上記のようなケースも多くあり、主には日本人は現地の日本企業向け営業担当を担うことの多い欧米などに比べると、仕事の内容の幅はより広いのかもしれない。いずれにしても、貪欲さも時には重要なのだ、会社・至るルートはいくらでもある。

5.最後に

以上、長文になってしまったが自身の転職・今までを振り返りながら人生をデザインすること、加えて海外で働くことにも触れた。説教じみてもいるがと前置いたうえで、もしあなたが「自分は就職活動の結果、もしくは会社による配属の結果、楽しくもない仕事をしている、こんなことをあと何十年もやるのか。まぁ、これが大人なのだろう。」と思いながらも一方では「でも自分はこんなことやりたかったんだよなぁ、こんなことしたいなぁ。海外でも働きたいなぁ」などと思っていたら、ぜひ「自分の人生を自らデザインすること」、「すなわち自分のモチベーションの源泉を明らかにし、主張したり勉強したり転職したり時には海外に生活拠点を移したりしてそのコマを進めながら自分の欲する方向に人生を動かしていくこと」を志向してほしいと思う。誰もあなたにそこにずっといろとは言っていないし、いたとしてもそんな人は別にあなたの人生を想っているわけではないし、突然いなくなったり、部署・会社さえもなくなってしまうこともある時代。あなたは若い、何だってできる、と言いたい。自身の学びは残念ながら若いころに戻って使うことはできず、だからこそ若い方にとっての多少の役に立てばと思っている。ツイートが説教じみてしまうのもそんな考えからだ。

今後は、仕事は仕事で妥協せずやりつつ(本当はそんな性格でもなく日々趣味の本などを読んでいたいのだが。モチベーションの源泉の理論と矛盾してないか? 笑)、一方ではローカルな文脈に中国語などを活用しながらどんどん切り込んでいきたいと思っている(こちらの方が趣味に近い)。一見ビジネスとローカルな文脈の理解というのは切り話されて考えられがちだがそれをかけあわせたところに新たな地平が広がっているのだとシンガポールに来る前から信じている。もしそんな経験ができたらまた紹介していきたい。

また節目のタイミングなどに機会があれば何か書きたいと思います。最後まで読んで頂いた方ありがとうございます!ツイッターいつも見て頂いている方もありがとうございます!海外で頑張られている方のツイートも拝見して自身にも励みになっています!(ツイッターは本文のようなことを思いつく度に断片的に書いたり、東南アジア×華人、ローカル文化、シンガポール政府の取り組みとか、こっちで見つけた珍しいものとか、日本がもっとこうだったらいいなぁと思うこととかいろいろです)以上。

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