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生涯のメンターが教えてくれた4つのこと

5人兄弟の長男として産まれた僕は、15歳の中学校卒業と同時に家を出て、それから家には帰らなかった。

今では仲のいい親父は、ギャンブルにハマっており中学校の食費も払っていなかった、家の電話は出る度に借金の催促の電話で、弟とはどっちが電話に出るか争っていた。

当時40歳の親父と18歳で再婚した、僕と12個しか変わらない新しいお母さんとは、色々と合わなかった。それでも、ちゃんと毎日朝ご飯や晩ご飯を作ってくれたことに対しては、心から感謝している。絶対大変だっただろうな、、、。

5人兄弟の中で高校を卒業した兄弟は一人もいない。一人、幼い頃に倒れてしまった後遺症が残っている妹が養護学校まで卒業したのが、兄弟の中では最高学歴だ。


そんなこんなで、家庭のせいには一切したくないが、15歳の夏に新規オープンのレストランで働き出した時には、僕は結構クズだった。
髪の毛は金髪だった為、バイトの面接の時は黒くするスプレーをしていったのを覚えている。

コンビニで初めて買った履歴書に、汚い文字で適当に書いた物を渡して面接が始まった。

面接をしてくれた店長は、一回り上でその会社では得体のしれないようなオーラと実力を持っている人、と周りから思われていた。外見はGLAYのTERUの全盛期の時にそっくり。

その店長も中卒で、一人で茨城に来て働き出した。ということを後から聞いた。

店長:「なんで、ここで働きたいの?」

何も準備をしていなかった僕は、そんな基本的な質問にすら、すぐに答えられなかった。自分の意思で働きたいと思ったわけではなく、既にそこで働くことが決まっていた友達が紹介してくれたから。という理由しか自分にはなかった。

だから、そのまま答えた。

僕:「友達が紹介してくれたので。」

店長:「お前は何がしたいの ?」

僕:「え、、、っと、、、、。うーん。。。特にありません」

店長:「俺はあまりお前のこと雇いたくないけど、あいつの紹介だから雇ってやる」

というような流れで、仕事が決まった。

それから今日まで、感謝してもしきれない位、その店長には何度もお世話になるがその中でも特に思い出に残ってる4つの出来事を今回は紹介します。


1. お前はあいつの気持ちわかってんのかよ!!

最初は社員ではなくバイトだったので、週に5回、10:00から17:00までのシフトで勤務が開始した。

勤務中は真面目に働いていたが、何度かサボった。あと一日いけば休み。という日は、サボって2連休にしていた。

そんなことを3, 4回やった後で、サボるつもりは無かったが、朝まで友達と遊んでいて、起きたら既に11:00になっていた日があった。

行くかどうか迷ったが、「眠いし、サボろう」と思ってお店に仮病の電話をした。

電話には店長が出た。珍しかった。

僕:「すみません、ちょっと体調が悪いので今日はお休みします」

店長:「いいからすぐ来い」 ガチャ


ヤバイ、、、。と思った。店長の声が物凄い怖かったし、行かないという選択肢は無いなと思った。

30分後にお店についたら、すぐに店長に呼び出された。

店長:「お前は、お前のことを紹介したあいつの気持ちわかってんのかよ!!!」と怒鳴られながら、胸ぐらを掴まれた。

人生で胸ぐらを掴まれたのは、この時の一回だけだ。というよりも、ここまで他人に本気で怒られたのも、これだけだし、今後も無いだろう。

その瞬間は、状況が飲み込めず、一言も発することが出来なかった。

でも、その店長のお陰で、確かにその瞬間、僕の人生は180度変わった。

人に迷惑をかけてはいけないんだな、働くってそういうことなんだな。と心から理解した。

その後の10年間の勤務は無遅刻で欠勤は急性胃腸炎にかかった一度だけ


2. 上が黒と言ったら、黒だ

心を入れ直して、仕事を頑張り出して1年半後、17歳になったばかりの時に社員になりたいと店長に伝えた。

少ない貯金を使って、紳士服コナカで1万円の格安スーツを買って、社長、役員の方々と面接をして、無事に社員になれることになった。

採用の結果を店長から伝えられた時にこう言われた。

店長:「ひかる、お前がどう思おうと、上が黒と言ったら黒だ」

この発言には、今の時代は賛否両論あると思う。僕も仮に今転職活動をして入った会社の上司から、いきなり同じことを言われたら、すぐに退職願いを出すだろう。

それでも、店長からのこの発言は100%の優しさから来るものだったし、この言葉に、今まで何度救われたのか分からない。

何故、そう受け取ることが出来たのかというと、その店長は決してそのようなスタンスで部下に接することはなかったからだ。

納得いかないことがあっても、こちらが言葉にする前に気がついてくれるし、どんなに忙しくても何時間でも話してくれる。

そんな店長から言われた、「上が黒と言ったら、黒だ」というのは、僕よりも早く社会に出て、大変な思いをしてきた店長からの、心からのアドバイスだったんだろうなと僕は受け取ることが出来た。

この言葉のお陰で、その後の人生で体験する全ての理不尽や不平等を乗り越えることが出来た。


3. 良いところ、たくさんあるぞ

社員として働き出してから1年程が経過した時点で入社してきた新入社員が、お世辞でも仕事が出来るというタイプの子ではなかった。

というよりは、気分のムラが激しく、ムードをぶち壊してしまうのだ。周りの従業員もすぐにそれに気がつき、僕も同様に苦手意識をもっていた。

丁度その頃、僕が豚肉と牛肉の違いが分からない。ということを店長に見抜かれた結果、店長が地元で有名な焼肉をご馳走してくれることになった。

仕事を少し早く抜けて2人きりで焼肉を食べに行った。


店長:「ひかる、〇〇(新入社員)のこと、どう思う?」

僕:「僕は好きじゃないです。一緒に仕事がしにくいです」

店長:「あいつの良いとこってどんなとこ?」

僕:「良いところ、、、思い浮かばないですね」

店長:「そうかぁ? 良いところ、たくさんあるぞ


店長は、その日、その子の良いところを僕に教えてくれることは無かった。

けど、このたった一言から、僕は次の日から、その子の良いところが見れるようになった。

それまでは、一緒に仕事したくない、と思っていた自分の気持ちが変わり、その子とスムーズに仕事が出来るようになった。

こんなに強烈に人への印象を変える一言があるんだな、といまだに思う。

そして、人の良いところを見る。という習慣は、今でもスムーズな人間関係の為に欠かせないものになっている。



4. それは大きな成長だよ

茨城県の水戸市にあるお店で働いていたが、つくばに新店がオープンするということで、当時19歳だった僕はキッチンの責任者ということで立ち上げの為に移動した。

そのお店での出来事は下記のnoteで詳しく説明しているが、要約すると凄い働いた。月300時間以上働いた。マネージメントやマーケティングの勉強をしている時間も入れれば、350時間は超えていた。

その時は、店長はスーパーバイザーに昇進しており週に1, 2度位のペースでお店に来てくれていた。

大量の宿題を出してくれて、全てメモして営業の合間を見ながら、スピード重視で取り組んだ。

出来ることはなんでもやっていたつもりだったし、出来ないことでも自分で調べてやっていた。

お店のスタッフも本当に頑張ってついてきてくれた。今思うと、絶対もっと上手に出来たな。って思うこともたくさんあるが、そんな未熟で若い自分に皆文句も言わずついてきてくれた。最高のスタッフだった。

それでも、結果を出せない日々が続く。会社が民事再生法を申請し、お店の存続が裁判所の判断に委ねられた。

半年以内に絶対に黒字にしないといけなかった。


そして、僕はパンクした。

黒字なんて絶対に無理だと思った。そして、そのまま店長に打ち明けた。

僕:「もう無理です、出来る自信がありません」

店長:「良く言えたな、ひかる。それは大きな成長だよ


当時の僕は店長のいう意味が分からなかった。お店のトップとして、弱音を吐くなんて絶対ダメだと思っていた。

でも、それを大きな成長という店長。しかも、理由は説明してくれない。

一つだけ分かることは、その後、僕達は目標を達成することが出来て、毎月200万赤字だったお店を黒字化することが出来た。

無理だと言った後は、周りに頼らざるを得なかった。でも、その結果、目標を達成できた。つまり、一人では達成不可能な目標だと認めることが出来たことに対して、店長は大きな成長だよ。って言ってくれたのだろう。

そこまで見通していながら、僕が自分で気がつくまで正解を言わない店長。

そんな店長の生き方はカッコイイの一言に尽きるし、少しでも店長のようでありたいと思うことが、今も日々自分の人生をより良いものにしてくれている。


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