#140 若林正恭

 昨日の今日で「社会人大学人見知り学部卒業見込」と「ナナメの夕暮れ」を約1年ぶりに読みました。言い方は変ですが、「正直こんなに自分に刺さるとは思っていなかった」です。確かに一年前にこの2冊を読んだのですが、その時は若林さんに共感した気になっていました。正直、若林さんの生み出す日本語は美しすぎると思います。僕の語彙力では文意が理解できないことも多かったです。社会人大学に「二律背反」という節があり、内容をめちゃくちゃ要約すると「二律背反する感情や主義が一つの作品に同時に収まっているがそれが無理やり調和しているようにも見えた。思いは一つじゃなくていい。」ということなのですが、正直この要約で文意を汲み取れてる自信は全くありません。この2冊のエッセイ中に「岡本太郎」さんの名前が出てくる節がいくつかあるのですが基本難しいです。岡本太郎さんの信念と若林さんの信念それぞれを汲み取りつつ言いたいことを整理する作業が難しすぎます。
 初めてこの2冊を読んでから1年経って読み返してみた感想は「言ってることがめちゃくちゃわかるようになってる〜」でした。その背景には、noteを書くようになって、正しくはなくとも自分オリジナルの意見をはっきり持てるようになったというのがあると思います。
 一年前の自分は、若林さんの考えを理解しようとしていたというより、ラジオパーソナリティの出してるエッセイを読んでる自分に酔いたかった部分が強かったなと今になって思います。一年前の同じ時期、岩井さんの僕の人生には事件が起きないも読んだのですが、これも同じだったと思います。のがないに関しては今から4ヶ月前くらいに2週目をしたのですが、内容の理解でき具合が1週目の時とは段違いでした。それも今回若林さんのエッセイを読み直すことにした理由の一つです。

 noteを初めてもう10ヶ月になります。これを始めたきっかけはもちろん若林さんが始めたからです。なんだかんだで140個もエッセイ(と呼べる代物ではないが。)を殴り書きしています。文章を書いている途中で、自分が自意識過剰なことの言い訳、つまり自己肯定ばっかりしていることに気がつきました。自分はこうこうこういう人間で、こう思われているんじゃないかとか色々考えてしまうので、こういう行動しかできないのは仕方がないんだと言い訳をし続けてきました。そんな最中、ふと自分と反対の立場で、自分を批判する文章を書いてみようと思い立ちました。反対意見を考えてみるのも面白いんじゃないかな、くらいの軽い気持ちでそれとなく書いてみました。

 その記事が上の「#112 『自意識過剰』を考える。」というものを書きました。その中で僕は「自意識過剰なのは自分が悪い。自分が他人に向けた視線が自分にブーメランのように返ってきて刺さるのが怖いだけだ」みたいなことを書きました。この記事の見出しには「自意識過剰はブーメラン」と名付けました。。正直、自分で書いたとはいえ自分が今まで書き殴ってきたnoteが全部論破され完全に打ち砕かれました。
 自分の土俵だと思っていた自意識過剰関係の話がこれ以降全く書けなくなりました。

 この上「#121 後天性自意識過剰」(このタイトル、今思うと「後天性」の使い方が意味不明で恥ずかしいです。)の記事はそれ(#112)に対する、最後の、苦し紛れの、せめてもの、自分のための言い訳として書きました。「自意識過剰は自分が悪い」という結論になってから、全く考えが進まなくなり、自己嫌悪に陥ってばっかりでした。

 そして現在に至り、僕は2冊のエッセイをもう一回読もうと決心し、読み終えました。

 エッセイを読んであんなに泣くとは思いませんでした。朝9時、カーテンを閉めきった暗い部屋で一人咽び泣きました。ナナメの夕暮れに「ナナメの殺し方」という節があります。その節を読み進めていくうちにどんどん涙が堪えきれなくなっていきました。手元にある人はあとがきと合わせて一旦読んでみてください。
一部引用します。

 自意識過剰なことに対して、「誰も見てないよ」という人がいるがそんなことは百も承知だ。
 誰もみてないのは知ってるけど、自分が見ているのだ、と書いた。
          (略)
 こういう気持ちはどこから来るのかというと、まず自分が他人に(略)心の内で散々バカにしてきたことが原因なのである。
 昔から言っているのだが、他人の目線を気にする人は”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。
 心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。
 その筆頭が、何を隠そう私である。

 いつからブーメランを投げ始めたのだろうか。
          (略)
 自分の生きづらさの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。
 その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な目線”をやめるしかない。
 グランデという人を否定するのをやめれば、自分がグランデと言っても否定してくる人がこの世界からいなくなる。
 否定してくる人がいない世界なら、朝気持ちよく起きることも全然可能なのだ。
 最近、あまりにも日本語ラップが好きすぎて、自分の好きな曲だらけのミックsテープが作りたくなった。
 このあいだ、ついに僕はDJ機器を買った。
 それを否定する人はこの世界に誰もいなかった。


[完全版]社会人大学人見知り学部卒業見込み/著・若林正恭

 正直、若林さんが自意識過剰はブーメラン理論(勝手に名付けた)をエッセイに書いているとは思いもしませんでした。いかに1週目のときに内容を読み取れてなかったかが身に染みてわかりました。そもそも、この理論が社会人大学の序盤の序盤でそれとなく書かれていた事実に驚きました。正直、2週目の「自意識過剰」を読んだ時も気がついかず、2週目の「ナナメの殺し方」を読んでやっとそれに気づいた自分がすごく恥ずかしいです。
 自分が#112を書いた時、若林さんのエッセイは全く意識しておらず、「我ながらすげぇこと考えたな」と気持ちがたかぶりました。(自分を刺し殺す理論にも関わらず。)
 1回目に読んだ時になぜこれに気づけなかったのかという後悔もありますが、逆に気づけなかったことにも感謝したい部分があります。僕は、自力でいろいろ考えた末にたどり着いた考えが若林さんと同じだったことがすごく嬉しいです。(もしかしたら1回目に読んだ時から若林さんの理論がこころのどこかに引っかかっていて、それがアウトプットされただけかもしれませんが。)まあとにかく、読解力が絶望的だった一年前の僕、ありがとう。一年前にこれを読み取れていたらまるまる違う一年だったのかもしれないですが、noteを初めて自分で考えたことには意味があったんじゃないかなと僕は思います。僕だけはそう思ってあげることにします。

 僕がまだできていないのは、ナナメな視線を向ける”僕と同じ目をした他人”に対する

 違う、違う。 
 お前と俺は多分話が合うんだよ。
 きっと苦しくて、なんでこんなに苦しいんだろう?ってずっと考えていたらそれは外の世界全体のせいのような気がしてるんだろう?

というあとがきの部分に納得することと、そもそも他人に否定的な目線を向けることをやめることです。これにはもう少し時間がかかりそうです。


ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。

他人の目線を気にする人は”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。

それを否定する人はこの世界に誰もいなかった。


あんまりこういうの好きではないと思いますが敢えて。

若林さん、大好きです。
これからも応援しています。

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