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【復路の足取り】

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“僕はこういう人だから”
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#コラム

雑記⑬「責任背負えんのか」

1.真面目という生き方 自分に対して、なんとなく「不真面目ではないな」と思っている。 ただ、「生真面目というわけでもないな」と思っている。 でも、「真面目でいようとしてはいるな」と思っている。  ”自分がここにいていい理由”が永遠に見つからない。 これはある種の自己肯定感のようなものなのだが、これを手に入れるのが本当に難しい。 人に取り入る上手さ、人当たりの良さ、愛嬌、圧倒的コミュ力、人懐っこさ、サバサバ感。 世渡り上手な人に備わる能力がこれっぽっちもない自分に、流石に落ち

人によるし、分かり合えない。

 「自分がされて嫌なことは、他の人にしないの!」と、母親に幾度となく言われてきた記憶がある。別に親の教えを守ろうとしていた訳ではないが、それを心がけることは自分にできる最大限の優しさのつもりではあった。でもそれを掘り起こしてみたら、「自分も嫌だったあの気持ちを、抱かせる側になんてなってたまるか」というなんともプライドの塊のような根源だった。  俺は誰にも嫌われたくない。そういう八方美人な人を嫌う人だっているだろうから、不可能なことだということも分かっている。でも俺は、こんな

卑屈を正当化する術がどんどん上手になってきた

 自分は生きる中で何が嫌で、何が苦しくて、何が苦手で、何がやってられないのか。入り乱れすぎててもうよく分からない。 とにかく、この2年くらいで屁理屈を考えることだけは圧倒的に得意になってしまった。  自意識を捨てられないだけのか、プライドを捨てられないだけのか、世間体を守りたいだけなのか、自己中・利己的なだけなのか。 今はどれを守りたくて捨てられなくて、逆に何なら捨てられるのか。  過剰な自意識に苛まれて、悪く見られたくなくて、その結果身動きが取れなくなる日もある。  自

人それぞれ

そう、人それぞれ。 あれもこれも、今悩んでるやつも、人それぞれ。 無責任で根拠もないけど、漠然と、人それぞれ。 少し前に見つけたとある恋愛指南系YouTuber(そんな分類があるか知らない。)がいる。 「脈アリサイン」だの「効果的な誘い方」だの「デート中にするとで喜ばれる気の使い方」だのを動画にしているが、僕が本当に好きなのはその動画のコメント欄の方である。 僕もこのYouTuberの動画を見ている以上、ある程度のプロトタイプや模範解答などが知りたいわけである。 恋愛をして

本当のことなんか言う必要ないよな(雑談バナシ⓪)

この前書店に行った際に何の気なしに自己啓発本のコーナーを眺めていた時のこと。「2回目以降の会話ができない人へ」みたいな内容の本を見つけて興味本位でペラペラめくってみた。その時目に入ってきた「コミュニケーションは情報交換ではない」という言葉が頭から離れない。あの言葉の真意はなんだったのだろうか、と気が気でしょうがない。あいにく、自己啓発の類に興味はないし読んだところで僕は役に立てられる自信がないので読まない。だから、改めてあの本をネットや本屋で探すつもりも毛頭ない。 「成功する

何者でもない

「何者かになる」という探究を成し遂げた人間を俺は見たことがない。 ”俺が好きな人たちと読んだ小説の中に”というだけではあるが、見たことがない。 南海キャンディーズの山里さんは漠然と「何者かになりたかった」けど、自身は天才ではないからその差を努力で埋めようとした。モテたい気持ちや嫉妬を燃料にし芸人になった。 ピースの又吉さんは、芸人という変わり者になれば「何者かにならなくていい」と思い芸人になったが、結局は「何者かであること」を求められてしまっている。 又吉直樹さんの著作『人