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私がアイドルになるまで(1)


確かに胸の中のこのそわそわ感が二十歳を過ぎた頃から始まったの。

二十代に入ってから、自然と自分の年齢を覚えられなくなった。わざっと忘れようともしなかったのに、まるで体と脳が意識を持ってるように、勝手に拒否している。だから私は本当に、自分の年齢を覚えられない。

人に聞かれたその度その度計算し、「あ、私は〇〇才だ」と毎回改めて気付いて答えている。

私は3年前に大学を卒業した。人生において潮目が変わる瞬間が、突然やってきた。私の母校がアジアにおいても有名な大学なので、卒業後はすでに明るい未来が待っていると思われる訳。しかし私にとって大人になってどこかの会社に余生を捧ぐ未来なんかただただ怖かった。

優秀な人材であれば、自ら道を拓けていくでしょう。会社員になりたくなかったら、起業や自営業など他の選択肢が沢山あるでしょう。しかしながらも、あらゆる選択肢の前に、私は選択できなかった。

金臭いビジネス系は絶対嫌だ。本、映画、エンターテインメント、文化が好きだからその辺りの仕事がしたい。そのくらいのぼんやりな考えしか持っていなかった。しかも後ほど文化に関わる仕事も含め世の中の全ての仕事が稼ぐことを考えないといけないのが分かった。

なんでもできそうなのになんでもできない。

日本語が分かっても、香港の日本系会社で働く事しか思いつかなかった。日本が好きだから専門にした日本語が結局、スキルじゃないみたいんだ。
なんで楽しい事ばかりやっていたの。
なんでもっと資格を取らなかったの。
厳しい目で自分を見ていたらスキルのなさを痛感した。社会的標準で自分を測ると、尚更痛かった。
一番怖かったのは、自分が何者だと、自分さえ分からないこと。
私は一体何処へ行くべき?私の長所はどこ?

答えは誰も教えてくれなかった。
神様も黙って見ていただけ。

「神様が存在しないとすれば、一切が可能であり、人間は放置されていることになる。」サルトルが言ってた完全的な自由は実に怖い。
誰にも頼ることができず、自分1人で答えを出さないといけないという責任の重さを感じる歳頃だった。

答えを出すまでゆっくり待ってくれるような優しい時間ではなかった。卒業を目の前、私は何も分からないままとりあえず周りに合わせて就活を始めた。そして、散々嘘をついた。欲しくもない仕事のために、強みと弱み、志望動機など、全身全霊で嘘を作り上げていた自分が惨めだった。そうしないと、どこも揺ら揺らな私を受け入れてくれないだろう。

その時の私に光を照らしてくれたのはあるオーディションだった。

約5年前に、香港初の日本式アイドルが生まれた。「乙女ライラックル」というグループだった。私が大学3年生の時に日本で一年間交換留学したことがあって、その時に「乙女ライラックル」が香港でデビューしたことを知った。元々私と同じカバーダンスグループにいた子も一員なのを知って、驚いた上羨ましい気持ちもあった。

AKB48さんをきっかけにアイドルを好きになった。平凡な女の子たちがキラキラ輝く星になる物語には夢がある。最初はいくら下手でも、頑張ればきっと自分だけの居場所が見つかる。それだけじゃなくて、努力を肯定してくれて、支えてくれる人もいるーーファンのことだ。

言うまでもなく、私はアイドルの夢を持っていた。ただ、香港ではどうしても道が見えなくてもうこの夢が一生夢のままだと思っていた。

そう思っていて、就活をしている最中、「乙女ライラックル」の二期生募集のポスターがタイムラインで流れてきた。

あれはまるでやりたい事をずっと探していて、未来という海に溺れかけた私の救命ブイだった。
やっと揺るぎなく「やりたい!」と言えることが見つかった。

私はアイドルにならなきゃ。

つづき

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