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「国」と「愛」の意味

世の中で一番信用できない者は愛国者だ。

ペイトリオットと自称する人が、大きく2つに分けることが出来る。一つは、大義名分を自分の利益に繋ごうとする卑劣な人で、もう一つは生まれた時から「愛国主義」を頭に叩き込まれて、思想の自由が去勢された人達。

本当に自分の生まれた土地を愛する人たちが、滅多に意識的に「愛国」という言葉を口にしたりしない。戦争の時に、「愛国」という言葉がよく上がるのは、国のために個人的犠牲が必要とされる時代だから。戦争中じゃないのに、それを日々掲げる国には、どうしても違和感が感じちゃう。

自分の国を愛することはいいことだ。決して否定するわけではない。でもその気持ちにも批判的な意識を持って欲しいです。「国」という言葉に気をつけて欲しいです。その土地の上で生きてる人達ーーあなたの同胞たちを愛していますか。それとも政府が代表する権威主義を愛しているのでは?

「愛国」を軽く視する危険性は、いつか「国」のために「個人」や「自由」などを犠牲することが要求される。どの国でも暴政に当たる可能性がある。もし自分が愛国者だと思うなら、今一度「国」の意味と、「愛」の意味を考えて欲しい。

私は、自分の生まれた土地が大好きです。ここの景色、ここの人たち、ここで起きた全て、幸せと、悲しみも、ちゃんと覚えていて、忘れたくない。もちろん、この土地の上で血を流した人たちのことにも、目をつぶしたくない。歴史を忘れることが前提でしたら、私は一生「愛国者」になれないし、なりたくもない。

2年前にまだ言える言葉が今日はもう言っちゃだめ。言っちゃいけない事が日々増えていく中で、自分の出来ることを必死に考え続け、巨大な無力感に闘え、悼むことしかできない今を勇敢に生きる私の同胞たちが、どれくらい愛おしいのを、どうしたら伝えられるのでしょう。

今日の夜9時くらいに、家に帰る途中、あるおばさんを見かけた。携帯を見ながら歩いているおばさんが、スリッパを履いていてどうも近所の人だ。一見普通のおばさんが、ちょっと変だった。おばさんが、携帯の画面じゃなくて、携帯の背面をじっと見ていた。なるほど。フラッシュライトを点灯してた。その行動の意味が、分かる。このおばさんが、私の同胞だと、涙が湧いてきた。

人と人を繋ぐのは、愛国主義ではない。同じ土地の上で経歴した歓喜や苦痛への記憶だと思う。

今この瞬間も、窓の外からパトカーのサイレンが聞こえて来る。さきのおばさんも今の音でゾワゾワになるのでしょうか。

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