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流浪の月 感想

「汝、星の如く」の作品がすごく良かったので、
流れでこちらも読んでみました。

同じ著者が書いた感じの価値観が伝わる作品でした。
以下に印象に残った部分と感想を書いていきます。


小さな不快が積もり、叔母さん宅の居心地が悪くなっていくにつれ、私は態度を改めざるを得なくなった。私の常識は叔母さんの家の非常識である。孤立無援の環境で、たったひとりで旗を振り続けられるほど、私は強くなかった。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

そもそも常識なんてのは自分が生まれ育ってきた環境や、
自分が維持してきた習慣みたいなところから構成される概念であって、
決して絶対的なものではないのにも関わらず、
いかにも自分の常識が世間一般の常識かつ、正しいかのように主張し、
他人を自分らの都合のいいようにコントロールしようとする人達がいる。

自分の常識は相手にとっては非常識である可能性があることを考慮して、
相手を常識で縛るのではなく、
お互いを尊重し合えるのが理想的な人間関係なのではないかと強く思います。


事実なんてどこにもない。みんな自分の好き勝手に解釈しているだけでしょう。昔からそうだった。周りの大人、世間、友人、恋人、みんな、みんな。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

嫌いな人は嫌なところ、
嫌悪に値する理由を探し、
好きな人はどんなところが魅力的なのかを探す。

権威ある人の発言は重んじられ、
そうでない人は比べられた時、
発言の価値が軽んじられる。

自分が思いたい、
信じたい部分を見つめ、
そうでない部分を無視する。
こうした傾向は認知バイアスの一つとしても知られる、
確証バイアス」で説明できそう。

僕ら人間の多くにこの傾向があるとすると、
僕らにできることは、
自分が見たいものを見る傾向がある前提で、
相手の感情をできるだけその人の目線で見てみることだと思う。


うん、わたしのしてることは、きっとおかしいんだろね。病気だと思われても仕方ないんだろうね。心配してくれてありがとう。でも、もう見捨てて欲しい。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

優しくしてくれようと善意を向けてくれていることには感謝すべきだが、
相手が見ている事実は真実ではなない時、
たとえそれを伝えたとて、
理解されず、自分が思っている解釈とは大きく相違が生じることがある。

自分のために向けられている善意が、
むしろ自分と相手との垣根を深くし、
分かり合えないという苦しさがより大きくなり、
善意によって息苦しくなってしまう。

こういったことは事実としてあると思う。

「あなたのためを思って」
と言い、何かをしてくれる人がいる。
その気持ちには感謝すべきだが、
その行為は相手視点からの善意で、
私の求めている善意ではない時に、
より理解されない苦しさが増す時がある。

自分もそのような相手が求める善意を行えていなかった節があるので、
自身も気をつけていきたい。

「相手が何を求めているのか」
を注意深く観察したり、
直接聞いて、
自分のフィルターを介さないでできる限り相手の目で解釈する。
みたいなことが重要になってくるんだと思う。


あの2ヶ月のことは、わたしと文だけが知っている。それを誰かにわかって欲しいと願ったこともあったけれど、もう、いい。どれだけ心や言葉を尽くしても、分かり合えないことはたくさんある。手放すことで楽になれることは、もっとたくさんある。わたしは一人になったけれど、それが何ほどのことだ。誰かと一緒にいても、わたしはずっと一人だったじゃないか。

「この人にだけは理解してほしい」
そう思う存在って多くの人が持っていると思います。

誠心誠意相手の理解しやすい言葉や受け入れてくれやすいと思うような態度を意識して話したとしても、
理解されないこともある。

色々な人と一緒に時間を過ごした。
趣味が合う人、価値観が似ている人、
似ていない人、年上、年下。
いろんな言葉を交わした、
友情と呼ばれる言葉に相応しい関係を築いてきた友達もいる。

でも、何か寂しさがある。

親ですらいつも自分の意見とは食い違う。
それも互いの常識のすれ違いという、大抵は思慮に欠けることが原因で。

誰かと常にいても、なぜか拭えない孤独感。
そんな気持ちはきっと、私だけではなく、いろんな人が持ってる気持ちだと思います。

「でも、頼まれたらなんだかんだで断らない」
「本当はいつも断ろうと思ってる」
「そうなの?」
「そうだよ。でも、やっぱり、一人は怖いから」
ひどく素直な告白だった。ひとりのほうがずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神さまはどうしてわたしたちをこんなふうに作ったんだろう。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

一人が楽と言いつつ、
人との交流を絶てない経験がある僕もこの気持ちはわかります。
今は人とコミュニケーションを取ることは楽しめていますが、
時々やっぱり一人が楽だと思いたい時がある。
楽なのは事実、
だけど、楽だから一人で生きていけるかと言ったらそんなことはない。
一人では味わえない喜び、幸せ、充足感、笑いなどは、
誰かと過ごすことでしか味わえないものだと思います。


「おまえも自由に生きてるじゃないか。俺との結婚をやめて、話し合いもせずに家を出ていって佐伯文と暮らしてる。俺はそれを認めなくちゃいけない。だって、それぞれ自由に生きる権利があるんだからな。だから俺も自由にしていいだろう。それをおまえも認めろよ。みんなが自由に生きて、みんなの自由を尊重するために、みんなが我慢をする。矛盾しているけど、そういうことだろう。自分は自由にするけど、自分を傷つける事柄は嫌がらせだからやめてくれって、それが通るなら、おまえのしていることはただの身勝手だ」

「責める権利はあっても、拘束する権利はわたしにはない。」

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

ここは結構考えさせられた場所でした。
確かにりょうくんの言っていることが筋が通っているように思えるけど、
だからと言ってりょうくんのしていることを黙認できるかと言ったら、
自分にはできないと思った。

確かに拘束する権利はないにしろ、
責める権利はあるし、
民事的な責任を問わせることはできる。

そもそもりょうくんの暴力がきっかけで家を出ていると思うので
「話し合いもせずに」
と言っているりょうくんの話の筋は実は通っていないと思いました。


更紗が提案することに、ぼくは抗えなかった。掲げた理想の旗で自らをがんじがらめに包んでしまう母親のようにではなく、更紗の提案はぼくの肩にのしかかっていた理想という荷物をひとつずつ投げ捨てるような乱暴さに満ちていた。荷物でいっぱいの僕の両手を、更紗は解放してくれた。初めて手ぶらで歩く爽快さに、僕は抗えなかった。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

期待や理想主義的な生き方は確かに大事ですが、
それ以外を認めない生き方は、
完璧ではない人間にとっては息苦しいと思います。

どんなに完璧に見えるような人でも、完璧にこなせない日もあるし、
正しく見える人も、間違った選択を時折繰り返すこともある。
心が綺麗に見える人も、環境や状況次第で卑しい感情を宿らせたりもする。

「僕ら人間はそれぞれ固有の魅力を持ち合わせていますが、
その魅力は誰と一緒にいるかで変わってくる。」

という話が最近読んだ本に書いてあった気がしますが、
同じ孤独感を共有できる存在。
趣味が合う人。好きなものが似ている人。
全然何も合わない人。
年上、年下。親、友達、恋人、職場の人。

どこにいても自分は変わらないようにも思えたりしますが、
自分を虫のように扱う環境や、たくさん認めてくれる環境等、
自分の個性に関する環境の反応の違いは千差万別で、
ある場所ではとても魅力的な人も、
違う場所では魅力のない人として認知されるような経験はいろんなかたが持っていると思います。

自分の重荷、悩み、苦しみ、孤独感。
そういったものを取り払ってくれるような存在は、
とても重要なんだと改めて思います。

身体的な問題もコンプレックスも解消されなかったが、確かな事がわからない不安、誰にも打ち明けられないという苦しみからは解放された。定期的にホルモン剤の投与を受け、思春期のころから常に引きずっていた倦怠感も消え、それだけで充分だった。この先の人生すべてと引き換えに、ぼくはようやく心の安定を手に入れたのだ。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

結局は
「自分にとって何が大切なのか」
それを踏まえて

「自分がどう生きていきたいのか」

様々な作品を通して、読者に問いを投げているような気もします。

何が正しいかよりも、
どう生きていきたいかを考えて生きていきましょうよ。

そんなメッセージを読者に問いかけている気がします。


わたしと文の関係を表す適切な、世間が納得する名前はなにもない。
逆に一緒にいてはいけない理由は山ほどある。
わたしたちはおかしいのだろうか。
その判定は、どうか、わたしたち以外の人がしてほしい。
わたしたちは、もうそこにはいないので。

流浪の月/凪良ゆう/東京創元社

このメッセージは同著者の作品「汝、星の如く」でも訴えていたメッセージです。

みんなが正しいと思うことに関して、
その選択をすることが幸せとは限らないということ。

明らかに間違っている。

そう思えるような選択があったとして、
自分はどうしてもその間違った選択を選びたい場合は、
世間の思う正しい意見よりも、自分達の生きたい道を生きていきましょうよ。

そう訴えているような気がします。

大事なのは多くの人に理解して認めてもらうことなんかじゃなくて、
自分の大切な人、認めてほしいと思う人に認めてもらえること。
認めて欲しい人と認め合えること。お互いをありのまま分かり合えること。
これ以上に何を望むのだろう。。。

そんな価値観を世の中に提示しているような気がします。
私はそのような考え方が大好きなので、
この感想や著者の考え方は是非お伝えしたいと思い、この記事を書きました。

長々と書いてしましましたが、見ていただいてありがとうございました。


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