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消費される子どもたち

資本主義の世の中において、企業は成長しなきゃいけないってことになっている。売り上げは前年比よりも上まわっていないといけなくて、効率が最重要しされた仕組みが出来上がっている。それ以外の成長はきちんと評価軸としてあまり構築されていない。

昨日とある媒体でファッションデザイナーのTARO HORIUCHIさんにインタビューさせていただいた時も、芸術と密接している、またはそれ自体が芸術となりうるラグジュアリーファッションにおいても、資本主義をベースとしている限り企業は必要に迫られているよねという話になった。コレクションの回数は増え、ものづくりの文脈とはまた別の価値観や手法で作られ、発表される。ことさら消費のためにプロジェクト化して立ち上げられては消えていくファッションブランドは枚挙にいとまがない。時代の空気に敏感な業界なだけに、その反応は顕著であり、何かしらのクリエイティビティを通した産物こそが人々が盛り上がり、業界自体が盛り上がり、人々を楽しませる。飽和状態のインダストリーでスタートアップには向いてない業界だけれども、ファッションは人を魅了するし、それはそれは、当然の流れだ。

もちろんとっくにその流れに対抗しているブランドも多くて、明らかに姿勢を証明しやすい時代でもあると思う。形ばかりの企業のサステナビリティ活動はとっくに見透かされている。それでも、全部はすぐに移行できないという弱腰になるのも、何千世帯をも抱える大企業においては想像に難くないし、やらないよりはましっていう考えも全然わかる。小さい企業こそ、動きやすいし、社会の大きな動きに繋がるモーターとなるのが役目なのかもしれない。であれば、大企業や国はそれを大きく許容しサポートすることに、もっと真剣にならないといけないとも思う。

動きやすい小さな企業の中で本当によく頑張っているところも多い。自分たちの利益もさることながら、「その活動」を行うことで、文化を深め伝え存続させ、衰退の一途と危ぶまれる日本の未来をよりよくしたいと願っている。独自の素晴らしい日本らしさを拡張させながら、国民が豊かで安全に暮らせるという土壌を見据えて、活動している。まだ形のないものに価値を与えられるよう、少しづつ一生懸命に、磨きをかけている。

文化とは価値であり、自らの文化を継承しより価値を上げていくことは、自分たちの国の価値を上げることに繋がる。そして文化とは決して「伝統工芸」とかに限ったことではない。食、言葉、教育の概念や方法だってそうだし、そもそも伝統工芸だって生活に密接しているものがほとんどだ。何十万もする椅子だって、生活空間に文脈をもって研究を進めた結果アートになったし、北海道のクマの置物だって生活をちょっと面白く、豊かな気持ちにするためだ。心の豊かさを手に入れるだけだったのに、いつしかポイントが変わってしまったことに、すでに気づき始めた人は多い。

教育はどうだろう。資本主義の戦士を創造するための偏差値教育の時代から、ゆとりだなんだと時代に合わせて変容している。現代は主体性を持つ人を育てようと、自主的な発言力とか行動力の強化を目指してるみたいだ。子供の通う保育園ではその方針がここ数年で激変したとかで、保育士たちが対応に四苦八苦している。プレゼン力やディベート力の向上は、何十年も前から言われてきたことだし、大切なこと。とってもいいと思うよ。英語教育もいいと思う。いくらライン翻訳ですぐにできるとはいえ、目に見たものを瞬時に理解できる速さや深さは、翻訳スカウターでもかけてない限りかなわないし、コミュニケーションっていう観点でも、やっぱり言語の理解は重要だと思う。

偏差値教育は今でもあるし、周辺では「中学からは受験が当たり前」という空気がある。それはいいんだけれど、それで学校を終えてものすごい時間、勉強をしているみたい。知りたいことは尽きないし日々疲れが溜まる中で、正気で勉強できる時間が欲しすぎる自分からすると羨ましいし、このままいったら何博士になるの?って思う。その勉強は何かに特化しているわけでもなく「お受験用」だから実践的ではないことも多い。でも人生は逆算できないし、応用力って素晴らしいし、勉強をするということ、何かに頑張ったってことから得られるものとか、プラスのことを言い出したらきりがないし、何になるかなんてまだ決められないから、とにかく学力を上げたりチャンスを伸ばすためにいい学校に入る、そのために頑張る、で全然いいと思う。

でもさ、高学歴じゃないとチャンスが広がらないってなんだ?もともと可能性を広げるための、適性を促すための、気づきを与えるための、生きていくための教育がよくないですか?(個人のキャパは今回置いといて)人は必ず働きながら国を支えながら国を作りながら生きるという前提の場合「豊かさ」に紐づくものについて、しっかりと考え、どのようにしたら自分たちも子供達も国も将来も豊かさを保ちながら暮らしていけるのか、その上で自分はどのような役割を担って生きたいかを考えるような、教育がよくないですか?そうなると必然的に豊かな国を考える人が増えていくわけ。

自分は大人になるまで色々気付かなかったし、大人になっても戦うものは社会だけじゃなくて自分の中にもたくさんある。でもコンプレックスやトラウマやネガティブは「ついてくるもの」であり「当然のリアクション」として受け止めるべきだ。そういったものとともに作られるのが個性であって、それを社会が認めることで、個人は唯一無二の存在となりうる。その一存在を最大限に生かして拡大し続けるのが国の力であってほしい。正しい使い方をした”一存在”はその10倍にも100倍にも輝くことができる。一億総メディア時代、エビデンスはグレタ・トゥーンベリさんという形で十分ですよね。


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