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#8 うそをつけ。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

信じる事で、僕らは生きている。

世間で提供されているサービスへの信用とか信頼と言った物が無ければ、現代社会で暮らすことは出来ない。なぜなら、もしそれらを疑うと普段何気なく利用している物でさえも、利用できなくなるからである。

例えば、自動販売機にお金を入れるのは、お金と引き換えに飲み物を買う事ができると信用しているからに他ならない。銀行にお金を預けるのも、金融機関への信用があるからではないだろうか。

僕たちは基本的に「善人」であるように教育されている。人の嫌がることはしてはいけない、と教わる。そしてそれを前提とした社会が構築されているので、世の中のサービスを疑う事はしない。人を騙そうとしている人は、いないと信じているからだ。

いわゆる性善説である。

しかしその位置からはじめると、僕には全くわからなくなる。このひみつ道具が何の為にあるのか。未来の国では、どのようにしてこれを使うのか。誰が。どんな時に。何の為に使うのか。合法なのか。一般的に市販されているのか。医薬品なのか。それとも医薬部外品なのか。はたまた健康食品なのか。人格障害の為に開発されたのか。それとも洗脳目的なのか。

とにかくこれを見てほしい。

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てんとう虫コミックス第9巻掲載「世の中うそだらけ」からの1コマ。例のごとくジャイアンに騙されたのび太は、自分が騙された事も理解しない程のお人よしさを見せる。それを見かねたドラえもんが「もうすこし、こすっからくてもいい。正直者がばかをみる世の中なんだから。」と、飲ませたのがひみつ道具の「ギシンアンキ」。飲めばたちまち徹底的に疑って真相を突き止めようとするという薬だ。目つきも変わってしまう。これは、その薬の効果を読者にまざまざと見せつけた後、一人歩くのび太の1コマである。

さてそもそも、人が嘘をつくのはどんな理由からだろうか。

プライドの高さ、虚栄心の表れ、劣等感が強い、自信が無い、努力が出来ない、隠し事がある、構ってほしい・・・などのように負のメンタルからが主に起因するようだ。保身という言葉が浮かんでくる。

ギシンアンキとは、そのまま「疑心暗鬼」である。つまり、疑いの心があると、何でも無い物まで恐れたり、怪しく見えるという事である。

疑心は仏教から出た言葉で、「六根本煩悩」(貪,瞋,痴,慢,疑,悪見)のひとつ「疑」の事を指すだそうだ。仏教の心理に対しての疑いの心を持つことを意味する。暗鬼は暗闇の中に鬼を見る意味。

仏教の心理について特段詳しいわけではないが、本質や悟りみたいなものはそうそう見えてこないと想像する。つまりは暗闇である。その中で光を求めて、もがかなくてはならないのだろう。しかし中には暗闇であると言うだけで疑い、その中に鬼がいるかのように見える人もいる。と言う事だ。

看板には「工事中」と「危けん入るな!!」の文字がある。これに対してのび太は「うそをつけ。」と言っている。「工事中」も「危けん入るな!!」も信じていないのだ。

暗闇は見えない=見えない物は信じられない

という構図はなんとなく成り立つと思う。百聞は一見に如かず。という言葉もある。

しかし、鬼を見る心理というのは、恐怖心から来るものだ。

のび太は、見えている物すらも疑っているのが分かる。これが「鬼を見る」である。この事から、このギシンアンキという薬は「何もかもを疑って信じなくする薬」と言うよりかは、「見たり聞いたりする物事を疑い、恐怖心の為に逆または対になる物事として認識する薬」なのではないかと考える。

実際、のび太はこのコマの前に犬にワンワン!吠えられているが、「なにがワンワンだ。ネコのくせに」と一蹴している。猫は犬の対存在と言えるかもしれない。

僕は、冒頭で社会は性善説で成り立っていると言った。問題は起こってから対応する物で起こる前には規制される事は少ない。日本だと特にそうかもしれない。疑わしきは罰せず。という言葉もあるが、まずは疑わないのだ。

だが、アメリカの法令など例を見ると、性悪説に基づいている事が分かる。問題は起こるハズなので、最初から出来るだけ規制しよう。規制ありきで物事がスタートする。という考え方である。

これは信用しないと言うよりは、「自分の身は自分で守る」という考えに近いかもしれない。嘘をつくのも、規制をするのも同じ保身の為なのだ。

この観点でギシンアンキを飲んだ後ののび太を見直してみる。世の中は悪である、誰も彼もが疑わしい、自分を騙すかもしれないと思って暮らすのは不幸かもしれないが、保身の為に時には必要な態度かも知れない。単に、普段の暮らしの中では浮いてしまうだけだ。

薬を出す前に「正直者がばかをみる世の中なんだから。」とドラえもんは言った。では、疑心暗鬼な者がみたのは「何」だろうか。このコマの後に、のび太は工事中の穴に落ちて怪我をしてしまう。ドラえもんはこのままでは命にかかわると、ある機転を利かせて素直になる薬をのび太に飲ませて事なきを得る。

性善説には、綺麗事感がある。人間は誰しも時には嘘をつく事もあるし、詐欺行為を含んだ犯罪は無くなることはない。故に後手なのだ。性悪説を指示するには、日本の社会はそこまでドラスティックにはなり切れない。先手を打つとクレームが付く。だから結局のところ、グレーというかミックスというか、バランス感覚が必要なのだ。どっちも当たりでどっちもハズレである。中道だ。

普段は、騙す人より騙される人になれを地で行くのび太。本来の彼は、情けなくも、愛おしいくもある。しかし、このコマの彼からだけは、妙なカッコよさを感じもする。これはもしかしたら僕自身の「良い人であろうとする心の裏返し」で、悪ぶって見たいという願望を投影しているのかもしれない。

ひみつ道具「ギシンアンキ」。未来の国でも、僕のように小心者が悪ぶりたい時に使う者なのだろうか。それとも先ほどの中道について考えるための教育の為の物なのだろか。

やはり、わからない。答えは闇の中でいもしない鬼を探すような物だ。

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