空の理想郷を13分で切った話

アマゾンプライムに空の理想郷が来ていた。

何か嫌な予感があってずっと避けて来たが、見もしないで批判するなんてフェアじゃない。そう思って見る事にした。

導入。

22世紀北極、そこにたくさんのタイムホールが出た時点で、すぐに「あ?タイムパトロールか?」と呟いた。すると本当にタイムパトロールが出て来た。横で見ていた家人から「うわ、ほんとだ。」と引かれた。

この辺は言うまでもない程のお約束である。タイムホールの時点でわかってしかるべきである。そしてこの話のキーが時空とそれを取り締まる法に関係する可能性が高い事をここで予感させる。というか、そうなると正直「またかい」とも思ってしまう。

だが、いかんいかん。これは新しい映画なんだ。先入観無しで見て行く必要がある。そう思うようにする。できるか?

月の形のような施設の後が、現在の太陽にオーバーラップして日常パートへ。こういう演出はドラえもん映画の得意なところだろう。リスペクトがあってとても良い。月のモチーフで言うと、ET見たいなシーンとか、アニマルプラネットの連星なんかを思い出させる。神秘的だ。

のび太の「ユートピア?」という声の後、珍しく出木杉が話すシーンからはじまり、いつものメンバーが出木杉の話すユートピアについて聞いて、それぞれの理想を話している。変化のあるはじまり方は評価できる。

例の如く、ユートピアが本当にあると思ったのび太は、出木杉にそれがどこにあるのかと聞く。しかし出木杉にそれは創作で本当には無い事を教えてもらうと、のび太はがっかりする。が、それを見て出木杉は続けて言う。もしかしたら見つかっていないだけで、どこかにはユートピアがあるかも知れないと。

それを聞いて思わずテンションが上がるのび太。饒舌に喋っていると、授業が始まる時間になってしまっていた。のび太の背後には先生がやってきて、怒られてしまう。

返ってきたテストを見ると0点だった。ママに怒られる事を想像して震えあがるのび太。帰ろうとするしずちゃんをあやとりに誘うが、テストの復習をするからと断れてしまう。

この辺のシーンはよくある導入なのでとても良いような気がする。日常からはじまって、非日常に入るのが映画の醍醐味である。まだ日常も良い所だ。

個人的にあ、いいな!と思ったのは、出木杉からの話題提供ではじまったところだ。日常なのになかなか描かれない、絶対に彼らにあるであろう自然なシーン。それを切り取って導入にする。とても良い。出木杉が読む本は分厚くて文字が多い。そして読んでいる本の内容を友達に紹介しているのって、なんか良い。彼もしっかり友達なんだなと思う。

そしてさらに良いと思ったのは劇伴、つまりBGMである。昔からのドラえもんを踏襲しつつも、現代風にアレンジされていてとても自然に感じる。そうそうそう!これこれこれ!

しずちゃんに断れた後、ジャイスネに野球に誘われるのび太。しかし、いつもどおりうまくは行かない。家に帰ると、ひみつ道具を整理するドラえもんがいた。使えなくなりそうなものは、四次元ごみ袋に入れるという。それを見て0点のテストをそれで捨てようとするのび太。

ドラえもんに遊びに行くように勧め、その間に部屋に散らかっている使えない物を代わりに捨てて置くという。この時、パピ君が乗っていた宇宙船があるのは、セルフオマージュという事なんだろう。

でも全然面白いとは思わない。という事をハッキリ言っておく。あのリメイク版は新キャラ出したのがいまだに許せない。誰だなんだお前。キャスティングの為に変なキャラを増やすな。原作をいたずらに汚したという怒りがあるので全然面白くない。全部見たけど、いてもいなくても良かっただろ。無理やり入れるからそうなるんだ。今も正直怒っている。思い出させるなよ。

ただこの流れもある。あるよね。と思った。そういうの見たことある。どのシーンだったかわからないけど。

だがその後がさらに良くなかった。この間知り合ったアメショー(アメリカンショート)の猫に会いに行くかな。と言って部屋を一旦出て行くドラえもん。すかさず0点のテストを捨てるのび太。そこにすぐドラえもんが戻ってきて、「君が親切な時は何かを企んでいる時だ」という。

部屋を出て行く前にそれに気が付いて、またそんな事言って何か企んでるんでしょ!?ってなる方が自然かなと思った。なんで最初は鵜呑みにしたんや。ドラはのび太の策略には乗らない事が多かったやろ。そういう関係性の熟成みたいな物が無くなっているようにも見えた。

その後、ダメロボット!ダメ小学生!のやり取りで騒ぎすぎてママに怒られこのシーンとしてはオチとしているようなのだが、これも何か違和感を感じる。2人の沸点がおかしい気がする。のび太もドラも機嫌が悪いの?なんか全然自然じゃない。テンポを作るためにキャラを殺しているようにも見える。怒りの感情の使い方が、とてもヘタな気がする。

漫画で言うとトゲトゲ吹き出しでしゃべってるところである。原作を読めばわかるが、トゲトゲの吹き出しはほとんど出てこない。あくまでも丸い輪郭の吹き出しが多く、滅多な事でないとトゲトゲの吹き出しは使われない。

だが、新しいドラえもんの大長編の漫画を読めばわかるが、トゲトゲの吹き出しだらけである。これがそのまま映画になっているのだろう。ここが良くない。感情ってそんなにはいきなりは動かないよ。前振りも無くなんでここで煽るの?そしてなんですぐそれでキレるの?見ている子供だってバカじゃないんだから、きっとこれ(この感情の動き)は、不自然だなぁと感じるだろう。

些細な事で喧嘩をする仲良しな二人。というわかりやすさを追求すると、視聴者をバカにしているように見える。ギャーギャーと騒いでいる。という今のドラえもん映画の悪い所が顕著に出ていると感じる。

場面転換。ママに怒られた後、裏山で寝そべるのび太。
あん?ちょっと待ってくれ。

時間軸が分からないというか、なんか変だ。今何時なの?

放課後にジャイスネと野球をやって、家に戻ってきてドラえもんと騒いで、ママに怒られて、そんでもってまた裏山に外出したの?何時から何時の話なのこれ?ジャイスネとの野球は30分もやらないで帰ったの?

というか、放課後に一旦家に帰ったんだよね?野球道具を持ってくる必要があるんだからさ。それとも家に帰る前に野球してたの?で、ワンプレーでボロボロになったからやめて帰ったの?

裏山のシーンの時間って何時くらいのつもり?小学4年とか5年生だとして午後14時30分に学校が終わったとしたら、その後15時くらいに野球してたとして、30分くらいで家に帰ったとして、ドラえもんと話をしてママに怒られて裏山に行くとして16〜17時くらいか?これが16時の光か?太陽の位置そこ?どうみても午後2時くらいじゃない?

本来これくらい出来事があると、夕暮れっぽくても良くない?なんかこういう不自然さが気になる。っていうか、シーンと時間軸が繋がってないって思っちゃうような構成になっている。これの何が悪いかって言うと、ここまでのシーンで時間が経っていないよう見えるので、長く感じるという事と、のび太の移動距離とか時間を無視した作りになっているという事が、意識しないまでも感じるからだ。不自然極まりない。

そして空に何かを見つけた!?からの「どらえもーん!」のガナリ。

そしてタイトルバックとオープニング。この状況で空に何かあれば、のび太ならどらえもーんと叫ぶだろう。

主題歌の流れないあっさりとしたオープニングの映像。がどこか既視感がある。セピア色の設計図には、あの飛べない豚の映画。のび太が操縦している構図にはなぜか大きな積乱雲、竜の巣がちらつく。

お?あれ?まさかね。
この嫌な予感が13分でこの映画を切る理由になった。

11分ごろのび太がドラえもんに、お前はガラクタばかりを出すので、飛行船なんて出せないだろう的な煽りを入れるシーンがある。

これまでも「これはドラえもんには出来っこない。」という煽りはあったので、そのシーンのオマージュなのだろうか。

ただドラえもんのキレ方の意味が分からない。ムッとするならまだしも、急に煽られたからってあんな大声で叫ぶだろうか?ジキルハイドでも飲んでるのか?ここも情緒というか、心の動きとして不自然さがある。どうしたの?のび太の煽りが成功したというシーンは話を前に進めるために入れられているのだろうが、もっと上手くそして厭らしくしてくれないと、のび太の性悪さ、ドラえもんを知っているが故の煽りみたいなものがなくて、なんか変にクソガキ感が強くなってしまっている。

というか、ドラえもんってそんなに短気でちょろいっけ?と思ってしまって何となく嫌な気分になる。

この辺でさすがに思った。苦しい。やはり無理なのだろうか。

そして13分ごろ。タイムツェッペリンを出すドラえもん。

この時のBGMが僕に、停止ボタンを押させた。
先ほど劇伴が素晴らしいと褒めたのにだ。

どう聞いてもラピュタの君を乗せての前奏というか掛かり所で流れていた感じがする。まぁ良く言えばリスペクトなのかもしれない。

だがそうだとしても無理だ。こう思った。

ドラえもんというコンテンツは同じようなテーマのジブリアニメに追随しないと作れないコンテンツなのかよ?いい加減にしてくれ。なぜオリジナルで勝負しようという映画で、わざわざ2回もジブリを感じさせるんだ。

この姿勢は変なリメイクよりもはるかに酷いと感じる。
もはや物語うんぬんじゃないレベルで無理だなと思った。

もちろん、これまでも様々なパロディはあった。でも、それってパロディです。ってわかる様にやってるよね?そしてそれって楽しかったよね?

今回のタイムツェッペリンの登場では、正直ブレしか生んでいない。ゴリアテに向かっていくドーラ一家が頭にちらつくからだ。たった数秒のそれが、そういう事を想起させる。集中できないし、滑っている。

飛行船の登場という意味で、似たようなところで言えば、創生日記で野美コンツェルンがつくった飛行船の演出はどうだっただろうか?

確認してほしい。再生時間は1時間14分ごろだ。

やはり劇伴が良い仕事をしている。特にこのマーチっぽい音楽はうなるように腑に落ちる。そして飛び立つシーンは、プロペラの効果音との兼ね合いによって音量も調整されている。そして雄大な空を飛ぶシーンではBGMはゆったりした物へスムースへ移行。全て、この映画のためのオリジナルな音源である。

そして、これが自然なワクワク感の演出だ。
理想郷を作った人達って、こういうの見てないの?

どうしても比べて考えてしまうし、すぐに思う。

このアニメとラピュタなら、僕はラピュタを見る。

というか、上にリンクを貼った創生日記を見たらいいと思う。超面白いよ。地下に虫たちの理想郷があるんや。ずーっと自然に流れて行くし。特にエンディングテーマが流れる時の映像と主題歌はマジで神ってる。エンディングの為に作られた映画。そのくらい凄い。そういう越えられない壁がそこにあるから。見てない方は是非ご覧いただきたい。

さて、このタイムツェッペリンが出て来た時のラピュタみたいなBGMもきっと飛行船の登場にワクワク・ドキドキ感が欲しいという事なんだろうと思う。この演出意図はわかる。だが、先に言うようにまるで逆効果だ。これだとドラえもんもラピュタもバカにしているように感じる。そのくらいに、あまりにヘタ過ぎる。マジで何してんの?

だからこの後、ドラえもん達にどんな冒険が待っているのかわからないけど、もう別に惜しくはないなと思ってしまった。作品の肝となるであろうひみつ道具の登場で、他の名作の力を借りようとする。ってのは全くワクワクしないばかりか、なんか不甲斐ないとすら感じた。もしかして作品に自信ない?

だからもうこの先も知らなくて良い。知りたいと思わない。そういう理由で、空の理想郷は僕の見る映画じゃなかった。

だが最後に褒めておく。

少なくとも13分ごろまでの作画と劇伴は素晴らしい。やわらかいタッチ、丁寧な色塗り、場面転換、細かい描写。生き生きと感情が表現されている。今作られているドラえもんの映像ってのは、そういう意味でとても素晴らしい。昔の物とは比べ物にならないくらいに手放しで素晴らしい。毎年、最新のテクノロジー描かれたドラえもんが見れる。これに越したことは無いのかも知れない。

作画が良ければそれはいい映画である。という方にはオススメできるかもしれない。・・・あ、もうさすがにやめておこう。

という事で。

のび太と空の理想郷は13分しか見てませんが、僕は皆さんには全くオススメしません。

そんな批判ばかりして、じゃあ何をみればいいんだ!という方は、代わりにこちらを見て下さい。前半の方の映像はあまりにも貴重過ぎるし、後半のエピソード13〜17の流れでは思っているよりもボコボコにされます。


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