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#32 科学なんて迷信を信じてるの?この魔法文明の世の中に。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
A.アインシュタイン

自分こそは常識的な人間である。

と皆が思っています。

しかし自分が常識だと思っていることでも、外から見れば”非常識”かも知れないという事が起こります。自分としては常識に基づいて行動したつもりでも、相手から見たら非常識極まりないという事が起こったりします。

一体、なぜこのような違いが表れてしまうのでしょうか。

共通であるべき「常識」についての違いがなぜ生じているのでしょう。

その答えを見出すためのヒントが、このコマの中にあるかも知れません。

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大長編ドラえもん5「のび太の魔界大冒険」 から。

もしもボックスで魔法が当たり前の世界になったのび太達。しかし元の世界でもダメなのび太が、魔法の世界で優秀な訳もありません。のび太はホウキに乗って飛ぶという”ホーキング”という初歩的な魔法も出来ないため、例のごとくしずちゃんの後ろに乗せてもらいます。その際、しずちゃんはドラえもんが使う「タケコプター」について「めずらしい魔法ね」と言います。それに対しドラえもんがこれは魔法ではなく「科学」によって作られている。という説明をした後の1コマです。

このコマの面白さは何といっても、読者の「常識」としずちゃんたちの世界の「常識」が大きく違うという事、そこにあるギャップを突き付けられた2人。にフォーカスしている点です。

「科学なんて迷信を信じてるの?この魔法文明の世の中に。」というしずちゃんのセリフからは、「ウッソー、そんなことも知らないの?」という嘲りにも似た気持ちが含まれているのがわかります。

このシチュエーションを一度、元の世界の常識に当てはめてみます。

ホウキにまたがって飛ぶドラえもんと、タケコプターで飛ぶしずちゃん。
しずちゃん「めずらしいひみつ道具ね。」
ドラえもん「ひみつ道具じゃないよ。魔法の力で飛んでいるんだよ。」
しずちゃん「魔法なんて迷信を信じてるの?この科学文明の世の中に。」

どうでしょうか、しっくりきましたか?ちょっと不思議なモノで、ドラえもんならホウキ型のひみつ道具を持っていてもおかしくないのですが、そこはご愛敬ですね。夢幻三剣士の時にも使っていたような気もしますし。

さて、是非とも目を向けていただきたいのが、背景の景色についてです。大きなビル街と東京タワーと思われる建築物があります。

全く語られてはいませんし、いつもの世界の風景と変わりませんが、このビル街やタワーも、魔法文明によって作られているという事になります。

建設・建築というのは一般的に地盤から建材、工法と実際の利用計画などを含めて細かな計算を元に行われます。それは科学的な根拠に基づくもので、なんだかわからないけど不思議な力で成り立っている。というようなものでは決してありません。

じゃあ、このビルやタワーはどうやって作ったのでしょうか。そうです、魔法の力によるものです。そう思うと、メタ的にこちらを見ているのび太とドラえもんの顔が、「ねぇ?そういう事に気が付いている?」と言ってきているかのようにも見えてきます。

この何気ないコマはギャグの為に描かれているのに、よく考えると新たに見えてくる事も出てくるのです。F先生のやり方は実に巧妙だし、常識というギャップの中で、敢えて気が付きにくくしてあるのかも知れません。

さて、当たり前のような話ですが、「常識」を語る時、ほとんどの人は「自分の判断」を基準にしています。しかし、この自分の判断とはどうやって培ったものなのか考えたことがあるでしょうか。

常識という言葉の定義について見てみましょう。

常識
社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。

常識とは社会生活の中で、こうであるべき、こうするのが普通である。という概念から発生するものであるという事がわかります。

社会の成り立ちが、常識を作るという事の様です。

本編中の魔法の世界の成り立ちを本編中から理解することは難しく、実際にどこまでの設定があるのかはわかりません。しかし少なくとも魔法の反義語が科学であり、科学の立ち位置が通常世界の魔法の立ち位置になっているという事がわかります。魔法の世界では「科学は迷信」なのです。

尚、科学と魔法の対比については、本編の冒頭で出木杉くんが解説してくれています。現在の社会は科学を取ったので、魔法は無くなったんだ。という事です。つまり今回はもしもボックスに「魔法の世界になったら」とお願いした事によって、社会は魔法を取り、科学は衰退した世界になったという言い換えが出来る訳ですね。

ここまで「世界」とか、「社会」という言葉が多く使ってきました。

実はこの世界も社会も、本当は人の数だけ存在します。

そのため、自分では常識だと思っていたことが他人には非常識になってしまう事があるのです。言うなれば、もしもボックスを使わなくても「もし〇〇だったら」という世界が、人それぞれにあるのです。

まずはそこを認識することが大事なんだな。と感じます。

これは今に限ったことではありませんが、様々な人が様々な意見を持って生きてます。なので、意見が違うからと言ってすぐ批判するのでなく、そういう常識もあるのか。と思う事が大事なのかもしれません。

意見の相違があった時、自分や相手の事を「非常識」だと決めつける事はせずに、一息ついてこのことを思い出してみたいと思います。

この「一息つく」というのは間を置くという事です。例えば、このコマにあるように、のび太とドラえもんがまっすぐにあなたの事を見つめてきている。と思うのはどうでしょうか。この2人はしずちゃんに対して間をおいていると言えます。

さらにその時、頭の中に関係のないワードを思い浮かべてみるのはいいかも知れません。これは自分に冷静さを取り戻すためのいわば、魔法の言葉です。

それはもちろん「チンカラホイ」がいいでしょう。

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