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#6 どう?うまいかおいしいか、どっちだ。・・・・・・・・・すごい!

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

そう、ジャイアンシチューは有名過ぎるし、ジャイアンの奇行ばかりが目立っており、このセリフも今更語る事なんてないと思っていた。文句なしに面白いから感銘を受けたなんて言ったら素人っぽい(素人の意味が分からないけど)

でも、僕はまた間違っていた。大変申し訳ない。

ジャイアンの奇行が際立つと言う事は、周囲をがっちりと信頼できる相棒が固めているからに他ならない。そう、スネ夫だ。

では改めて、てんとう虫コミックス13巻掲載「ジャイアンシチュー」の1コマをご覧いただきたい。

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スネ夫に与えられた答えは「うまい」か「おいしい」のどちらかでしかない。これは、ジャイアン的にはこのシチューは「うまい」または「おいしい」以外の表現が在り得ないからだ。

この考え方が重要だと考える。

在り得ないのである。俺様が作る料理が不味いハズはないのだ。

だからスネ夫がジャイアンに答えを強制させられていると思われがちだが、そうではない。ジャイアンは、「スネ夫にとっても、どちらかの答え以外は在り得ないと信じている」為に、単に答えを出しやすくしてあげているのだ。これはジャイアンのスネ夫に対する信頼と友情だと思えた。

ひと口食べたスネ夫は間を置いている。

もちろん、ジャイアンシチューが不味いからだ。だが、脳はフル回転しているんじゃないだろうか。

十分すぎるほどに間を空ける。三点リーダーを3つ分。これは言葉を飲んでいるからだ。「不味い!」とかF先生風に言えば「オエー!」という言葉を飲んでいるからだ。

のび太、ジャイアン、スネ夫の関係性は人間性の縮図だ。誰にでものび太っぽさ、ジャイアンっぽさ、スネ夫っぽさが存在する。

彼らの持つ側面は決してこれだけではないが、あえて述べるとしたら、のび太っぽさとは、幼児性。ジャイアンっぽさと言うのは、暴力性。スネ夫っぽさと言うのは、狡猾性。と言えるのではないだろうか。

自分の子供っぽさは、のび太っぽいかもしれないし、荒々しさや傍若無人さはジャイアンっぽいかもしれない。そしてずる賢く考える様は、スネ夫っぽい。そんな風に当てはめる事が出来るかもしれない。もちろん、それぞれの持ついい面も皆が兼ね備えていると思う。

スネ夫にとってのこのシチュエーションを考えてみる。

恐れていたジャイアンシチューを、ついに口に入れなくてはいけない瞬間が来た状態である。そしてそれは想像を絶する、言葉の出ないような味。まるでそれは、味覚に襲い掛かる猛烈な「味の暴力」。

しかし、ジャイアンの死の問いかけはすでに投げられている。まさに前門の虎、後門の狼なのだ。

だから、スネ夫は嵐のように混乱する頭の中で探し出す。

ジャイアンの機嫌を損ねず、それでいて嘘ではない言葉。

それが、

「・・・・・・・・・すごい!」

完璧な言葉の選択である。

ジャイアンシチューの味は、「・・・・・・・・・すごい!」のだ。うまいとも、まずいとも言わなかったのだ。

前門の虎と後門の狼の間で、狡猾な狐はうまく立ち回ったのである。

これ以外の言葉の選択はない。言い換えれば、これ以外にスネ夫と言う人物が発しそう言葉は存在しない。そういう意味での完璧さがここにある。これもF先生のキャラクター理解の深さであろう。


さて幸いにも僕は、藤子F不二雄ミュージアムで「ジャイアン心の友シチュー」を買って食べた事がある。

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これだ。

でもこれを食べた時に言わなくてはいけないかったのは、「そりゃあ、美味しく作ってあるよね。製品だもの」等と言う、面白くもなんともない言葉ではなく、「・・・・・・・・・すごい!」であったと言う事に今更気が付いた。

ドラえもんにゆかりのある物・事をやるのならば、きちんと原作を読んで、どうリアクションするべきなのかを復習してから行う事。

そうじゃないと、ジャイアンにぶん殴られるかも知れない。

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