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「天気の子」と気候変動と私たち

7月19日に公開された新海誠監督の最新作「天気の子」を少し遅ればせながら夫婦で観てきた。

すでにご覧になった人は分かるだろうが前作「君の名は。」とは違い、鑑賞後に手放しで「よかったねぇ〜!ハッピーエンドだねぇ〜!」と言える映画ではない。その分、観た者に大きな問いを投げ込んでくる映画になっている。

「君の名は。」と比べ「社会現象」と呼べるほどの話題になっていないのは事実だが、老若男女が劇場に訪れる超メジャー級国内映画として「興行的な成功」にひとつの線引きをして、社会にアジェンダを投げかける映画を制作した点は十分に評価されるべきだと思う。

「天気の子」を鑑賞後は、ひたひたと自分の中に「考え」が押し寄せてくる。そんな力のある映画だと思う。

「天気の子」を語る場合「セカイ系作品としての評価」や「ポリティカルコレクトネス」、「帆高少年の奇行」などいくつかの論点はあるが、このnoteでは物語の土台になっている「気候変動」の部分で勝手に考察をしてみたいと思う。

「天気の子」は気候変動を前提とした画期的映画である

まず、僕がこの映画を観に行くきっかけになったのは「UNLEASH」のこの記事だ。『世界で注目される「気候危機」へのメッセージを込めているように受け取ったからだ。』とモリジュンヤさんが紹介している。僕も映画を実際に鑑賞してみて、まさしく同様の感想を得た。

実際、新海誠監督は様々なメディアのインタビュー記事でこう語っている。

「天気の子」の企画書を出したのは、「君の名は。」から半年後。(略)今、地球で気候変動が現実のものになってしまったことについて。僕たちは子どもの頃からずっと「温暖化で気候は大変なことになるよ」って言われていました。でも子供心に「なんとかなるのだろう」と思ってやりすごしていましたが結局、僕たちはそれを変えることができずに、(温暖化を)止めることもできなかった。自分たちも責任の一端を担った上で、本当に気候は変わってしまった。これから先も、人間にとっては快適じゃない方向に気候は変わっていくだろう……。そんなことを「君の名は。」を作っているときに感じていました。(引用:mainichi.jp)
映画の公開前までは、「天気は地球規模の巨大な循環現象なのに、個々人のメンタルやフィジカルに影響を与える面白いテーマだから」と説明していました。でも実をいうと、もう少しストレートな理由があったんです。それはやっぱり、“天気と人間の関係”が変わってきたということです。これまでもぼくは作品の中で、梅雨や紅葉といった日本の美しい四季を意識的に描いてきました。しかし、『君の名は。』以降の数年間で、季節や天気が「情緒的で心地よいもの」から「何か備えなければいけないもの」に変わった気がしたんです。(引用:NEWSポストセブン)

前作「君の名は。」は、東日本大震災以降の「ポスト3.11 時代の私たちの感覚の変化を反映している映画」であると監督は語っているが、今作「天気の子」はインタビューからも分かる通り「異常気象や気候変動についての私たちの感覚の変化を反映している映画」なのだ。これは、現代のエンターテイメント作品として大変画期的であると思う。

ここまで読んで「おやおや、そういう映画だったのかい?」と思う僕の友人は、ぜひ映画館に足を運んでもらいたい。

さてここからは「天気の子」と「気候変動」に関する僕の"勝手な"解釈つきの話をしていきます。ネタバレも含まれるので、鑑賞前の方はご注意お願いします。


帆高少年の振る舞いから考える「私」と「天気」の話

「気候変動」を題材にするからには、その問題に対して監督から私たちへの「メッセージ」が含まれていると考えるのが妥当だ。

そして、そのメッセージを一身に受けているのが主人公の少年・帆高だろう。

帆高は作中、一貫して純粋であり、一人の女性(陽菜)と共にいるために行動を続ける。

陽菜、凪くんとの生活を守りたいという一心で始めた「晴れ女」サービスは、一時的な成功を収めるものの、その代償として陽菜が次第に透明になって消えていってしまうことや、さらなる異常気象を呼び起こしてしまうことにつながる。

その後も、警察に追われようが、東京が雨水の底に沈んでしまおうがおかまいなしに、彼の信条を貫き通す。

冷静な観客の視点で帆高の振る舞いを見ていると「おいおい、キミのせいで世の中がどんどん大変なことになっているぞ」と思ってしまう。

しかし、この帆高こそ「私たち」のことではないだろうか?

帆高のように「個人」として目の前の問題に対処しているつもりが「全体のシステム」では望ましくない結果につながってしまう。そんな現象は、私たちの現実の世界でよく起きていることだ。まさに、気候変動がそうであるように。

ここで、先に紹介した監督のインタビューを再度引用しよう。

僕たちはそれを変えることができずに、(温暖化を)止めることもできなかった。自分たちも責任の一端を担った上で、本当に気候は変わってしまった。

監督は、自分の意思や信条を優先する帆高を描くことを通じて、個人の個別の行動が、それが意図したものではなくても、地球環境のような全体のシステムに影響を及ぼし「責任の一端を担ってしまう」ということを伝えたかったのではないだろうか?

気候変動は、誰も望んでいることではないのに、個人による個別の行動を通じて進行していってしまう。そして、いつしか後戻りをすることができないような全体のシステムの変化が起きてしまう。

しかしながら作中、帆高をことさらに責める気持ちは生まれない。なぜなら彼は、彼自身の人生を一生懸命に生きているだけなのだから。どうしたって咎めようがない。

この絶妙なバランスを通じて「個別の行動」と「全体のシステム」を調和することの難しさも、作中では同時に描いているように感じる。

そのように勝手に解釈していると、予告編でも印象的に出てくるこのフレーズには、監督自身の気候変動の現状への「諦め」にも近い想いが含まれているように思えてくる。

あの夏の日、あの空の上で 私たちは世界の形を決定的に変えてしまったんだ


「人新世」の私たちの振る舞いについて

帆高が陽菜を救い戻した後、東京には3年間止まない雨が振り続け、都市ごと水没する。そして、帆高は地元の島の高校を卒業し、またフェリーに乗って上京を果たす。

その後、気になるワンカットのシーンが2つある。

1つ目は帆高が眺める雑誌の誌面に記されたキーワード「アントロポセン」。

2つ目は帆高が進学したと思われる「東京農工大学」。

「アントロポセン」とは「人新世」と訳される「人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えている地質学上の新しい時代」のことだ。オゾンホール研究でノーベル賞を受賞した大気化学者パウル・クルッツェンが提唱しはじめ、その新しくも不名誉な時代の考え方は世界に広がっている。

(ちなみに、人類が現在繁栄できているのは1万1700年前に始まった「完新世」という気候的に穏やかな時代のおかげだ。その一個前の「更新世」は氷河時代のことだ)

この「アントロポセン」というキーワードを、監督がワンシーンで挿入したのは帆高が「人間(ないしは、自分)が地球環境に重大な影響を与えたこと自認している」ことを示すためだろう。

天気の巫女の伝説を語るじいちゃんが「異常気象は今に始まったことではない、大昔にもあった」という話をしたり、また盆の送り火を一緒にした富美さんが「江戸そのものが海の入り江だった、だから元に戻っただけ」という話も出てくる。

しかし、帆高は自らの経験からこの目の前に広がる光景は「人間(ないしは、自分)がこの状況を生み出している」と理解し、受け止めているのだ。

だからこそ、進学する大学に「東京農工大学」を選ぶ。

最後にいきなり実在する大学が出てきて「なぜこの大学?」と思った人も多いだろう。調べてみると、東京農工大学には地球環境を学ぶ学科が設置されており、映画の文脈から考えるにこのどちらかに入学したと考えられる。

環境資源科学科
生物学、化学、物理学、地学、数学などを基盤とし、環境と資源の問題に科学のメスを入れる 「地球の医学」を学びます。地球レベルのマクロな世界から微生物や分子レベルのミクロな世界まで、人間を取り巻く“環境”の研究を通じて、環境問題の解決や循環型社会の構築に貢献します。
地域生態システム学科
森林、農村、都市などを含む空間をひとつの「地域」として捉え、そこに広がる生態系や生産・社会に着目した新しい研究を展開。自然環境と人間社会の生産活動が共存する地域環境空間の設計に挑戦します。


つまり帆高は、陽菜の力を借りることなく、自分の力で目の前の環境問題に向かうことを決めて、歩み始めているのだ。

先述の考察のように帆高が「私たち」を投影した存在だとするのであれば、この帆高の振る舞いは「私たち」が決定的に変わってしまった地球環境を前にして、ようやく現実を認め、行動しはじめるという監督の「願い」を描いているのかもしれない。

日本でも昨年の西日本豪雨などの気候変動の影響は確実に目に見えるようになってきている。

作中では沈没してしまっている東京を前にすると「もう手遅れやろ」と思ってしまうところだが、わたしたちの現実はまだ「手遅れ」ではないことは事実だ。

今こそ、帆高のように私たちは現実を受け止め、手遅れになる前に、自身の歩みを変えていく必要があるのではないだろうか?

「自分たちも責任の一端を担った上で、本当に気候は変わってしまった。」と語る新海誠監督による、映画を通じたわたしたちへの「願い」が含まれているはずだ。

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というわけで、長々と「気候変動」という観点から「天気の子」を勝手に考察してみました。

勝手な推察などが多分に盛り込まれているので、話半分で読んでくださいね。それではまた〜!

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