『亀のはなし』
私の父の故郷は、北海道東の女満別という町である。
香川県から入植した祖父と、途中山形で連れ添った祖母が、十二人の子をもうけた。
父はその十一番目なので、ずいぶん可愛がられただろう。
その頃の、開拓農村の話を聞くと、興味が尽きない。
より年長の伯父伯母に聞くことができれば、もっともっと、いろんな話があるだろう。
楽しいことも、切ないことも、父より、知っているだろう。
伯父伯母は、年齢順序に関わらず、次々と亡くなっていく。
そう! 亀の話だ。
父のすぐ上の兄、ノリヨシは洒脱で物知りで、私の大好きな伯父である。
健在である。
このノリ伯父と、私の父は、いつもいっしょに遊んでいたらしい。
とはいえ、水汲みや、麦踏みや、乳搾りなどなど、農村としての労働も、もちろん、しただろう。
そう! 亀だった。
二人が大事にしていた小亀が、あるとき、桶から逃げ出したそうだ。
必死で探したがいない。
塀もなにもない丘である。
黒澤明が『夢』の中で、ゴッホを置いた、あの美しい丘が、女満別だ。
家があり、鶏が歩く地面があり、畑があり、牛舎があり、馬小屋があり、犬らがいて、猫らもいる。
亀、どこへ行ったのか。
亀は、けっこう、いなくなるものだ。
数年後、誰かの嫁入りだったのか、押し入れを大掃除すると、そこに、亀がいたそうだ。
四十センチとは大げさだと思うが、話半分でも相当に大きい。
「カメは埃を食ってでも生きるんじゃないのか」
というのが、ノリ伯父と父の結論だったそうだ。
いま思うに、亀はおそらく、好き勝手に歩いては、ビール麦や小麦の落ち穂を食ったり、小川の小魚やザリガニを食ったり、埃どころか、そうとう自由に成長していたんではないだろうか。
てんでまとまりのない文章を、連想しながら勝手に書いているだけです。 たまに霊感が降りて、意味ありげなことも書けたらいいなと思っています