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関係の終わり『フォスフォレッスセンス』


「別れる、と言って。」
「別れて、また逢うの?」
「あの世で。」
とそのひとは言ったが私は、ああこれは現実なのだ、現実の世界で別れても、また、このひととはあの睡眠の夢の世界で逢うことが出来るのだから、なんでも無い、と頗るゆったりした気分でいた。

『フォスフォレッスセンス』太宰治

親友、友達、家族が死ぬ夢をよく観る。
恋人が去る夢もよく観る。
追いかけられる夢も何度も観てきた。

夢見が悪い。

目が覚めたときには、夢でよかったと思う。

「別れる」という言葉を何度も飲み込んできた。
その決断をすることを悩む時点で後悔をする。

決めるということは、行動に責任を持つことだ。
自分で選ぶということは、正解にするということ。

そう思うと、簡単には言葉にできない。
頭の中では何度も何度も考えてきた。

恋人の不思議は
「別れよう」と関係に終わりを告げること。

友達も、家族にも「別れよう」という
関係の終わりを告げることをわざわざしない。
何となく疎遠になることがあっても
さようならを告げるのは恋人との別れだけだ。

別れようと告げた瞬間に、最も近い人間が
他人になるんだから、すごいことだと思う。

あれだけ、好きだとかなんだとか言っていても
結局は、終わる関係もある。

こんなことを思ったのは、誕生日のせいだろう。
もう、思い出すこともないと思っていた人。
それでも、時間を共有したひとが少しだけマシな
人生を生きていたら良いと思った。

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