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テープの先のゴール『虚構の春』


その自信を持たしてくれるのは、自分の仕事の出来栄えである。循環する理論である。だから自信のあるものが勝ちである。

『虚構の春』太宰治

さて、この言葉を引用するのはこれで2回目。

でも、前回とは状況が異なる。

これをしないといけない、あれもやらないと。
タスクばかりが増えていく働き方は悪くない。

けれど、学生の頃に思っていた
「歯車みたいになりたいくない」といった
自分に嘘をついているような気分になる。

歯車のように働くことは悪いことではないし
そういう働き方も必要だということを
社会に出て知った。

けれど、それが何を動かす歯車なのか
それは自分で決めるべきだと思う。

何かを進めようと思ってもできないのは
「行動に、自信を持てないから」
「責任を持つことが怖いから」という
なりたくない大人に近づいている自分がもっと
嫌いになるから「仕事の出来栄え」にも
誇りを持つことができなくなった。

過去を見るより、今を見て、未来を見ることしか
意味がないということを頭ではわかってても
過去を言い訳にしてしまった方がラクであると
人は知っているのかもしれない。

でも、「循環する理論」を考えたら
昔できなかったこと、苦手だったことで
自信をなくして後ろ向きに生きているうちは
決して、「自信もつかない」だろうし
「仕事の出来栄え」に誇りを持つこともできない。

つい先日、聞いた言葉を思い出しながら
最近は溢れる仕事に向き合っている。

「100mを全力で走るためにはどうするべきか」
という問いにたいして

「200m走った地点にゴールを置けばいい」

というのは、分かるけれど実行するのは
すごく難しいことだと思った。

私が憧れていた自分になるために必要なのは
「自信」と「誇り」と「努力」だということは
この1ヶ月で随分見えてきた気がする。

コンフォートゾーンで生きている限りは
ずっとこのままだということを理解している。

次に進むために勝負をかけるのは今だ。
そう思って進むしか道はない。

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