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一日の労苦

一日の労苦は、そのまま一日の収穫である。
「思い煩うな。空飛ぶ鳥を見よ。播かず。刈らず。蔵に収めず。」

『一日の労苦』太宰治

土曜日・日曜日とかなりの時間仕事をしていて
疲れて眠ってしまった昨日。

毎日、毎日頑張ってるつもりではいるけれど
これから先、3年・5年後何になるんだろうと
ぼんやり悩むことが多い。

そんなときに思い出すのは『一日の労苦』に
出てくる「聖書」の中にあるマタイの福音書から
引用したこの言葉。

卒業論文で太宰の研究をしていたときに
太宰作品には多くの聖書が用いられていて
中でも最も引用をしているのが
「マタイの福音書」だった。

「思い煩うな。空飛ぶ鳥を見よ。播かず。刈らず。蔵に収めず。」

この言葉自体からは、思い悩まない生き方が
「幸せ」に繋がっていることを教えてくれているが
重要になってくるのは、このあとの文章。


鎖につながれたら、鎖のまま歩く。
十字架に張りつけられたら、十字架のまま歩く。
牢屋にいれられても、牢屋を破らず、
牢屋のまま歩く。
笑ってはいけない。
私たち、これより他に生きるみちがなくなっている。いまは、そんなに笑っていても、
いつの日にか君は、思い当る。
あとは、敗北の奴隷か、死滅か、どちらかである。
言い落した。これは、観念である。心構えである。
日常坐臥は十分、聡明に用心深く為すべきである。

ここに太宰の作品の本質がある気がする。
感じたことをそのまま表現していくということは
今の時代よりももっと厳しく大変なことであり
それでも、「敗北の奴隷」として生きることより
「心構え」をもって生きていたことを証として
残している作品の一つであると思っている。

焦ることよりも、自分がどうありたいのか
それがどんな意味があるのかを考えて生きたい。

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