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不条理と自殺から生き延びるために

 みなさんは自殺したいと思ったことはありますか? 詳しい調査についてはは分かりませんが若年層の3人に1人は自殺を考えたことがあるみたいですね。ちなみに私は大学4年生なのですが、そのように思ったことは一度もありませんでした。

3か月前に躁鬱病を発症するまでは。

今回は現代社会に生きづらさを感じている人々に向けて私が躁鬱病(双極性障害)から来る自殺未遂の数々を乗り越えた方法を参考に「生きやすい生き方」を生意気にも説いていきたいと思います。

 私が最初に躁鬱病の症状自覚したのは2024年の3月中旬でした。きっかけは就活中に第一志望の企業の一次選考で無残にも落ちたことでした。その他にも私は当時サークルの幹部や学生団体の幹部をやっていて、それらの雑務と平行して就職活動をするという状況に耐え切れなかったのだと思います。その面接は面接官の態度から私が落とされることは明らかで、「ハイ、もういいですよ」と冷たい笑みを浮かべながら送られたことがひどくショックだったことを覚えています。

 面接の帰りの電車から私は自分は本当はどんな人間になりたいのか、どんな社会人になりたいのか考え続けていたような気がします。実は企業の面接を通して落ち込んだことは他に何回かあって、そのうちの1社に「君はもっと『働くこと』とは何か考えた方がいい」ということをよく思い出していました。私は文系なのでもともと営業職を中心に面接を受けていたのですが、よく考えてみれば自分は「顧客の課題解決」とか「社会貢献」とかに全く興味が無く、今までの就活はただただ純真な子供のように自分が「いい人」だと思った人に着いて行き、給与や福利厚生というお菓子に釣られて誘拐されて「自分の道はこれしか無い」という自己欺瞞をしていたに過ぎなかったのだと気づきました。そして、最終的には自分の力でビジネスができるようになるために、昔から興味のあったプログラミングを学んで、フリーランスとしてや経営者として働いてこう。そう考えついた瞬間、それまで1か月ほどあまり眠れなかったのに急に眠気に襲われてそのまま寝てしまいました。

 そんな答えめいたものを思いついても現実は良くなったわけではなく、翌朝起きた時には布団から出られなくなってしまいました。その日はサークルの練習がありましたが欠席連絡を入れ、何とか昼過ぎに布団から潜り出て溜まってしまっているメールを返信しようとパソコンに向かってみても手が震えてきて、怖くて涙が出てきて一行にできませんでした。

 何とか気を紛らわそうとキャンパスノートに自分の思いの丈を全てぶちまけようとしました。文章にもならない自分の感情や、当時聴いていた音楽の歌詞などを滅茶苦茶に書く中、最後には

 逃げないこと、相手を理解すること、理解すること…

こう書いているうちにひどく眠くなってきて、ただの床に寝転んでまた寝てしまったのを覚えています。

 次の日もひどく憂鬱でした。そりゃあ返すべき返信もできて無いですからね。何とかその日はサークルの練習に出かけましたが、朝の満員電車に揉まれる中で吐き気を催してきて、そのまま知らない街の駅で降りてしまいました。結局その日も欠席連絡を入れ、気晴らしにでもとその街をプラプラと彷徨っていたのを覚えています。その日はよく晴れた土曜日で、家族連れの親子が公園で遊んでいました。私はそんな中を宛ても無く歩き続け、途中で座って考え込んだりすることしかできませんでした。お昼時までそんなことを続け、コンビニでサンドイッチを一つ買って半分ほど食べ進めてみても吐き戻していました。

 そんな昼下がり、私は散歩していて偶然見つけた「〇〇メンタルクリニック」の看板を見つけ、勇気を出して入っていきました。「多分まだ鬱病じゃないけど早めに看てもらおう」そんな気持ちでした。当然多くの心療内科は予約制ですから、看護師さんに少し怪訝な表情をされ、2時間ほど待合室で待っていたと思います。途中で気を効かせてくれた看護師の方に自分の症状を伝え、医師にも症状を伝えたところ「鬱病一歩手前ですね」と言われ、抗鬱薬を処方してもらいました。

 そうして、自分がやるべき仕事は少しづつ周りに頼り、就活も中断して療養するようになりました。1日1人くらいしか人に連絡が出来なかったのですが、自分の症状を素直に伝えるとみんなすんなりと自分の仕事を引き受けてくれました。自分は罪深い人間だと思っていた分、周りの配慮には助けられました。そうして、調子が悪い時は一日中眠り、調子がいい時は朝に散歩に出かけて、などをして過ごしていました。

 鬱になって3週間が経ったある日私は鬱のために先延ばしにしていたタスクを済ませようとカフェにいたのですが、そこでどうしようもなく心拍数が上がり、居ても立っても居られなくなって今までは開くことすら億劫だったLINEやメールを開いてバンバン返信をしまくりました。その勢いは夜になっても収まらず、2年間動かしていなかったXのアカウントでつぶやきまくり、それでも抑えきれずに深夜1時にカラオケ店に出かけて夜通し歌い続けていました。

 それから3時間ほど寝て、次は今まで中断していた就活をしようと思ってITエンジニア用のエージェントに登録し、そこでプログラミング未経験者はある程度のITスキルを習得することが必要と知った私はプログラミングスクールに申し込み、十万円を超える入学金の支払いまで済ましてしまいました。入学までに数日あり、プログラミングをするためのパソコンの調子が悪いと思った私は即座に電機店で新型Mac Bookを買い、入学をしてからは夜は寝ずにカリキュラムを進め、朝方に3時間ほど寝てスクールに出かける生活を続けていました。躁状態特有の電話を色んな人にかけまくることもしましたが、私の場合はプログラミングという集中する対象があったために電話をかける頻度は少なかったです。ただ一度話し始めるととめどなくしゃべって気持ちよかった記憶がありますが、周りには迷惑をかけたなと後悔しています。

 私が鬱病ではなく躁鬱病者として治療を受け始めたのもこの時期です。この時は明らかな軽躁状態とは言えこの異様な気分の上がり幅を奇妙に思っていたためです。私は予約していた心療内科で全てぶちまけました。小学校の授業中はよくふざけて先生に叱られていたこと、高校で吹奏楽部にいた時にポップソングをやるときは決まって前に出て何かしらのパフォーマンスをしていたこと、大学に入学した1年生の前期に何個もサークルに入って夏頃には破綻したこと、当時のTwitterで過激なツイートを繰り返して学部の何人かの人々から反感を買ったこと、しばらく経って激しく後悔して夜も眠れずにツイートを全て削除したこと…

 このように、鬱になるまでの忙しい日々で忘れていたことが次々と思い出されました。ああ、幼少期には小さく、穏やかだった気分の波が暴風に吹かれ続けてついに防波堤を破ったのだと思いました。そのまま私は双極性障害と診断され、治療薬のリチウムと睡眠薬を処方してもらいました。

 そんなことを冷静に考えているのも束の間で、自分の全能感の内に色んな考えが頭の中をめぐってきて、同じく躁鬱病を患っていたカート・コバーンのように自分は天性のセンスとバイタリティでなんでもできるのだと思い、同時に自分はあのカートと同じ境地に立ったのだという高揚感に酔いしれていました。

 そんな時期も長く続かず、躁転から2週間ほどで再び鬱に陥りました。いつもなら朝方に寝て、自然と昼前には起きるのに、その日はずっと眠たくて、そのまま夜まで寝ていました。昼過ぎにスクールの人と面談を入れていたのに、それも寝過ごしてしまって、後から謝罪とリスケジュールの連絡をするにも億劫で何も動けなくなってしまいました。数日経って手元に残ったのは何件もの未読メッセージ、Mac Bookの請求書、その他諸々の契約してしまったサブスク料金などだけ。

 何というか、最初に鬱になった時は色々な人に「約束」や「借り」という借金を作り続けて、返済ができなくなって自己破産をした感じでしたが、今回は特に理由もなくクレジットカードの利用金額を一千万円から突然千円に下げられて利用停止させられたような感じです。そんなことは現実には起き得ない不条理ですが、躁鬱病とはそういう病気なのだと思います。

 そこからは一転して私は自分の不能感に苛まれることになります。軽躁状態の頃に一生懸命やっていたプログラミングスクールにも行くことができなくなりました。一応内定を貰っている企業はあったのですが、

「そこに入社しても自分はまた鬱になって辞めるかもしれない」
「そうなったら今度こそ完全に無職になってひきこもりになってしまう」
「もし食えなくなったら実家の世話になることはできないし、自殺するしかないな」
「いやどうせ死ぬんだから今死んでも問題は無いだろう」

そんな思考回路で毎日過ごしていました。前に処方してもらった抗鬱薬を見れば衝動に駆られてオーバードーズして吐き戻し、刃物を見る度にそれを手首の動脈や頸動脈に押し当てようとしたり、焦燥感に駆られて外に飛び出しては車通りの多い歩道橋の上に立ってみて30分ほど立ちすくすことがしばしばありました。

 そんな中、私は部屋にあった1冊の本に目が留まりました。それは坂口恭平氏の『躁鬱大学』でした。もともと気分の波が激しかったため大学の書店でふと買ってみてそのまま放置していたものでした。買った当時は本書の中で度々発せられる「われわれ躁鬱人は~」というフレーズに辟易し、「自分は本当に躁鬱病ではないから…」と思って読むのを辞めてしまったものでした。

 しかし、本当に躁鬱病になった今は驚くほどすらすらと読める。本書で言及していることは全て自分のことについて喋っているような感じがして、ひどく面白く読みました。私は読書をする時は自室では集中できず、大抵
は伝やか図書館でしかしのですが、不思議と1日で全て自室で読み切りました。その日はよく晴れていて、恥も惜しまずベランダに出て日を浴びながら、スマホを見ながら忙しそうに歩く人々を見下しながら読んでいたのを覚えています

 何だか読書感想文みたいですが、中でも私は次の一節が印象に残っています。

資質に合わない努力はしないのが良さそうです。「きちんと」とか「ちゃ      んと」とかは窮屈になるから駄目です。

坂口恭平『躁鬱大学』,新潮社,2023,p61

そう、私は我慢をして何かを「やり遂げる」ということが極端に苦手だったのです。思い返せば、自分が成功した、成し遂げたことは全て「楽しいから」続けていたものの先にあったのです。逆に、自分の性分に合わない背伸びをした時に鬱の原型があったと思います。生来からアイデアマンでしたから中学・高校と部活動では部長を務めており、大抵は自分のやりたいことを打ち立てても顧問や周りの同期に反対されるか怒られる度にふさぎ込んで、年度始めの威勢の良さから尻すぼみ的にやる気を失って最終的には自分が見下したような「つまらない人間」になるのがオチでした。自分には自分の意見をやり通すカリスマ性も強靭な精神も持ち合わせていなかったのです。ある企業の面接で面接官から「君って飽きっぽいでしょ?」と嘲笑されて落とされたこともありましたし、今まで落とされた企業にも知らずのうちにそのような印象を与えていたと思います。

 そうです。社会は「自分を貫き通す論理性や力強さ」と「周りと協調すること」の両方を強く要求してきます。それ自体悪いことだとは言いませんがどうしてもそれに着いて行けない人々が出てきます。ひきこもり、精神疾患患者、発達障害者など、私を含めたそのような人々は自分が産み落とされた不条理な世界と、自身の呪われた生を憎むのは自然なことでしょう。

 さて、このように私は自分の苦手なこと、得意なことを理解することを通じて自分のいいかげんな生き方も肯定できるようになります。まず私は坂口氏の影響から絵を描いてみようと思いました。近所の文具屋で色鉛筆とスケッチブックを買ってみて、PinterestというSNSから拾った題材の模写をすることから始めました。最初はカート・コバーンを鉛筆で模写してみたのですがそれだけでもなかなか楽しいです。薄く鉛筆で陰影をつけて指でこすってみたりしてみるとそれっぽくなりますし、逆に素人にとって髪の毛をリアルに描くことは難しいです。今度は色鉛筆でデヴィット・ボウイを描いてみると、ただ人肌を肌色(うすだいだい色)に塗るのではなくて黄色にオレンジや朱色をうすーく塗り重ねていくとそれっぽくなって楽しかったり、人肌に適当に紫なんかを混ぜてみても薄く塗れば馴染んできていいなと思って楽しむことができます。

 そうしているうちに、だんだんと死にたいなんて気持ちは薄れてきました。「今日は本を読んだり絵を描いたりして楽しかったし、明日は図書館で~を読んで…を描いてみたいな」と、「ちゃんとやらなきゃいけないもの」を全て放棄して享楽にふけることを通じて生きることを肯定的に捉えることができるよおうになったのです。

 このように、私は自らの生き方に「豊かさ」を持つことで不条理と自殺企図を乗り越えてきたのだと思います。そして、生きる上の「豊かさ」とは「気持ちいい」と感じられることをいかに多様に持つことができるかということだと思います。私のように絵を描いてみてもいいですし、近所の図書館で小説やエッセイを読んでもいいでしょう。新しい音楽を聴いてみたりするのも良いですね。その場合「みのミュージック」というYouTubeチャンネルが大変おすすめで、古今東西のロックミュージックの入門動画などを通して音楽に触れてみてもいいでしょう。

 大切なことはこれらのことに「意味」や「価値」を見出そうとしないことです。真面目な人ほど自分が為すことに意味を見出そうとしますよね。例えば私のように絵を描くことが好きな人は「美大に行って画家になってみたい」とか、ゲームが好きな人は「eスポーツ専門学校に行ってプロゲーマーになる」と思うかもしれません。けれども画家として、プロゲーマーとして売れるのは一握り、美大生も大抵は一般企業に就職します。好きなことは意味も無くやるから楽しいわけで、自分の絵やゲーミングスキルを通じて人々に感動を届けたいとか、沢山稼げるようになりたいとか考えると途端にやっている人自身も、その人の行為自体もつまらなくなります。

 こう言うことで思い出すのは高校2年生の時、担任に個人面談で詰められたことです。部活ばかりやって成績が悪かった私を担任は「プロの音楽家にならないのに何でトランペット吹いてるの?」「自分の進路に向けてそれに見合う努力が無いなら大学に行く資格無いよ?」という風にです。そういうことじゃないんですよね。私がトランペットを吹くことが好きなことと、大学で専門科目を研究したいことは全く別のことだったんですよね。

 今は少し鬱なせいか自分の不幸話みたいなのがどうしても多くなりますね。けれども私は今回登場させた人々を恨んでいるわけではありません。特に企業の面接官の方たちは選考から落とす就活生に気持ち良く帰ってもらった方が遥かに効率が良いわけで、「君はもっと『働く』とはどういうことか考えた方がいい」というお説教を賜った面接官も、「君って飽きっぽいでしょ?」とおっしゃった面接官も、私が就活生として、社会人として生きる上での伸びしろがあると思った上で言って下さったのだと思います。ところで、日本語には「お気持ちだけ頂く」という良い言葉がありますよね。正直言って私はこのような人々のご指摘を受け入れ難いのですが、皆さんも、そういう場面に出くわした時はその人たちの「お気持ち」だけ頂いて、その場は従ったフリをして言われたのとの内容には従わない方が良さそうです。毒も喰らい、栄養も喰らう。そういう清濁併せ呑む姿勢は大事ですが毒を喰らいすぎて具合を悪くするのは本末転倒です。

 自殺の根本的な原因はこれまで触れてきたような「人生や生き方に意味や価値を見出そうとする姿勢」にあるように思えるのです。例えば職場でも学校でも、いじめが原因で自殺をする人がいます。これは思うに、いじめによる身体的な苦痛や、承認欲求が満たされていないことによる苦痛以上に、その苦痛や苦境に物語的な意味を見出すことによって自分の首を絞めてしまっているのです。「この苦痛を乗り越えた先にはきっといいことがある」そう思って毎日過ごしていても一向に状況は良くならず、ある日気疲れを起こして自殺してしまうのです。喩えるなら暗い洞窟の一つの光を出口だと思って登っていた途中でその出口が塞がれてしまった時、文字通り「絶望」してしまうのです。

 そう思うよりは、最初からこの世に産み落とされたことはすなわち暗く出口の無い洞窟に閉じ込められたものだと思って、「出口」という「意味」なんて無に等しいものだと思った方がいいのです。「努力は実る」とか「大人たるもの~しなければならない」とかいった言説は宗教的な価値観や各種メディアによる刷り込みによる価値観に過ぎません。テレビも「言論の自由」を掲げますが、スポ魂ものの物語的な努力譚をコメンテーターが無条件に称賛し、ひきこもりやフリーターをさも社会悪かのように取り扱うのが本当に言論の自由なのでしょうか? 陰謀論ではありませんが、伝統的な価値観というものはそういう風に潜在的に刷り込まれていて、それが「当たり前」なんです。

 幸いなことに視野を広げてみるとこの洞窟の世界には出口の光と思しきもの以外にもヒカリゴケのように光るものが豊富なようです。ネット動画や各種SNSも良いですが、たまにはそのような性急な娯楽ではなく本を読んでみたり昔の音楽を聴いてみてもいいと思います。嬉しいことに現代は二千年以上もの歴史の中の書物にアクセス可能ですし、音楽も三百年以上前のものにアクセス可能です。どうしてもお金が欲しいならば働きにでても良いと思いますし、その場合は「晴耕雨読」というように労働は労働と割り切って決して余暇に労働やそれらしきものを持ち込まないことが肝要です。「人生に意味はある」「社会人たるものちゃんとしなければならない」という伝統的な価値観こそが「認知の歪み」です。

一緒にこの暗い洞窟の中を探検していきましょう。命尽き果てるまで。


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