坂口恭平と福沢諭吉
相変わらず鬱や身体症状が辛い。ずっと横になっているのもマズイと思い、昨日はブックオフに行った。もう行くところといえば、本屋かブックオフしかない。他にどこか行けるところがあればいいのだけど。太宰治の『人間失格』と『走れメロス』、福沢諭吉の『福翁自伝』と『学問のすすめ』を買おうかどうか迷ったがやめてしまった。太宰治は躁鬱病ということで改めて気になって買おうと思ったが、確か『人間失格』の内容は暗かったと思うので、鬱の時に読むのはマズイと思って買うのをやめた。10年くらい前に読んだが内容を忘れてしまった。また鬱が治ったら買って読むか。福沢諭吉は最近こういう記事を読んで興味をもった。
この人曰く、坂口恭平は現代の福沢諭吉らしい。だから『福翁自伝』を買って読もうかと思ったが、鬱でヘロヘロなので読める気がしないので諦めた。それに僕はお金があまりないので散財するわけにはいかない。一時、本をたくさん買う時期があるのだが、その時の本が未だに積まれている。これをまず消化しなくてはならないのだけど、もう買った時の興味は薄れ、読む気がしない。買い溜めできるほどの金銭的余裕がないのだ。
そして、坂口恭平の『独立国家のつくりかた』は去年あたりに鬱でヘロヘロの状態で読んだ。どうやら躁鬱病の人は北杜夫しかり、「国」を作ろうとするそうだ。僕は「国」を作ろうと思ったことがないので分からない。もうこの本の内容は忘れてしまったが、とにかくぶっ飛んでいるな、という印象だった。文章の勢いもあり、躁状態に引っ張られ、うきうきしてくるような本だ。
坂口恭平には色々時代があると思う。路上生活者のフィールドワーク時代、独立国家時代、そして、躁鬱の体験から得た知見を啓蒙している時代だ。僕は躁鬱時代から知った。電話番号をネットやら本に書いて、死にたい人の相談に乗っているのは、独立国家と躁鬱時代のハイブリットによるものだと思う。
坂口恭平は時代によって進化というか新しいトピックを見つけて、それが当たっている。この辺がすごいよな、と思う。彼は建築学科卒業らしいが、卒業論文が路上生活者のルポルタージュで、それが本になっているらしい。このあたりから気合の入りようが違う。20歳前半でこの行動力なのだ。凡人では真似できない。また、そういった課題を誰かに言われるわけでもなく、自分で見つけて実行できる点がすごい。そもそも早稲田大学の建築学科に行ったのも、図書館でひたすら気になる建築家を探して、その人がいる大学に行ったそうだ。やはり気合の入りようが違う。ただ、大学に進学するということは本来こういうことだと思う。今の大学はそれなりの企業に就職するための機構じゃないか。僕は大学は世間の常識を疑う場所だと思っている。世間を疑うというという姿勢を学ぶだけで充分だと思っている。それが世間に包括されてしまっては、意味ないじゃないか。
何が書きたいのかよく分からなくなってしまった。『福翁自伝』を読んだ方がいいのだろうけど、鬱でヘロヘロで小難しい本は読めそうにありません。
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